第4話「拷問の係がいたなんて……」
あたしの目の高さに開いた猫たちの道を通りぬけ、すとん、とロシアンブルー種のチリが廊下に落ちてくる。
地球ではロシアン「ブルー」っていっても、毛並みはどう見ても灰色なんだけど。キャイネに戻ってきたチリは種名通りの青。薄い青の毛並みになっていた。頭から続く胴体も同じ色で、尻尾だけ黒味が入っている。
トウガラシだから赤、ってことはなかったか。
その黒味の入った青い尻尾を握っている手があった。人間の手だ。最初はその手だけが見えた。と、その次の瞬間には、ぎゅいんという擬音が聞こえてきそうな感じで僅かの時間だけ黒い穴が大きく広がり、女の子が姿を見せる。
チリの尻尾を掴んでやってきたのは、あたしやシィと同じくらいの年頃の女の子。
細い三つ編みを左右に垂らして丸い眼鏡をかけた子だった。ととっと、穴から転がり出てきてその場でよろける。
「うぉい、チリぃ。勢いよすぎだよん。もうちょっとゆっく……ほえ? おやぁ、チリ、こちらはどなた様ですか?」
後半の台詞は目の前にいるあたしを見てのものだ。
「知らないわよ。あたしも初めて見るしー」
チリがそっけなく言った。
うわぁ、かわいいけど、プライドの高そうな女の子だぁ。って、あたし、よく考えたらこっちの世界に来てからカワイイを連発しているような。……ま、猫の国なんだし、当然か。
「ええと、ふむ……なんか、あたしたちに御用ですかね? おっと」
眼鏡をくいっと持ち上げ、そこで彼女は、あたしの前にいるレモンにようやく気づいたようだった。視線があたしと同じくらいだから、足下のレモンに気づかなくても無理もない。
「こりゃ珍しい。ほらほら、王様が来てるよん、チリ」
「見りゃわかるわよ。あーあ。なんか厄介ごとの予感がする。もう帰ろうかしら」
ありゃ……なんと、レモンが引きつった顔をしてる。
「いいかげんにしてくれ、チリ。ひと月に一度、二時間くらいは王国に奉仕しても罰は当たらないと思うがな。君は王宮の宝物管理官だぞ? 宝物庫にいない管理官なんて聞いたことがない!」
「レモン、あたしたちを紹介してよ」
お説教を始めそうだったレモンに、あたしは強引に割り込んだ。二時間しかないんだったら、口論の時間なんてもったいない。
不満そうな顔つきながら、レモンがあたしたちを紹介にかかった。
「こっちのトロそうな人間の女がユズハだ。そっちの白いのが占い師のブランシュで、彼を抱いているのが使い魔の白き衣のシィ」
「トロくない! ちょっとドジなだけ!」
「あははー。それは反論になってないですよぉ」
ころころと眼鏡の子が笑った。
足下のチリが彼女を見上げつつ、「名前、覚えた? ヤヨイ」と言った。
「ばっちりです」
「忘れないでよ。あたしは宝物以外のことは覚えないからね!」
「りょおかい! ふふ、あたしのピンク色の脳細胞に刻みこみましたよ!」
「灰色の脳細胞、じゃないの?」
あたしが思わず突っ込んだら、迷いのない瞳で眼鏡の子はきっぱりと宣言する。
「それだと、かわいくないので却下、なのです!」
おお、なんか急に親近感が沸いたぞ、この子。ええと、ヤヨイ、だっけ?
「それに──新鮮な内臓はピンク色だって言いますし!」
「脳は内臓じゃないわよ? ヤヨイ」
今度はチリが突っ込んだ。
「脳も臓器ですから。ストレスでダメージ受けるって言いますし。当たらずともとーからじですってば。それに、あたしの脳はきっとピンクなんです! 切ってみればわかりますよ!」
にっとヤヨイが微笑んだ。
「解剖学者が聞いたら怒りそうだわ……」
「事実ですから! たぶん」
事実はたぶんって言わないんじゃないかな……。
ヤヨイは、スカートをぱんぱんと叩いてから、改めてレモンに向かってお辞儀をした。
それからあたしたち──あたしとブランシュとシィのほうに向かってもお辞儀をする。
「初めまして。
「よ、よろしく」
「あーんど、今日も元気に花丸ちゃい!」
言いながら、両手の親指とひとさし指で丸を作ってあたしに向かって突き出した。
な、なんだ。なんのポーズ? これって、もしかして何かの合図なの!?
