少年と中年とぐーるぐる

マニアックパンダ

第1話 少年と中年とぐーるぐる

 小柄で線が細く、気の弱そうな少年は地上26階建てのビル屋上で、淵をしっかりと手で掴みながら地上を覗き込んでいる。


「なんだ兄ちゃんビルの下なんか覗き込んで飛び降りでもする気かい?」


 誰もいないはずの屋上。

 唯一の出入り口からは扉が開いた音がしたわけでもないのに、突然後ろから声を掛けられ、少年はビクリと身体を震わせ後ろを振り向いた。


 だが、そこには誰もいなかった。

 どれだけ見回しても、自分以外を確認する事は出来ない。

 幻聴?

 僕は踏み出すのを躊躇っているのか?


「もっと上だ、こっちだ」


 更に声が聞こえてきた。

 上だと?神様でもいるのか?

 やや自嘲気味に視線を上げると、給水塔の上にスーツを着たちょいと小太りで無精ひげを生やした中年のおっさんが立っていた。


「な、なんでそこに?いつの間に?誰?」

「質問が多いな~。俺はちょっとついさっき不思議な事が起きてな、1人静かに落ち着きたくてここで寝ころんで空を眺めていたのよ。そうしたら兄ちゃんが思いつめた顔をしてここに来たってわけだ」

 

 中年のおっさんは手を大きく振りながら説明をするが、少年は首を傾げた。

 いい歳したおっさんが、昼間にビル屋上の給水塔の上で寝る?こいつは何を言っているんだ?

 平日の昼間、本来少年は学校に通っていなければならないはずなのに、自分の事は棚に上げて見つめる。


「止めないで」


 こんなおっさんに構っている必要はない、目的を果たさなければとおっさんに声を掛けたのだが、返答は意外なものだった。


「大丈夫だ、止める気はないよ。好きなタイミングで気軽にやってくれ」

「止めないの?」

「おう、安心してくれ。おっと、こう言って安心させておいて無理矢理止めるとかもないから大丈夫だ」


 「止めるな」と言っておきながらも、「止めない」と言われ動揺する少年。

 中年のおっさんはまるで自分は関係ないとばかりに空を見上げてタバコを吸っている。


「理由も聞かないの?」

「お、教えてくれるのか?気にはなっていたんだよ」


 普通は制止の声を上げ、理由を聞いてくるはずなのにと思わず不思議な気持ちになる。思わず自ら質問の答えを求めて声をあげたほどに。


「好きな子に振られたんだ、お前なんか無理、キモイって」

「へーそりゃあ辛いな~」

「お前に何がわかるんだよっ!」


 振られた時の事を思い出し、悲しみと悔しさと共に吐き出すように話したのにも関わらず、おっさんのまるで関心がないと言わんばかりの返答に苛立ちが募る。


「兄ちゃんほどじゃないかもしれんが、俺も男だ、数数え切れぬ程に振られてきたぞ?今も独身だ」

 

 指を幾度も折り曲げ、「あの子とあの子だろ」など呟くおっさん。

 数十秒経っているにも関わらず、未だ指が動いているようだ。


「僕はそんなにじゃない!」


 思わず一緒にされてたまるかと声を上げてしまう。


「そうか、兄ちゃんはその子の事がよっぽど好きだったんだな~」


 1人納得して、勝手にうんうんと頷いている。

 少年はその姿を見ていると、飛び降りなきゃという焦燥感にも似た気持ちが薄れていた。


「兄ちゃん、俺の話も聞いてくれるか?ついさっき経験した不思議な話なんだが」

「興味ない」

「うん?そうか、兄ちゃんの話とも関係するような――ハーレムの話なんだが」


 おっさんの言葉に咄嗟に「興味ない」とは答えたが、実際は興味津々だった。しかも続けて出てきたのはハーレムだという。


「――ハーレムってわかんないか?」

「わかる、ラノベで読んだことある」

「そうか、最近の若い者向けの小説はそういうのが多いらしいな~」


 素直に答えた少年に対して、満足気な表情で大きく頷くおっさん。


「その小説の世界に、主人公になってハーレムを形成して楽しんできたんだよ、俺は」


 何を言っているんだ?

