第3話「ロシアンブルーだ!」

 幽霊が消え、朝がやってくる。


 徹夜に近くなってしまったあたしたちは、とりあえずの仮眠を取った。

 ただでさえ眠るのが好きだから、目覚めたときには昼近くになっていた。

 ハナコさんに起こされて、食堂へ。

 今朝は、ブランシュもシィもテーブルにいた。

 どうやら観念していっしょに食べることにしたようだ。


「わたしたちはちゃんと朝食も食べました。これはランチです」


 ブランシュが皿から顔をあげて胸を張った。


「よく起きられたね!?」

「ふっ……。どこかの誰かのように惰眠を貪る趣味はありませんから」


 ぺし、とシィにやわらかく叩かれる。

 ふにゃ、とブランシュの耳とヒゲが垂れた。眉も下がってしまい、情けない顔つきになる。


「シィ……あなた、言葉にする前にボディランゲージで伝えるのをやめませんか?」

「だめ……」

「だから、その言葉を先に言ってほしいのですが」

「……?」

「不思議そうな顔をしないでください。自分の行動ですよ?」

「手が……こう……自然に」

「嘘おっしゃい!」

「まあまあまあ。……ところで、レモンは?」


 ブランシュとシィは同時に首を横に振った。

 仲良く一緒に。タイミングもぴったりだった。

 こういうところはシンクロするんだなあ。


「若様は大臣のみなさまとの会議がございますから……もうしばらくすればお見えになるかと思います」


 教えてくれたのはハナコさんだった。 

 ふぇえ。もう起きて仕事してたんだ。その仕事熱心さは、とても猫とは思えない。などと感心していたら、レモンがやってきた。


「二時から始める」


 そう言ってからレモンもテーブルの上で食事にとりかかった。


 始めるっていうのは、昨夜の続き、幽霊の、っていうか呪いの正体を突き止めることを指しているんだろう。

 それはわかるけど、なぜ「二時から」なんだろうか?

 まぁ──乗りかかった船だし、ここまできたら協力したい。あたしに何ができるかなんてわからないけれど。

 全員の食事が終わると、ハナコさんがお茶をもってきた。

 あたしとシィには熱いレモンティーを。レモンとブランシュにはぬるめで猫舌でもだいじょうぶな温度のハーブティーを。

 この世界では猫たちもぬるくしたお茶を嗜む。飲んでも身体を壊したりしないらしかった。異世界への道を通るときに身体が変化するらしい。

 だから、心の健康のためにキャイネの猫たちはお茶を飲む。

 文明生活を送っているっていうわけだ。これが地球に戻ると、元の猫缶の食事になるわけで……考えてみるとちょっと切ない。

 そんなことをぽつりとこぼしたら、レモンが聞きつけた。


「だから地球に戻らなくなるものもいる」

「あー……だろうねー」


 あたしが猫だったら絶対こっちの世界のほうがいいもん。レモンがキャッティーネに『帰る』という言い方をしていたことを思い出した。彼らにとってはこちらの生活のほうが大事だとしても仕方ない。


「そうでもない」


 と意外なことを言ったのはブランシュだ。


「猫は自由をなによりも大切にする。だが、キャイネではそうはいかないからな」


 そう言ってから、わたしのように放浪の身でもないかぎり、と付け足した。ちらりとブランシュがレモンを見た。なるほど、それもなんとなくわかる。キャイネでは猫のほうが人よりも上だと言っていた。ということは、猫たちが人間たちの面倒を見ているってことでもある。彼らには治めるものの責務が生じるのだ。

 浅い皿に注がれていたお茶を舐め終わると、レモンはあたしたち三人を順に見た。


「では、続きを始めよう」

「まだ二時じゃないよ?」


 あたしは言った。

 食堂に時計はないけれど、城の内では昼の間は二時間に一度は鐘が鳴るからわかるのだ。

 時計係は地球から持ち込まれた腕時計──ゼンマイ式のやつ。電池だと補充できないから──を睨みながら鐘を撞くんだって。その鐘の音が城下町にも流れるっていう仕組みでキャイネの時間は管理されている。三十年ほど前かららしい。


