第5話 あたしの言葉にも言霊が宿るってこと?

『市』は、お城の南にある噴水広場で開かれていた。


 差し渡しが百歩ほどもある円形の広場には、真ん中に噴水がひとつあった。身長みっつぶんほどの円錐の塔の天辺から水が噴き出すだけ、という単純な造りのものだったけれど、噴出する水の柱は屋台の屋根を越えて見えていた。

 噴水を取り囲むようにして、出店が並んでいる。それも円を二重にして、だ。

 円は、ところどころに切れ目があって、内側の円と外とを行き来できる。

 あたしとレモンは今、外側の円を歩いているところ。

 レモンは今日はあたしの肩に乗っていない。

 カメの上だ。

 大皿ガメ、というカメだった。セントバーナードほどもある大きなカメだ。甲羅が窪んだ皿状になっていて、レモンはそこにちょこんと座っていた。あと猫三匹ほどは乗れそう。ひょっとしたら、子どもだったら人間も乗れるかもだ。

 甲羅の皿は、本来は自分の子ども、つまり子亀を乗せるためなんだって。卵から孵ってから大きくなるまで乗せて運ぶらしい。


「なんで、いつもそれに乗ってないの?」

「大皿ガメは数が少ないんだ。卵をひとつふたつしか産まないからな。それに、あまり早くない」

「あ、なるほど」


 カメだけに、歩くほどのスピードしか出ない。そのほうがのろのろと見てまわるには都合がよかった。鼻の先に紐が縛ってあって、それを操って行き先を伝えるみたいだ。レモンは時折り紐を咥えてカメに指示を与えていた。

 あたしたちが歩いている両側には、ずらりと屋台が立ち並んでいて、こうして見ているだけでも楽しい。

 すれ違う人や猫の中には、王様であるレモンに向かって手を振ってきたり、ひと声掛けてくる者もいたけれど、数は多くなかった。気づいていても放っておいてくれている、そんな感じ。

 気づいているんだろうなってわかるのは、ちらちらとこっちを見てくるから。

 市場は賑わっている。

 威勢のいい物売りたちの声とどこかからの笛の音とが、混ざりあって聞こえてくる。甘ったるい飴や焼き菓子の匂い。食べ物の匂いが鼻をくすぐる。市場らしくもちろん新鮮な野菜や魚もたくさん売っていた。

 店を出しているのは人間だけのことも、人間と猫と両方のこともあった。

 ま、猫たちったら、たいてい売り棚の隅で寝ているんですけど。


「働いてないなー」

「猫に何を求めてるんだ、おまえは」

「いやだって──ずるくない?」


 なんという働かないご主人様かと。確かに猫が売り子をしても、お釣りのやりとりひとつ大変そうだけどさ。猫の手も借りたいって言うじゃんか。


「ずるくない。それに、ちゃんと働いているのもいるぜ、ほら」


 レモンが顔を向けた先にいたのは猫のパフォーマーだ。

 背中に白いメッシュの入った黄緑色の猫が大玉乗りをしていた。玉の上で器用にも立ち上がったり、逆立ちしたり。お約束どおりにつるっとすべって落っこちる──と見せかけて立ち直ってみせたり。拍手が沸いた。


「さ、猿回し……」

「ちげーよ! 見ろよ! 誰も操ってなんかいねーだろ!」


 レモンがわめいた。しかし、王様にしてはレモンってば、いささか口が悪すぎないか?


「ユズハのせいだ!」

「えー?」


 なんと理不尽な。

 なんてやりとりをしている間にも大玉乗りは続いていた。確かにレモンの言うとおりで、猿回しの猿には必ず猿使いが隣にいるものだけれど、その猫はたったひとりで黙々と芸をしている。おっとっと、なんて言いながらね。

 最後にぴょんと飛び降りると、用意してあった帽子を咥えて歩いて回る。

 小銭があちこちから飛んできて帽子に入った。


「ユズハにとっては、珍しいものも売ってるぜ」


 レモンが言った。

 三つ先の屋台では手のひらに載るほどのガラスの小瓶がいくつも並んでいる。

 売り子は、灰色猫とおじさんだ。


「魔法瓶だ」

「は?」


 なんですか、それは?


「見てりゃわかるよ」


 と言われたので、見た。

 口の周りが髭だらけのおじさんが、小さな小石を摘んだ。どこにでも転がっているようなふつうの石。

 髭おじさんが石を見つめながら言う。


「小石」


 それに応えるように灰色猫が言葉を発した。


「こいし」


 灰色猫の放った言葉は、少し、おじさんとイントネーションが違ったけれど、何の意味があるんだろう。

 そして、ふたりそろって同時に言った。


「「こいし」」


 言葉は重なりあって、不思議に心をざわめかせる響きをもっていた。

 おじさんが摘んでいた石がかすかに光る。白かった小石が淡いピンク色に染まった。ピンクの小石をガラス瓶の中に放り込んで蓋をする。赤い糸で口を縛った。


「お守りだよ。あれは恋愛成就かな」

「はい?」

「持っていると恋が叶う──かもしれない」

「恋、ねえ」

「魔法ってのはようするに確率操作だからな。言霊を封じ込めたアイテムってものを甘くみないほうがいい」

「そう言われましても」


 何が起こっているのやら、さっぱりわからないのですが。言霊って──あれか、言葉には魂が宿るっていう考え。言葉。言葉ねぇ。

 そこで唐突に閃いた。


「あ、わかった。『恋し』だ」


 灰色猫のイントネーション! つまり、『小石』と『恋し』を掛けているっていう。

 なるほど、それで恋愛成就祈願のお守りか。


「って、また駄洒落かい!」

「掛け言葉は魔法の基本だぞ」

「うそくさーい!」

「あのな。ユズハ」


 真面目くさった顔でレモンが言った。


「布団が吹っ飛ぶのと、どっちが嘘くさい?」

「う」

「人間たちは現実を反映して言葉が存在すると思っている」

「ちがうの?」

「違うね。言葉に現実は縛られるんだ。そして、魔法使いの言葉には力がある。ああして、言霊を込めたアイテムには世界に働きかける力が宿る。小さなもんだけどな。俺とおまえだったら、もうちょい強くなるかもだが」


 そう言われて、あたしは昨夜のレモンの台詞を思い出していた。


 言ったろ。おまえは魔力が強いってさ。


 つまり──、

 あたしの言葉にも言霊が宿るってこと?

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