第4話 この異変、あたしの部屋の鏡だけなはずがない。

「とはいえ……どうやって話しかけよう……」


 食事を終え、与えられている自分の部屋に戻ってから、あたしはベッドの上で枕を抱きながら考えていた。

 シィという子と仲良くなりたい、とは思う。でも、あのふたり──ブランシュとシィときたら、ほとんど部屋から出てこないのだ。

 ほんと──あたしってば役に立ってない。ぼすっと枕に顔を埋める。

 たまに廊下ですれ違うことはあった。けど、シィは声をかける暇も与えてくれない。

 彼女はあまりにも無口だった。しかも氷のごとき無表情。

 もちろん、お城に降りかかる呪いはこうしている間も絶えずに続いていた。

 城中のガラス(といっても、地球で見る大きくて透明なガラスはほとんどないんだけどね)から、爪で引っかいたような音が聞こえてくる、とか。これが深夜から始まって明け方まで続いたので、みんなして寝不足になった。あたし、あの音きらいだ。

 あと、どこから出てきたのか、ネズミが大量発生した。野生に帰って追いかけまわす猫がたくさん出て、落ち着かせるのに大変だった。ネズミの駆除にも大忙し。

 呪いに振り回され、後始末におおわらわで、お城の猫たちも人間たちも、たいそう疲れている。

 ただ、今のところは誰も傷ついたりはしていなくて、だからあたしもこのときはまだ呪いに対して怪談話を聞かされている以上の感覚をもてないでいた。

 だからこそ、シィが気になる。


「どうしようかなぁ……」


 ため息ひとつ。 

 策がないではない。

 当たって砕けろっていう。部屋に乗り込んで直談判するのだ。あんたちょっとそこに座りなさいよ。話をしたいの──って。いやいや、これじゃ作戦とは呼べないか。

 シィにぴったりと張り付いている、あの占い師猫ブランシュも厄介だった。シィに誰も近づけようとしないのだ。どうすれば……。


「ユズハ様」

「ん? あ、セバスティアンさん」


 銀色のシャム猫、執事のセバスティアンさんが部屋に入ってきた。この執事猫さんだけは、頑として「様」を取ってくれない。執事としてそれはありえない──とか真剣な顔で言われてしまうと、無理に「さん」にしてくれとも言い辛かった。


「湯浴みの用意ができたとハナコが言っております」

「ありがと──ハナコさんは?」


 珍しい。いつもは世話をしてくれるのはハナコさんのほうで、セバスティアンさんはあたしにわざわざ言伝てにきたりしないのだ。執事猫さんは、そもそもレモンのお世話係なのだし。


「ハナコは……秘伝のアップルパイを焼いているところでして」

「わっ。美味しそう!」


 ハナコさん、実は料理上手だったりする。たぶん七十近いから、昭和の生まれだと思うのに、パイなんて焼くのか、意外だ。それともこっちに来てから覚えたのかな?

 キャイネ国の食事って基本は洋風だし。


「若い女は甘いモノが好きだから、と」

「あ。……ひょっとして、シィさんに?」


 あたしの言葉に、セバスティアンさんは苦々しげな顔つきになった。尻尾が落ち着かなげに左右に揺れてる。


「あの女、あまりに食わないから心配しているのです、ハナコが」

「らしいね」


 部屋に閉じこもってばかりとはいえ、お腹は空くはずだ。食事も部屋までわざわざ届けているのだけれど、毎日残してばかりなのだとか。あたしなんて、三食だけじゃ足りないのに。キャイネ国が食糧豊富な国で助かった。

 もっとも、たまに謎な料理があって不安になるけどね。美味しいけど何の肉かわからなかったりするのって、ちょっと怖い。

 それはともかく、あまりに少食なのを心配して、ハナコさんは得意のパイを作ることにしたってことらしい。アップルパイか。こっちにもリンゴはあるんだね。それとも、リンゴに似た何か別の果物なんだろうか。


「まったく、旦那様といい。何を考えているのだか」


 ぶつぶつとセバスティアンさん。不満そう。

 気持ちはわからないでもないんだけど……。


「シィさん、今でも細いのに。食べないなんて心配だね」

「そうですな」

『知ったことか』

「へ?」


 なんだ、今の?

 声が二重に聞こえなかったか?

 あたしはセバスティアンさんを見つめた。


「今の……」

「わ、わたくしは何も言っていません、ぞ」


 うん、違う。執事猫さんじゃない。声はこっちから聞こえたわけじゃ……。


『只飯ぐらいには、さっさと出て行って欲しいもんですな!』


 振り返った。声の方にだ。

 鏡があった。

 あたしはベッドの上にいて、枕を抱きかかえている。その姿が、部屋の隅にある大きな姿見に映っている。そこには重なるようにして、あたしの後ろにいる銀色の猫の姿がちょっとだけ映りこんでいたんだ。


『ハナコのアップルパイを、あのような胡乱な輩にやるなんて、もったいない!』


 ……鏡からだ。

 その罵倒は、姿見に映りこんでいるシャム猫の口から聞こえていた。


「セ、セバスティアンさん……」

「なななな、なんです! なんです、これはいったい!」

『ちっ。なんだよ、これ! 本音が駄々漏れじゃねーかよ! くそっ』

「セバスさんってば、やだ、口悪い……」

「わわわ、わたしは、このようなこと! まさか断じて──」

『思ってるだろ。言わせんなよ、恥ずかしい』

「ち、ちが──」

『ったく、イマドキの地球のメスガキはろくでもねーのばかりで困るぜ。少しはハナコの奥ゆかしさを見習──』


 そこで声が途切れた。

 セバスティアンさんが鏡に映らないように逃げたからだ。


「ほー。セバスティアンさんってば、メスガキとか。ひどくない?」

「ご、誤解ですぞ。ユズハ様」

「誤解かどうか。ちょっとじっくり話そうか」


 ベッドを降りて姿見のほうへ向かうふりをすると、セバスティアンさんは猛ダッシュで扉に向かって走った。逃がすか! あたしは三歩で追い抜いて扉をバタンと閉めてしまう。


「ユ、ユズハ様!」


 かりかりかり。扉を引っかくが、もちろん猫だから開けられない。

 ふっふっふ。


「こ、このような無体な」

「あたし、キャイネの人間じゃないもーん。地球のイマドキのメスガキだもーん」

「ぐ」


 自分の言ったことが返ってきて口をつぐむ。あたしはそのままセバスティアンさんを両手で抱えあげる。ジタバタしても無駄だよ。運動は苦手のあたしだけど、伊達にご近所の猫マップを作れるほど猫と付き合ってない。


「ちょ、ちょっと。待ってくだされ、ユズハ様! この体勢は!」


 ほーら、逃げられない。

 そのまま鏡の前に立った。腕に抱えた銀色のシャム猫が引きつった顔をしてた。


「真面目に話しあわなぁい?」

「ううう。ユズハ様ぁ。お慈悲を」

『おいおいおい。カンベンしてくれよ……』


 おお! 建前と本音が一致した!


「よーし。聞きたいことがあったんだ。ねえ。ハナコさんって、どうして使い魔に……」


 気になっていたことを尋ねようとして、でも、言葉の途中で、自分を呼ぶ焦った声と、扉をノックする音にさえぎられた。

 あたしは、すぐに気づいた。

 この異変、あたしの部屋の鏡だけなはずがない。

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