第7話「入って」
中庭から戻って城の二階へと上がった。
お城の二階には、客人たちを泊める部屋が連なっている。今はココはほとんど空っぽだから、とレモンは城の両翼のほうへ急ごうと言った。
あたしはそこで閃いた。
「ちょっと待ってて」
小さな声でそう言うと、レモンの返事も待たずにあたしは自分の部屋に急いだ。
三階の、自分に与えられている部屋に駆け込むと、学生鞄をひっくり返す。面倒だから鞄の中をぜんぶベッドの上にぶちまけた。
あった!
それをつかんでレモンの元へと戻る。
何も説明していかなかったのに、レモンはあたしを待っていてくれた。
声を潜めるように、と唇の前に指を立てながら、あたしは持ってきた品物を見せた。
「手鏡……か?」
あたしは頷く。キャッティーネに来たときに、変身した自分の姿を映したあの手鏡だ。
「何をする気だ」
ちょっと警戒してた。
「だいじょぶ。これにレモンを映そうってわけじゃないから。……それもいいかな」
「信頼関係を壊したくなきゃ、やめとけ」
レモンが言った。
「うん」
素直に頷いておく。今はレモンの言う言葉になんとなく納得してしまう。
靴を脱いだ。足音を立てたくなかったからだ。いっそ、レモンのように足の裏に肉球があればと思ってしまう。石の廊下が冷たいけど我慢だ。息も潜めてこっそりと廊下を歩く。
目の前、まっすぐに伸びる廊下は、幅が二メートルほどしかない。蝋燭の光はわずかに重なりあっているだけで全体としては薄暗い。
けれど、三つ先の扉のところ。扉の隙間から廊下へと部屋の明かりが漏れ出している。
客間のほとんどは空っぽ、とレモンが言った。ほとんどだ。ぜんぶじゃない。つまり、あそこには──いるわけだ……あのふたりが。
あたしとレモンは、漏れ出す光の下へと辿りつく。ぴたり。扉に張り付いた。
どうか、鍵が掛かっていませんように……。
ゆっくりと、音を立てないように扉を少しだけ引く。
開いた!
可能性はあった。猫に扉の開け閉めはできないし、もうひとりのほうは鍵なんて気にしてなさそうに見えたから。
あたしが上、レモンが下になって隙間から覗き込む。いる。
ブランシュとシィだ。
ベッドの上に並んで座っていた。
声は──さすがに聞こえない。
「聞こえねーぞ」
ひそひそ声でレモンが言った。
「だいじょうぶ。こうするの」
手鏡を隙間にかざす。部屋の中が映る。ゆっくりと鏡の角度を調節して、部屋の中を探ってゆくと──ブランシュが映った。なるほど、とレモンがささやいた。
鏡の中の猫から声が聞こえる。
『それっぽちしか食えないのか。もっと食え。まったく世話の焼ける女だ』
声は小さかったけれど、鏡に近いから良く聞こえた。
部屋の中で、ブランシュがふたたび何か言った。ほぼ同時に鏡の中の猫も声をあげる。
『厄介なものを拾ってしまったな。拾ったからには世話するしかないが、面倒だ』
ブランシュの本音がクリアに聞こえる。
これでブランシュの正体がわかるかもしれない。
鏡の中のブランシュはかしこまっていない。言葉遣いも荒っぽい。そして、ブランシュの心の中の声を聞くかぎり、彼がシィを拾ったことになっているらしかった。
拾った?
聞こえた言葉を頭の中で繰り返す。シィを拾ったって、どういうことだろう?
考えていたあたしの思考は中途でぶち壊された。
『黙れ! 捨てておけるなら、とうにそうしている! 厄介オンナめ!』
鏡の中のブランシュが怒鳴った。
「ひゃっ!」
思わず声が出た。お、驚いた。心臓が口から飛び出るかと思ったぞ。そして、あたしの声に応じるように、部屋の中のブランシュが叫んだ。
「誰だ!」
しまった!
中腰になっていたあたしは、慌てて立ち上がろうとしてバランスを失った。足下のレモンを踏まないようにと身体をねじったせいもある。
「あっ」
声をあげながら仰向けにひっくり返った。自分の尻尾を、お尻の下敷きにしてしまう。
いったぁ! しびれた尾てい骨と尻尾に手をあててうめく。
「あ……ぅ」
目尻に涙が浮いた。
その間、ほんの数秒ほどだったと思うけれど、万事休するには充分な時間だった。
キィ、と扉が大きく開く。
廊下に尻もちをついたまま見上げると、部屋の明かりに逆光になって白髪の少女が立っていた。無言のまま、あたしを見下ろしてる。
「あ。あの、そのこれは──ええとお」
「ユズハ、言い訳はやめておけ」
「あ、うん……」
レモンの言葉にあたしは口をつぐむ。あたしの脇に立ったレモンは、目の前のシィと、部屋の奥のブランシュを順に見てから、口を開いた。
「そろそろ、お互いに深い話をするべきだと思わないか?」
レモンの問いかけにブランシュは何も言わなかった。
代わりにシィが小さな声で言う。
「入って」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます