第5話「やる!」

「これ以上は無理です」


 やってきた施療師だという老人──人間のためのお医者さまらしい──が目を伏せつつ、首を横に振った。

 レモンに目を落とす。

 動かさないほうがいいというので、礼拝堂から出てすぐの廊下に毛布を敷いて、レモンを寝かせていた。

 お腹にはぐるぐる巻きの包帯。それも、滲んできた血で、もう真っ赤だ。


「むりって……むりってどういうこと!」

「内臓がひどく傷ついていて、私ではどうすることも……」


 地球の病院にでも連れて行かないと無理だ、とブランシュも言った。

 けれど、地球に戻るためには、キャッティーネに対応した身体を地球用の黒猫に戻さなくちゃいけない。その変化に、傷を負ったレモンの身体は耐えられないだろう、と老施療師もブランシュも言う。

 老人の言葉に、あたしは目の前が真っ暗になった。膝から力が抜けてへたりこむ。

 そんな──。


「ユズ……ハ」


 レモンがうっすらと目を開けた。


「な、なに!?」

「こっちに……来い。契約を解いて……やる」


 レモンってば、何を言っているのだ、こんなときに。


「な、なんで」

「あなたのためだと思いますよ、ユズハ」


 ブランシュだ。


「どういう……」

「このまま彼が死ねば、あなたの身体も傷つくからです。わたしたち猫のほうが圧倒的に身体が小さいから、ユズハは受ける痛みで死ぬことはないでしょうが。……それでも死の痛みです。大変な苦痛のはずだ」


 魔法使い猫と使い魔は繋がっている。レモンの痛みはあたしの痛みになる。

 百年前の光景を思い出してしまう。猫たちは死んで、王女はすこしずつ命の火を削られていった……。このままじゃ、その繰り返しだ。

 来い、と弱々しくレモンが呼ぶ。


「頬についている契約印はレモン王がくちづければ消えます。早くしたほうが良い」

「でも、使い魔でなくなったら……」

「もちろん、あなたは元々が地球人ですから、キャッティーネにはいられません。即座に地球に戻らねばなりません」


 レモンがむりやり頭を起こした。苦痛に顔をしかめる。


「だいじょうぶ、だ。それくらい……」

「で、できない。できないよ!」


 あたしは顔をあげて、周りを見回した。何か、ほかに手はないの!

 レモンとあたしの傍には、施療師の老人と、ブランシュとシィがいた。少し離れて心配そうな顔をしてハナコさんが立っている。

 そのさらに向こう、遠巻きにお城の猫たち人たち。みな不安げな顔。

 兵士たちは扉の向こうで礼拝堂の穴を見張っている。今のところ魔狼は外に出てきていない。

 それでもさっさと穴を埋めてしまえと叫ぶ者がいる。大臣猫たちだ。先程まですぐ近くでレモンを問い詰めようとしていたので、セバスティアンさんに追い払われてしまった。たぶん、今頃は会議室で会議でもしている。腹が立つったら。永遠に会議室から出てこないでほしいくらいだ。

 誰か、なんとかできないの!


「なんで、お医者さまの魔法使い猫っていないのよ!」


 目に涙が滲んできた。視界がぼやけてかすむ。

 レモンはあたしをかばって死にそうになっている。

 これなら、あたしのほうがやられたほうが良かった、そう考えそうになって、それじゃダメだと気づく。あたしが傷を負ってもレモンはやっぱり同程度の傷を負うのだから、結果は同じなのだ。むしろ少々の怪我でも耐えられてしまうだけ、あたしが傷つくほうがまずい。あたしには軽傷でもレモンには重傷になるのだから。

 絶望感が押し寄せてくる。

 レモンの傍らに膝をついたまま、あたしは嗚咽をこらえる。こぼれる涙がぽたっと床に落ちて染みをつくった。誰か──助けて。


「ブランシュ……何か方法は?」

「シィ。あなた、わたしに聞けばどんなことでもなんとかなると思っていませんか?」

「思ってる」

「無茶を言わないでください。消えかかっている短い蝋燭の丈を伸ばすようなものですよ? そんなことできるわけが──」


 耳に入った瞬間に言葉に出していた。


「それ、できないの? レモンとあたしは繋がっているんでしょ! どうにかして、レモンにあたしのヒットポイントを継ぎ足せないのかな」


 こんなときに、われながらなんてゲーム的な発想だとは思った。でも、こっちの世界でそんなおバカなことを考えられるのってあたしだけで、そして──


「無茶なことを……ええと──」


 ブランシュの目が宙をさ迷う。彼の頭の中でめまぐるしく脳が働いているのだ。宙の一転を睨みつけていた瞳の力がふっとゆるむ。


「合体すれば、あるいは」

「が、合体?」

「魔法使いと使い魔はふつうでも一心同体なわけですが、その境地を極めることが可能なのです。ようするに、ふたりで一本の長い蝋燭になってしまえば、この程度の傷はたいしたものではないってことですよ」


 ブランシュが言ったとき、目の前の暗闇に一筋の光が差してきたのを感じた。


「ただし、一時的に猫でも人でもない存在になるわけですから、危険です。元に戻れるかどうかもわからない」


 ごくり、とあたしは唾を呑む。


「どうすればいいの?」

「手順はレモン王ならばご存知でしょう。使い魔の身体を主人が乗っ取るわけです。いにしえからよく知られた現象です。その方法ならあるいは……」


 ようするにレモンがあたしに取り憑くってことね。そっか、化け猫の定番だ。


「ユズハ、無……茶は……」


 レモンの意見なんて聞いてません!

 あたしの答えは決まっていた。


「やる!」

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