第7話 言い返した瞬間に、魔狼が動いた。

 全身の細胞がいちどバラバラになったような感覚がやってくる。


「い、いたいぃぃぃぃぃぃぃぃ!」


 思わず叫んでた。

 お腹のあたりの痛みが、ぶりかえしてる。身体を二つに折って激痛をこらえる。

 こ、ここ、こんな痛みに耐えてたのか、ばかレモン。それなのに、あたしを地球に返そうとするなんて……。


「く、うううう」


 こらえろこらえろ! 我慢だ! この痛みは合体したからだとわかっていた。

 うずくまっていた身体をゆっくりと起こす。痛い。けど、なんとか耐えられそう。

 ところが起き上がったあたしは即座に行動を移せなくなった。


「あ、やややや?」


 なにやら身体に違和感がある。

 ぺたぺた。胸が、ない。

 いや確かに元からナイ胸ですけど、そういう修辞的意味ではなく、ほんとにない。

 まったいら。


「げげ!」


 そして、その……両足の間に、なにやらこう得体のしれない感覚が……。


「ひぃぃぃぃぃっ」


 あ、あ、あたた、あたし!

 男になってる!?


(うるせ、ばかユズハ)


 へ?

 今の、なんだ?


(騒ぐなっての。俺のほうはまだ力が戻らねーんだから……)


 力のない声。レモンの声だ。でも、頭の中から聞こえてくる。


「な、何が起こったの?」


(だから、俺が主だって言っただろ。おまえは使い魔。この身体の優先権は本来は主である俺にあるんだ。いわば俺が人間になったときの姿だよ、ばかユズハ……)


 そこでまた言葉が途切れる。


「だ、だいじょうぶ?」


 元になっている自分の身体を見ると、傷は開いていない。でも、レモンにはダメージが残ったままみたいだ。


(くそっ。平気なわけあるか! が、そんなこと言ってられねぇ。この身体にあまり馴染むと、分離できなくなる)


 うえぇ? そ、それは困る。確かにレモンを死なせたくないと思ったけど。男の子のままでいたいとは思わないよう。だって──トイレとか、どうしよう?


(そんなバカなこと考えてる場合か、ばかユズハ。片をつけるんだよ!)


 バ、バカバカ言うほうがバカなんだぞっと。

 けど、確かに今はそんな場合じゃない!


(身体はおまえが動かすんだ……。今の俺にはむり……)


「しゃべらないで! やるから!」


 あたしは顔をあげた。

 鋼の蝶番が音を立てて弾け飛び、両開きの大きな扉がバタンと開いた。

 咆哮とともに、魔狼が廊下へと飛び出してくる。


(避けろ!)


「おっと!」


 迫ってくる牙を横にステップを踏んでかわした。広い廊下で助かった!

 身体が今までの何倍も軽い。レモンと合体しているからだろう。楽ちんだ。


(調子に乗るなよ。かすり傷も負えねぇんだからな)


 頭の中のレモンの言葉にぎくりとする。

 そっか……。

 レモンはただでさえ重傷だったんだ。あたしがまだ平気でも、というか、合体したこの身体には平気でも、ここで傷を負ってしまったら──分離して猫に戻った途端に死、とか。ありうる……のか。


「わ、わかった」

「びびるな」


「ユズハ」

 シィの声だ。


 城の人たちを逃がしてから戻ってきたみたい。腕にブランシュを抱えている。

「やっちまえ!」とブランシュも叫ぶ。


 ひとつ、頷いてから、魔狼と向き合う。

 廊下は、幅も天井もたっぷりとあって戦うには充分な広さがある。

 相手との距離は五歩もない。この怪物ならば飛びかかってこれる間合いだ。けれど、あたしはもう怖くはなかった。

 唸り声とともに声が聞こえてきた。


 猫たちめ……。決して許さぬ……。


「それは、こっちの台詞だよ!」


 ぴくり。

 狼の耳がこちらを向く。

 すこし遅れて王の顔もあたしのほうを向いた。


「許さないってのは、あたしのほうが言いたいよ!」


 狼の背中のあたりに見えている、いにしえの王は、角ばった顔を髭で覆ったムサイ男だった。たぶん、四十歳とか、そのあたりだと思う。着ているものは立派だけど、顔つきがいけない。

 頬も、目許も落ち窪んでいて、まるで生気ってものがない。元気だったときは、ひょっとしたら美形だったのかもしれないけど、これじゃゾンビのほうがまし。

 髪は艶をうしなって、まるで茹で損ねたワカメみたいだ。


 だれ……だ。


 王はようやくあたしを見た。


「ユズ──」

 自分の名前を言おうとして、この姿が自分ひとりのものではないことに気づく。


「ユズレモン!」


(くっつけるな!)


 レモンが抗議してきた。


「じゃ、レモンユズ!」


(変わってねぇ!)


 注文の多い魔法使いは放っておく。あたしは緊張していた。魔狼が身体を低くして飛びかかろうとしていたからだ。

 尖った爪と、牙。

 あれに身体を触られたらおしまいだ。皮膚なんて簡単に破られる。あたしの傷はレモンの傷になる。これ以上怪我するわけにはいかない。分離したときに前以上の怪我をしていたら、今度こそ助からない。

 やって、みせる!

 ブランシュとシィには離れてもらって、あたしは腰を落として構える。


 ……我が、恨み……晴らすまでは……。


「それは逆恨み!」


 言い返した瞬間に、魔狼が動いた。

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