第7話 旅の占い師がひとり、城を訪れたのだ。

「それって、あの女の子のせいなの?」

「時期は一致している」


 ひと月前から、だっけか。


「だが、確証はない。それに、あの人間の女幽霊のせいだとわかったとしても、わかっただけじゃ意味がない。呪いを──魔法を止めないと」


 レモンイエローのきれいな毛並みをもつ猫は、はあとため息をついた。大皿ガメの皿の縁に前足をかけて、足の甲に顎を乗せている。ヒゲが心なしかへたれている。


「前の王だったら、呪い解きは得意だったんだけどな。親父は早く死にすぎた」


 死、という言葉にあたしはたじろぐ。現代っ子であるあたしには死は遠い。両親もまだまだ元気だし。祖母の死は記憶の中でもうおぼろだ。


「レモン……」

「だからあれほど落ちてるものを食うなと言ったのに。コンビニ弁当を漁って死ぬなんてのは王にあるまじき、だ。あのシュミだけは死ぬまで直らなかったな……」

「ち、地球で死んだわけ?」

「そう。……まあ、四十まで生きれば、早すぎとも言えないか」

「四十!? ちょ、それは長生きすぎない?」


 猫ってそんなに寿命が長かったっけ? 思わず叫んだあたしのほうを、ちらとレモンが見る。ん? なんか、あたしヘンなこと言ったかな?


「ああ、そうか。あのな、ユズハ。俺たち猫はキャッティーネじゃ成長がゆっくりになるんだ。だいたい、人間と同じくらい生きる」

「同じくらいっていうと、八十くらいまでってこと?」


 ああ、とレモンが頷いた。長生きだと百まで生きるらしい。


「だから、こっちで長く暮らしてもばれないんだよ」

「あ、なるほど」


 そういうことか。猫って生き物が賢そうに見えるのはキャッティーネ年齢を積み重ねているからってことだね。

 猫たちは、キャッティーネでは五倍くらいゆっくり成長するらしい。

 とはいえ、例えばこっちで十年暮らして、つまり精神的には十歳成長したとして。でも、身体的には二年くらいしか経ってないわけだ。歳のあまり変わらない猫が十年ぶりに姿を見せたら、それって気づかれないか?

 ということは、もしかして。


「こっちの世界のほうが歴史もゆっくり進んでる?」

「ユズハはバカじゃないんだな」


 レモンの言葉に一瞬むっとなったけれど、まあ、王様からのお褒めの言葉らしいから怒らないでおこう。

 ややこしいけど、だいぶ納得できた。キャッティーネの時間と地球の時間はやっぱり同期は取れていないんだ。

 それでキャッティーネの風景が、現代っぽくないことも説明がつく。この世界、見た感じはファンタジーのゲームでよく見るような森と畑と古めかしい建物ばかりの景色で、現代の猫たちが大量に行き来しているわりには古臭いなーと思っていた。


「ここからが本題なんだが」


 物憂げに前足に顎を乗せていたレモンが立ち上がる。

 あたしも噴水の石段の上で姿勢を正した。


「うん、どうぞ」

「俺は王として、この呪いから国を護らなければならない」


 王として、のところにレモンは力を込めた。

 青い瞳に強い光が宿っている。

 決意を秘めた猫の表情なんてものをあたしは初めて見たよ。

 なんて──実のところ、あまり茶化せる気分じゃなかったんだよね。

 あたしはレモンの瞳の力に圧倒されていた。

 十四年間の自分の人生の中で、あたしは「せねばならない」なんて強い意志を持ったことがなかった。日本で育った十四歳の平均的な中学生だったら、ほとんどがあたしと同じだと思う。

 とはいえ、レモンだって、一ヶ月前まで王子だったわけだ。あたしたちの世界で言えば成人前みたいなもんで、ようするに未成年。今なら少年Aで済む、の年頃。

 でも、ある日突然にして、国ひとつを背負わされた。

 あたしなら逃げ出してたかもしれない、逃げるのは簡単だったはず。こっちの世界に戻らずに地球に居つづければいいんだし。けど、レモンは逃げるつもりはない、のだ。

 あたしと同じような年頃のくせに──って、あれ?


「レモンってキャッティーネ年齢だと何歳なの?」

「地球時間で二年前に生まれた。けど、こっちだと、十三年は生きてるな」

「十三歳ってこと?」


 って、年下ですかー!