「は、花丸ちゃい!」
慌てて、同じようにやってみた。
「あは。ユズハさん、ノリがいいなー。あたしの挨拶に、同じ返し方してくれたのはチリ以来ですよぉ」
そりゃ、どうも。……って、別に意味はないポーズだったらしい。
レモンがにやにや笑ってるよ。
てか、チリ以来ってことは、今のポーズやったのか、このチリってロシアンブルーの子。意外だ。というか、猫の足でどうやったんだろ? あたしがまじまじと見つめると、チリはふいっと視線を逸らした。
「とにかく、中に入れてくれ。いつまでも廊下で話していたくない」
レモンが言って、ヤヨイが宝物庫の扉を開けた。
部屋の中に入ると、宝物庫とは名ばかりで、そこはほとんど図書室だった。
壁一面の本棚には背表紙がぶ厚い本ばかり並んでいる。
窓はなく、まるで物置のようにも感じてしまう。テーブルの上に背の高いランプがひとつ。ヤヨイがスイッチを捻ると、明かりが灯った。
……スイッチ?
「あ、これ、電池式です」
地球から持ち込んだものらしい。火事が怖いから、火は使わないようにしているとの事。ひと月に二時間程度しかいないのだから問題ない、とチリ。電池が切れたら取り替えればいい。
レモンによれば、ここには宝物ばかりじゃなくて、歴史的な資料とかも全て放り込んであるんだって。本以外の品はさらに奥にしまい込んであるらしい。部屋の扉の鍵をもっていたのはヤヨイだった。どのみち猫には扉は開けられないから。宝物管理官にはヒトの使い魔が必要なわけだ。なるほど。
「ちなみにユズハ。先回りして言っておくが、この部屋に猫用扉を作らないのはわざとだからな?」
「宝物庫だから?」
「ああ」
もし、不心得者の猫がいた場合、少しでも侵入を妨げるためにそうしているらしい。猫たちは主人だが、ここは元々は人間用の城だから猫にできないことも多いとレモンが言った。そして、わざと不自由なままにしておく場合もあるってことだ。
「まあ、魔法で扉を開けるような猫には無駄なんだがな。幸いまだそういう魔法使い猫とは会ったことがない」
「猫の快盗とかいたら宝を盗み放題?」
「いたらな」
猫の快盗と猫の名探偵の対決とか……そ、それは見てみたいけどね。
「っと、それでだな、チリ。実は……」
レモンが王宮で起きている事件をかいつまんでチリに伝える。
一ヶ月に一度しかキャッティーネに来ないチリは、ひと月前から始まった今回の出来事をまったく知らなかった。
「──というわけだ。何か憶えはあるか」
チリは、小首を傾げてしばらく考えていた。
「……思い当たらないこともないわね。ええと、ヤヨイ。への六番の棚。右から四つめ」
「あいあい。了解了解っと」
チリの指示に従って、ヤヨイが本棚の一角へと歩いてゆく。よく見れば、本棚の上のほうには、「い」「ろ」「は」「に」……と記号が振ってあった。「へ」と書かれた棚まで歩いていくと、上から六番目、右から四冊目の本を抜き出して、あたしたちのほうへと持ってくる。
あたしはびっくりしてしまった。
そういえばさっき宝物以外のことは憶えないって言ってたけど、ってことは、この宝物庫にあるものは全部覚えてるってこと!?
「まさか……ぜんぶの本の内容と置き場所を覚えてる?」
「ぜんぶなんて無理よ。着任したばかりだもの、まだ九割五分ってところね」
「げげっ。それってぜんぶと変わらないじゃない!」
たいしたことないわ、とチリは言ったが、凄いと思う。しかも、最終的にはぜんぶ覚えるつもりらしいし。
「でもチリの記憶力は宝物庫のもの限定なんですよねー。だから、あたしの脳細胞はそれ以外を覚えておく必要があるわけでして。おっと余計な説明です? 聞いてない。そりゃ、失礼」
ひとりで突っ込んで、ひとりでボケていた。楽しい子だなー。
「ほら、もってきましたよぉ、シャチョー」
ヤヨイは、チリの跳び乗ったテーブルの上に本を置いた。
古めかしい装丁の本だ。表紙の一部には虫食いの跡まである。題名は──読めない。インクがかすれてしまっているから、というのと、日本語ではないから、というのと。
「日記、のようですね」
ブランシュが言った。彼には読めるらしい。
チリも頷いた。
「そのとおりよ。ユグラリア王国の記録としては、現存する物の中で再後期にあたる、滅亡直前の貴重な資料。──官の残したもの」
チリの言葉を聞き損ねた。
「──官か」
レモンが嫌悪感を丸出しの声で繰り返して……。
あたしもようやくその言葉を聴き取った。
認めよう。あたしの聞き損ねじゃなかったみたいだ。でも、それって……。
「信じられない」
あたしはつぶやいていた。キャッティーネが中世風の世界だとしても、あたしはどこかでゲームの中の世界と同じようにここを中世「風」なだけだと信じていたのだと思う。
それは違ったのだ。
チリはこの本を『拷問官の残したもの』と言った。
わずか百年前にそんな──。
「拷問の係がいただなんて……」
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