「今から移動しないと二時に間に合わないからな。つべこべ抜かすな」

「移動?」

「詳しくは歩きながら話す。そこの占い師もだ」


 レモンの言葉を聞き終わる前に、シィがブランシュを抱き上げた。


 食堂を出て、あたしたちは西の棟に向かった。幽霊を追って城の東の棟には行ったことがあるけれど、西は初めてだ。いったい何があるんだろう。


「昨日の話だが……。あの数え歌には元ネタがあるって話だったな、占い師」


 レモンがあたしの三歩ほど前を歩きながら言った。シィの胸に抱かれているブランシュがその問いかけに「そうですよ」と答える。


「ま、珍しいことじゃない。地球の童謡にだって歴史上の事件を元にしてるってやつがあるくらいだからな」

「そうなの?」とあたし。

「例えば……『ロンドン橋落ちた』を知らないか?」

「マザーグース?」

「そう。イギリスの童謡だ。ロンドン橋って橋はな。昔は実際、何度も壊れて落ちてたって話だ。そこからあの有名な歌ができたっていう」

「へー」


 あたしはびっくりして、かつ感心してしまった。


「なんでレモンってば、そんなこと知ってるの?」

「勉強してるんだよっ」

「……それ、嫌味?」


 ちらっと後ろを振り返ったレモンは、「べーつにー」と鼻にかけた調子で言った。

 あ、あたし、今、バカにされてない? むー。


「とにかく、過去の何かの事件を元にしてるのだとしよう。その事件が呪いに関係あるんじゃないかってことだよな? で、それを突き止めるにはどうしたらいいか」

「それはわたしが昨夜に言いましたよ。歴史家はいないのですか、と」

「いる。が、いない」


 レモンが奥歯にモノの挟まったような言い方をした。珍しい。


「どっちなのよ?」

「国一番の歴史家がこの城にはいるんだ。宝物管理官も兼ねている、チリってやつなんだが……」

「おいしそうな名前ね」

「チリ・セサミだ」

「どっちも食べ物じゃん」


 チリはトウガラシだし。

 セサミはゴマだ。開けゴマオープンセサミの、ゴマセサミ

 なるほど、宝物庫の管理官にはぴったりの名字だ。そういう家柄なんだろうか?


「おまえは、勉強嫌いのくせに、無駄に食べ物とかファンタジーとかだけは詳しいんだよなぁ……俺が悪かった。話を続けていいか?」


 無駄に、と、だけ、は余計だよ! あたしは口をつぐんだ。


「チリは地球マニアなんだ。こっちには滅多に来ない。こっちの時間でいうと、一ヶ月に一度ほど、しかも、二時間ほどいるだけだ」

「それじゃ、いないのと変わらないんじゃ……ああ、だから」

「いるけれど、いない、というわけですか」


 ブランシュがあたしの言葉を引き取った。


「それで、そのチリっていう猫がこっちに帰ってくるのが今日の二時ってことね?」


 先回りしてあたしは言った。レモンが歩きながら首を縦に振る。


「弟のミカンのやつがいればよかったんだが……。あいつなら、チリと張り合うだけの知識をもっていたんだが」

「おとうと? えっ、レモンってば、弟なんていたんだ!?」

「あのな。猫が一生に平均して何匹の子を産むか知ってるか? っと、着いたぞ」


 あたしたちがやってきたのは、王宮の西の棟にある廊下の奥の扉の前だった。

 宝物庫だ、とレモンが言った。

 ちょうど二時を告げる鐘の音が聞こえてきた。

 目の前の空間がゆらぐ。

 地球から猫がやってくるのだ。こうして外から客観的に見るのは初めてだ。

 猫の前足がにょき、と宙に生えた。あたしの目の高さほどのところに。

 右前足に続いて左の前足が現れる。両足で何度か宙を掻くと、足のあたりから直径二十センチほど空間が丸く切り取られた。切り取られた空間は闇夜のように真っ黒け。そういえば、あたしがキャッティーネに来たときも自分の周りは真っ暗だったっけ。

 これが平行世界を行き来する猫たちの道……。

 ひょい、とこちらの世界に突っ込まれた頭が見えた。尖った大きな三角の耳を乗せた頭だ。毛並みは薄い青。瞳はきれいな緑色。これは……。


「ロシアンブルーだ!」

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