「一年の差じゃ、無いのといっしょだろ」

「いやそこ重要だし」


 なんのこっちゃという顔になるレモン。


「話を戻すぞ。この国に掛かっている強い呪いを解くには対抗するだけの力がいる。魔法には魔法を。だが、前にも言ったとおり、猫の魔法使いは万能ではあっても強力ではないんだよ。触媒がなければ強い魔法は使えない」

「触媒──使い魔が必要、ってことなんだね」

「そう。だから、強い魔法の力をもつ使い魔を探していた」

「あ、わかった。それで、あたしを使い魔に?」


 ようやく話が繋がった。


「違う」


 と思ったら、違った。


「あれあれ?」

「あのな。俺たちはキャッティーネにくればゆっくり育つけど、人間はそうじゃないんだぞ。事件が解決するまで、もし一年もかかったら、おまえたちは一年の寿命を失うのと等しいだろ」


 失うってのは違うんじゃないかな、とあたしは思った。その一年が消えるわけじゃないんだし。でも──そうか、キャッティーネでの暮らしが望まないものだったら、そう思ってしまうかもしれない。


「数十年に渡ってこの世界で暮らしてしまったら、たとえ地球ではその何分の一しか時間が過ぎなかったとしても、年老いた姿で戻ることになる」


 それは……逆浦島太郎だ。自分だけが老いた姿で元の世界に戻るなんて。

 周りを見回したとき、友達たちの中で自分だけが老いていたらと想像してみると、これは辛い。


「使い魔の契約は慎重に行うよう定められている。お互いの意志を尊重することが絶対の条件なんだ」

「あたしは、ハンコ押してないぞ」

「そうしなけりゃ、ユズハは死んでたって言ったはずだ。あのな。おまえが悪いんだからな。猫の道を通っている最中の猫の尻尾をつかむヤツがどこにいる!」

「だって」

「だって、じゃねえよ! ふつうは契約を済ませてから、こっちに連れてくるんだ。ユズハは勝手に俺の尻尾をつかんでこっちに来た。そのままじゃ身体が適応できなくて死んでたところだ。仕方なく、俺はおまえを使い魔にした。わかったか!」

「あう。わ、わかった」

「というわけでおまえが使い魔になったのはあくまで偶然だ。正式の契約を交わしたわけでもない。だから、最初はすぐに送り返すつもりだった」

「地球に戻れるの?」

「そのつもりだった。けど──」


 レモンがそこで珍しく言い淀む。あたしはなんとなく彼の言いたいことがわかっていた。


「戻れないの?」

「おまえがどうしても、というなら戻してやる。だが、昨夜の件ではっきりした。ユズハの魔法の力は並外れている。城中の魔法使い猫の魔法を暴走させて布団が吹っ飛ぶほどの力なわけだ」