 それこそ、どこのラノベの話だよっと思わず内心でツッコンだ。

 こんな訳の分からないおっさんの話をまともに聞こうとした僕が間違っていたんだと自嘲する。


「その顔は信じてないな~まあ、わかるよ、俺も意味がわからなかったし、今も理解できていない。だけど体感は残っているんだよ」

「そりゃあよかったじゃん」

「一度だけなら夢でも見たかと思うがな、2度あちらの世界に行って数十年を過ごして戻ってきたらさすがに……な?一度目は美女ばかりのハーレムで、2度目はケモミミ?あの女の子の頭に獣の耳が付いているやつ、ああいうのがいる異種族ハーレムだった」

「へー、2度も数十年過ごしたなら、なんで歳とってないの?」


 白けた気持ちになりながらも、一応ツッコミを入れる。

 夢でもそんなのあったらいいなとは少なからず思っているのが本心だ。


「それがな、行った時と同じ時間場所で戻って来るんだよ」

「へー、どうやって行ったの?魔法陣でも光った?」

「魔法陣?そんなもんないぞ?本の中に吸い込まれるんだよ、一気にな」


 一種のテンプレだな~なんて思いつつ、話を促す。

 おっさんの冗談だとはわかってはいるが、興味が出てきた。


「家で普通に本を読んでたら行けたの?」

「いや、それが違うんだ。やり方は簡単だ、ここのビルの1階に本屋があるだろ?小説コーナーの本棚と本棚の間の通路でそれは出来る。まずそこでグルグルグルグルと約10回目を瞑って回るんだ、そうスイカ割の時みたいにだ。回り終えたら近くにある本を手に取ってページを捲る、すると文字が浮き出して腕に巻き付き――中へと引き込まれるんだ」


 通路の間で1人回り続けるおっさんを想像したら笑えて来る。

 とんでもなく間抜けで滑稽でシュールだ。


「信じられんわな~」


 おっさんは少年の様子を見て独り言ち、恥ずかしそうに頭を掻いた。


 もう飛び降りる気もなくなった少年は、目の前にいる間抜けなおっさんに乗る事にした。面白そうだか、もう少し話に付き合ってみようと。


「じゃあさ、僕もやったら行けるかな?」

「おう、そりゃあ行けるだろうよ」

「じゃあ、本屋に行ってやってみようかな?でも一人じゃ恥ずかしいから付き合ってよ」

「いいけど、飛び降りなくていいのか?」


 自殺を止めるために法螺話をでっち上げたわけではないようだ、まじめな顔をして聞いてきたおっさんに思わず少年は噴出した。


「いつでも登って来れるしさ、ハーレムを経験してからでも遅くないと思うんだ」

「そりゃあそうか、じゃあ早速行くか」


 いつの間にか給水塔から下りてきたおっさんと共に、エレベーターで地上へと降りる。

 法螺話とわかってはいるが、どのタイプのラノベの世界に行けるんだろうかなどと夢が広がる。


「ここだ、ここで回るんだ。本は予め選んでおくことはできないからな、当たりを願うしかないぞ」


 大真面目な顔をして、説明するおっさん。

 少年はそれを笑いながら、「OK」と頷きを返す。

「よし、俺が回してやるから目を瞑るんだ」


 言葉に従い目を閉じる。

 自分でも口角があがっているのがわかる、これほど楽しいのはいつぶりだろうか?


 ぐーるぐーるぐーるぐーるぐーる ぐーるぐーるぐーるぐーるぐーる


「よし、本を手に取って素早く捲るんだ」


 世界が廻る中、近くにあったラノベを一冊手に取ってページを捲った


 ――――文字が宙に浮かんでいる?


 ――――文字が鎖のように、僕の腕に絡みつく?


 ――――本当に引き込まれるっ!



 嘘じゃなかったんだ、真実だったんだ。

 驚愕と共におっさんの顔を見たら、なぜか悲しそうな顔をしている。

 どうして?

 なんで悲しそうなの?

 吸い込まれながらも、不思議に思っているとおっさんの声が聞こえてきた。




「兄ちゃんが取った棚、ボーイズラブって書いてあるんだよ、まあ新しい世界を楽しんでくれ」


 少年の顔から今日一番の大きな笑みが零れた。

 

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