007

 文化祭2日目の日が暮れて、夜のとばりが落ちるころ――屋外ステージで後夜祭が開催された。

 ステージ上では、ふたたび謎の美少女ギタープレイヤーティンカー・ベルの姿になったピーターが、オスカー発表のプレゼンターのようなたたずまい。マイク片手にカードを読み上げる。

「それでは発表しよう。今年の三芳野高校文化祭の来場者はァ――31,525人! みごと3万人の大台を超えたぞォーッ!」

 周囲から生徒たちの熱い歓声が巻き起こる。そしてさらにボルテージが高まっていく。

「お祝いだ! みんなで勝利の美酒に酔いしれようぜェーッ! てなワケで1曲目は『スウィート・ワイン』だァ!」

 ステージに〈クラップ・ユア・ハンズ〉のふたりも現れて、演奏が始まった。観客も一緒になって大合唱する。マユリはその光景を1歩引いて眺める。

 時間が過ぎるのは早い。気づけばあっという間に、後夜祭もクライマックスを迎えていた。

 一般的な文化祭の後夜祭というと、キャンプファイヤーを囲んでフォークダンスのイメージだ。しかし、キャンプファイヤーは危険かつ準備と後片付けが大変なので三高ではやらないし、もともと男子校だからペアになって踊るフォークダンスも論外だ。その代わり、青森のねぶた祭りで有名なハネトをやるのが伝統だ。ウサギのように飛び跳ねながら、スチャラカチャカポコ踊り狂う。スチャラカ、チャカポコチャカポコチャカポコチャカポコ……。あまりムチャをしてケガ人が出たりしないよう、警備班が監視する。

 熱狂から少し外れた持ち場にいるマユリのもとへ、ピーターがこちらへやって来た。

「このハネトは昔ケガ人が耐えなくて、なかには骨折する者もめずらしくなかった。そのせいで学校側から廃止を言いわたされたコトもある。だが、実委をはじめハネトの存続を望む有志たちは、学校側を納得させるだけの対策を講じて、長年の伝統を守ったんだ。それは今現在も引き継がれている」

「ええ、もちろん知ってますよ。実委勧誘説明会のとき、熱く語ってましたもんね」マユリは力なく笑う。

「どうした? 元気がないぞ」

「さすがに疲れました……。でも、これでようやく今年の文化祭も終了ですから」

 ピーターは首を横に振る。「いや、まだ終わりじゃないぞ。明日の片付けを済ませるまでが合宿だ。今夜もパトロールがあるし。合宿が終了したら、各班新しい班長に引き継ぎをして、来年度に向けての準備を始める」

「エッ? もう来年の準備を?」

「もちろん本格的に始動するのは、来年4月に新1年生が入ってからだが、それまでやるコトが何ひとつないワケじゃない。だいたい警備班にいたっては、今やシーズンオフなど存在しない。冬は冬でいそがしいぞ? 若い男女が寒さに身を寄せ合って温め合おうとするからね。せいぜい覚悟しておきたまえ」

「何だか気が遠くなってきました……。しかもピーターはもう引退なワケでしょう?」

 思い起こせば、ピーターの存在はあまりに大きかった。指揮能力、判断力、決断力、自信、コネ、ほかにもさまざまな点において、彼の代わりはいない。来年に今年と同じかそれ以上のトラブルが発生したとき、はたして彼抜きでやっていけるのかどうか、マユリは不安でしかたなかった。

 ピーターは怪訝そうに、「いや? まだ引退はしないが? 卒業まであと半年もある。実委会長の座は退くから、むしろこれまでより警備班の活動に直接関われるようになるぞ」

「ハイ?」マユリは自分の耳がおかしくなったのかと思った。

「だから、あと半年よろしくと――」

「いやいやいや! 何言ってんですか受験生! 受験勉強があるでしょうが! まさか進学しないとでもッ?」

「大学には行くとも。すでに早稲田の指定校推薦を獲得している」

 聞いたコトがある。実績ある三芳野高校には早稲田大学の推薦枠が、各学科ごとにひとりずつ用意されている。その枠さえ獲得できれば、よほど問題がないかぎり合格できると。ただし、それゆえ通常の受験と違い、各学科ひとつの枠を三高生だけで争うコトになる。それにピーターはすでに合格が決まったような口ぶりだが、誰が枠を獲得できるか決定するのは、もう少し先のハズだ。

 だがピーターは何でもないように、「ああ、だからほかの推薦希望者と枠がかぶらないように、ひとりひとりと話して調整したんだ」

 それが言うほどカンタンではないくらい、たやすく想像がつく。そんな方法、たとえ思いついてもマユリは実行しようと考えないだろう。学校側が主体になっておこなうならまだわかるが、生徒みずから動いて成し遂げるとは。やはり器が違うと言わざるをえない。

「それも全部、警備班のためですか? 三高の伝統を守る仕事に、少しでも長く携わりたくて?」

「むろんだ」

「どうしてそこまで……」マユリは理解に苦しんだ。「高校なんてしょせん、人生のうちたった3年しか過ごさないんですよ? そんな場所の伝統なんかを守るコトに情熱を注ぎこんで、いったい何の役に立つっていうんですか。事実、明智先生にとってはまったく価値がなかった。それでも伝統を守らなければならないんですか? たとえ法に背いてでも?」

 明智の犯罪行為は、ピーターの一存で見逃された。OBが文化祭でスリを働いたなどというスキャンダルが明るみになれば、伝統の継続に悪影響をおよぼしかねないという判断だ。サイフは持ち主へ返したし、すでに盗まれたカネも保障済み。それで納得せず警察へ訴える者がひとりやふたりいたとしても、ピーターは警察にコネがある。もみ消すのはむずかしくない。