 あのぉ、褒められてる気がしないんですけど。


「ここ一ヶ月で探した使い魔候補の中じゃ一番だ。だから……。お願いする。ユズハ、ここに残って事件の解決に手を貸して欲しい!」


 レモンが──猫の国の王が、頭を下げた。深々と。目をきつく瞑っていて、ヒゲがこころなしか震えているように見えた。


「うん。わかった」

「そうか、やっぱり無理か──へ?」

「わかったって言ったの。あたしに何ができるかわからないけど。いいよ。手伝ってあげる」

「マジか」

「マジです。うん。そこまで言うなら、やってみる」


 答えると同時に言わねばならない言葉があった。


「ありがとう」

「お、おう」


 軽く頭も下げる。つまり、あたしはレモンに命を助けてもらったわけだ。そのことが今ようやく実感できた。だったらちゃんとお礼を言うべきだって思う。


「あたしが悪かったんだね。命を助けてくれて、ありがと、レモン」

「わ、わかりゃ、いいんだよ、わかりゃ」


 言ってから、レモンはぷいと明後日の方を向く。照れてるみたい。

 うふふ。かわいい。

 色々とわからないことも多かったけれど、だいぶわかってきた。

 猫は魔法使いで、地球とキャッティーネを行き来できる存在であること。

 その猫の使い魔になれば人間もキャッティーネに来られること。

 猫の使い魔になった地球の人間は、ネコ耳とネコ尻尾が生えて、契約の証の肉球スタンプを押されること。

 そうして、猫の使い魔になった人間は、猫とともに魔法が使えるらしいこと。

 どうやらあたしの魔力は意外なほど大きいようで、猫の国で起こっている幽霊騒ぎや呪いの解決にあたしの力が必要らしいこと。

 正直、幽霊なんて怖い。呪いなんてもっと嫌だ。

 でもレモンのあの決意を秘めた目を見てしまうと、何となく断れないっていうか、断りたくないっていうか。

 うん、たぶんそう。

 やってみたい、のだ。


「あ、そっか。わかった。それで、契約の印がほっぺたなんだ。緊急だったから」


 あたしは自分のほっぺたにそっと触ってみた。そこには使い魔契約の証に、レモンの足あとがプリントされていて、ちょっとマヌケさんな顔になってる。

 この世界に来てから、猫の使い魔になっている人間を何人か見た。でも、使い魔の印である肉球スタンプがあからさまに目立った人はいなかった。何故だろうと思っていたけれど、双方の合意で契約が結ばれるのだとしたら、目立たないところに押してもらうことができる。

 あたしの場合は緊急だったから、目に入ったところに押したんだろう。

 納得した。


「いや、それは嫌がらせだ」


 ふふんと胸を反らせてレモンが言った。

 な、なんだってー!


「ひどいや!」


 思わず立ち上がって叫んでしまった。はずみでハンカチの上のお菓子が石畳に落ちる。


「ああ!」

「それもユズハのせいだな」


 にやり、とレモンが笑った。ま、まだ食べられるもん!


 城に帰ると、レモンは、あたしが正式に彼の使い魔になったことをみなに告げた。夜には、大勢の大臣猫たちの前で紹介された。

 円卓の周りにずらっと並んだ年老いた猫たちは迫力充分で。じろじろと遠慮ない視線をぶつけてきて、すこーし嫌な気分になった。猫たちをかわいいと思えなかったのは初めてだ。思うに、レモンはいつもこの視線にさらされているわけで、若い王様というのは大変そうである。


 ともあれ、こうして本格的にあたしのキャッティーネでの生活が始まったのだけど。

 次の日にはもう、あたしの決意は音をあげてしまった。

 呪いがひどい。

 ひどく疲れる。

 精神的にさ。だって、降りかかってくる災いといえば──。

 ミルクが一瞬で酸っぱくなる、とか。

 靴の裏にガムがいつのまにか付いてて動けなくなる、とか。

 巨大な毛糸玉が現れて、城の中をごろごろ転がる、とか(猫たちが追っかけ始めてしまって、その日のお城の仕事は全てストップした)。

 音楽が聞こえてきて、猫たちがいっせいに耳を伏せて布団の中にもぐりこんでしまったこともあった。よくよく音を聞いてみると三味線の音だった。

 立て続けて、そんなことが起きたわけ。

 そして幽霊の女の子だ。不気味な数え歌を歌いながら、お城のあちこちに現れては消えていった。

 こうした一連の出来事に、あたしとレモンは何もできなかったんだ。ふたりとも、ストレスが溜まりまくるったら。


「使えねーな、ユズハ」

「む。それはあたしのせいじゃないよ!」


 あたしはレモンに言ったのだ。

 起きる事件とレモンの魔法の相性が悪い。

 レモンの魔法は、運動能力を引き上げる、というものだった。キャッティーネに来たときのあたしの脚の力を強くしたみたいに。

 レモンが自分に魔法をかければ、例えばふつうの猫の何倍も高いところまでジャンプできるわけ。

 そして、同じ魔法をあたしにかければ──。


「ユズハなら、この城の屋根までだって跳べるはずだぞ。拳に魔法をかければ、たぶん壁だってぶちやぶれる!」

「でも、それって……今、必要な力?」

「う……」


 そうなのだ。レモンの魔法の力は、言うなれば体育会系の力であって、怪物でも出てきたってのなら撃退するのに大いに役に立ったろうね、っていう。

 けど、呪いとか幽霊とか、そういう実体のない事件にはまるきりこれっぽちも役に立たない──わけ。残念ながら。困ったことに。

 途方に暮れたまま三日が過ぎ──。


「拝謁を願い出ている者がおります」


 その朝、執事猫のセバスティアンさんが言った。


 旅の占い師がひとり、城を訪れたのだ。

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