 ようするに三高の伝統を守るためなら、何でもアリというワケだ。以前ルナが冗談で、文化祭の夜に屋上から飛び降り自殺するなど言っていたが、仮にそれが現実となったときも、ピーターは同じようにもみ消すのではないか。そう思えてしまうのが空恐ろしかった。ふとマユリの脳裏に、J・M・バリー『ピーター・パン』原作小説の一節が浮かぶ――〝島の少年たちの数は、もちろん殺されてへったりしますし、少年たちが大きくなっているようだと、規則違反ですから、ピーターがへらしたりします。〟

 警備班の異常さを、マユリはようやく自覚した。思えば万引きもカツアゲも、マユリにとっては他人事だった。それゆえ犯人が見逃されても何とも思わなかった。むしろ自分たちは何と慈悲深いのだろうとさえ自負していたのではないか。それが今回の件は身内が犯罪者となったコトで、目が覚めた気分だった。

 もしかして、自分はとんでもないコトに加担していたのではないか? そんな疑念が胸のうちにうずまく。

 せめて何か理由が欲しい。警備班として働いてきたコトを正当化できる理由が。そうでなければ、良心の呵責に耐えられない。

「そもそも伝統って必要ですか? 守らないと消えてしまうような儚いものを、あえて守る必要が? 時代にあらがわず自然淘汰されるべきでは? とっくに寿命を迎えているにもかかわらず、ムリヤリ延命させているだけなんじゃ――」

 つい感情的になってまくし立てるマユリを、ピーターは不出来な弟子をやさしく教え諭すブッダのように、「ふむ。伝統というと、確かに守らなければ消えてしまうような気がするだろうが、旧弊と言い換えればどうだ? いくら積極的に変えようとしても、変えるのがむずかしく感じられないかね?」

「……ああ、言われてみればそうですね。不思議……」

 正と負の関係ではあるだろうが、両者は根本的に同じものだろう。むしろなぜ良いものが変化しやすく、悪いものが変化しにくいと感じられてしまうのか。

「善悪とは別に、両者の違いは何か? それは伝統が続けてきたものなのに対して、旧弊は続けてしまったものなんだ。やめようと思っても、ついつい手が伸びる。伝統は残すコトに価値があるから残す一方、旧弊は残ってくれないと不都合だから残したくなる。ある意味で、旧弊のほうが今を生きる人々に支持されていると言っていい。失くすべきでないと考える者が多いのは、むしろ旧弊なのさ。いわゆる既得権益というヤツだな。変革者は常に少数派からスタートする。たとえ不利益を被っていても、ひとは変化をおそれ、不変を望むからね。そして実を言えば、われわれが守っているのも伝統などではなく、旧弊なんだ。だいたい考えてもみたまえ? この男女平等の時代に、男子校時代の旧態依然とした体制を維持しようだなんて、現代の常識に照らし合わせて、正しいコトだと思うか?」

「……正しくないとダメなんでしょうか」

 共学化しなければ三高生になれなかったマユリが、男子校のままのほうがよかったなどと言う資格はないだろう。しかし、それでも男子校のころと変わらずあってほしいと思う。たとえ世間的には間違っていようと、そのほうが好ましい。ただ一方的に否定してくる正しさなど、虫唾が走る。

「ああ、ダメだね。間違っている」ピーターはイタズラな笑みを浮かべて、「しかし、だからイイのさ。いけないコトだからこそ魅力的だ。警備班が正義の組織だと思っていたのかね? むしろ逆だよ。われわれはまぎれもなく悪党だとも。正しさなど求めず、既得権益にしがみつき、ただただおのれの利益と快楽を追求する。不変で居続けるのは居心地がいいからね。ゆえに僕は、たとえどんな手を使ってでも、三高の旧弊を守ると決めている。確かに高校生活はたった3年間。ましてや僕がこの学校にいられるのは、あと半年もない。だが、それでも僕が尽くそうとするのは、後輩たちのコトを思えばこそだ。だって彼らが旧弊の甘い蜜を味わえないなんて、あまりにかわいそうじゃアないか」

「……ひとつ、疑問があります」

「何かね?」

「なんでわたしを警備班に迎え入れたんです? そこまで旧弊にしがみつきたいなら、変革のキッカケになりかねない女子メンバーを受け入れるなんて、矛盾してるのでは?」

「いいや、逆だよカーリー。旧弊を維持するには、むしろ受け入れるべきだ。身内へ引き込み堕落させるのさ。事実、男子校時代の体制を維持するコトが正しいかという問いに対して、キミは何と答えたか。男子も女子も関係なく、キミはもはやこちら側の人間だ」

「確かに、ぐうの音も出ませんね。なんかそういう言いかたをされると、あんまりイイ気分はしませんけど」

「それと誤解がないように言っておくが、なぜ僕がキミにコードネーム〈ウェンディ〉を授けなかったと?」

「わたしが縮毛カーリーだからじゃないんですか」

「――教皇ピーターのんびり屋トゥートルズうぬぼれ屋ニブズもやしっ子スライトリー双子ツインズ、それから人魚マーメイド百合リリーワニ野郎クロコダイル、どれもマトモなセンスとは言いがたいが、これらと比しても公正ウェンディは警備班にふさわしくない。警備班は断じて公正な組織などではないのだから。それに、ピーター・パンはウェンディ・ダーリングを自分たちの母親にするためネバーランドへ連れていくが、あくまで僕はキミを対等な仲間として迎え入れたかった。ゆえにキミはカーリーなのさ」

 あまりにまっすぐした瞳でそう告げるものだから、マユリは気恥ずかしくなって顔をそらす。このときばかりは、なぜ三高ではキャンプファイヤーをやらないのか恨めしくなった。赤い炎で照らされていれば、顔が赤くなっているのを隠せただろうに。

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