ハルハモウスグ
衣花実樹夜
ハルハモウスグ
ぼろい校舎の中、僕は一人部室に向かう。部室と言っても実に手狭なところで、僅か六畳程度の広さしかない。いや、実際部員は僕一人なので、それでも十分に広いと言うべきだろうか。
僕の所属している部活は相談を受けてそれの解決に動く、という物語にありがちな設定の部活だ。僕はただ私利私欲のためにやっているだけだから、追及はしないで欲しい。
話は変わるけど、僕はこんな話し方をするので、面倒臭がりだと勘違いされることがしばしばある。だけど、僕は努力するのが好きだし、している人を見るとすごく応援したくなる。というか、面倒臭がりは部活に入らないしね。ましてや、活動内容が相談された内容の解決に動くなんて言う部活にひるわけがない。
部室の前に立ち、横開きに扉をガラガラと開ける。さて、依頼者は……。と探すまでもなく、いた。そりゃ、六畳ほどしかないんだから、人がいるかどうか分からない方がおかしい。
本日の依頼者は、とてつもなく眠そうな顔をした少女だった。黒い髪が目にかかるぐらい伸びていて、整えるのも面倒だと思っていそうな顔をしながら机に突っ伏している。確か名前は
「
切原さんが僕に問いかけてきた。体勢が変わらないから、切原さんはあんまり動きたくないのだと察する。切原さんには、怠惰という称号がぴったりだろう、と心の中で密かに思った。
僕は切原さんの問いに対して頷いて、彼女の向かいの椅子に腰掛ける。この狭い部室には、長机が真ん中に置かれていて、椅子が両側に二つずつ置いてある。僕は相談者の向かい側に座って、そう表情を見ながら話を聞くことにしているのだ。
僕はいつものように切原さんの情報を脳内から引っ張り出して来て、彼女が僕に相談したいことを予測しようとした。
が、
「私に勉強を教えて、篠宮くん」
先に相談内容を言われてしまい、僕の思考は中断された。
確かに、切原さんはテストで赤点を取りまくっている。学年末テストが二週間後に迫った今、切原さんの相談事といえばそれぐらいしかないのは明らかだった。なんせ、切原さんは今回のテストで赤点を一つでも取ってしまったら留年確実なのだ。
「全教科赤点を回避して、進級したいってことでいいのかな?」
僕の問いに、切原さんはゆっくりと首を縦に振った。しかし、僕は続く言葉に声が出なくなる。
「いろんな人から、先生に質問に行くより篠宮くんに教えてもらった方が良いって言われたから」
切原さんははっきりとそう言った。
けれど、そんなことは絶対にないと思う。毎度のことなのだが、他の人たちの僕への信頼度は異常なまでに高い。僕は決して教えるのが上手なわけではないのだ。だから、そんなに信頼されても僕はただ困るわけで。前にこれをクラスメイトに言ったら、「お前のそれを認めちまったらオレらは先生たちを先生と呼べなくなっちまうよ」と返されてしまったが、きっと僕のことを少しでも持ち上げようとしてくれたのだと思っている。
喉がサボタージュを辞め、声が出せるようになった時、僕は前置きのように切原さんに言った。
「僕で良ければいいけど、そんなにおすすめはしないよ?」
その僕の問いに、切原さんはいつの間にか鞄から出していた数学の教科書とノートを開きながら、はっきりと、しかしどこか冷めているような声音で答えた。
「うん。期待は……まあまあしてるから」
それから二週間、テスト前日の日曜までもを使って、僕は切原さんとテスト勉強をした。切原さんはとても飲み込みが早く、分からないところも徐々に消化して行った。
テスト本番、僕はいつものようにいつものごとく三十分で問題を解き、十五分で解き直し、残り五分で見直しをした。切原さんの方も、なんだかとっても満足できる結果が出たようだった。
テスト最終日の金曜、帰りの支度をしていると切原さんが僕のことを呼びに来た。お礼がしたいとか何とか言われたので、僕はおとなしく町に連れ出された。
入ったのは小さな喫茶店で、僕が名前を知らなかったので、たぶん知る人ぞ知るっていうお店なんだと思う。戸惑う僕を引っ張って来て何かを注文し、気付いた時には目の前に紅茶とケーキが並べられていた。ケーキはモンブランで、紅茶はアールグレイのホットだった。
「さ、今日は私がおごるから、食べて」
切原さんが落ち着いた声音で言う。
僕は切原さんと話すのも今日が最後になるのかな、とか思いつつ、まずアールグレイを口に含む。
「おいしい」
思わず口に出てしまっていた。この店の紅茶はとても美味しい。しっかり覚えておこう。また今度来た時には他のお茶も試さなければ。
僕のその反応に、切原さんはとても満足したようだった。ちなみに、この時始めて僕は切原さんの笑顔を見た。
モンブランにも手をつける。とても美味しかった。どのぐらい美味しかったのかというと、とりあえず今までに食べたことがないぐらい美味しいモンブランだったといえるぐらい美味しかった。うん、自分の語彙力のなさに呆れるね。
「運命の赤い糸って、あると思う?」
唐突に、切原さんが話を振って来た。
運命の赤い糸? 何でまたそんな話を。ちなみに正直に言うと、僕はそういった類のものは一切信じていない。だって、運命なんて決められたものに縛られるなんて、僕は嫌だから。
「僕は……ないと思う。けど、あって欲しいとは思うかな」
無難な答えを返した。若干の嘘が含まれているけど、まあ別に大丈夫でしょう。嘘も方便って言うしね。
切原さんは僕のその答えに対して、
「そうだね、私もあって欲しい……かな」
と、僕の意見に賛同してくれた。本当に、今の質問には何の意図があったんだろう。
喫茶店を出たところで、切原さんが僕に頭を下げてきた。
「本当にありがとう。たぶん留年はなくなったと思う。篠宮くんのおかげ」
「いやいや、君の実力だよ」
僕は大真面目にそう返す。僕がどんなに空回りしたところで、切原さんのテストの点数は上がらなかったはずだ。点が取れたのだとしたら、紛れもなくそれは彼女自身の実力なのだ。
「ううん、篠宮くんのおかげ」
切原さんは引いてくれそうにないので、僕はそれに甘んじることにした。
どうせ、月曜には切原さんに僕と仲良くした記憶など残っていないのだから。
翌週の月曜日、早速テストの返却があったようで、切原さんのクラスでは彼女がクラストップの成績だったことに皆驚いていた。昼休みに教室をのぞいてみると、みんなに囲まれた切原さんがいた。
「雪奈、こんなに勉強できたんだ。誰に教えてもらったの?」
「……え? うーん、誰かに教えてもらった気がするけど、……あんまし覚えてない」
「ふーん。まあ、留年回避できてよかったじゃん」
その会話が耳に飛び込んできた瞬間、僕はやっぱりか、と思ってしまった。誰も、僕と何かを一緒にした記憶が残っていないのだ。僕と一緒に過ごした記憶や、話した記憶があいまいになり、消えてしまう。残っているのは、それによって得た結果のみ。
最初の頃は僕も戸惑った。だけど、小学校に入って二カ月もしたら、いろいろと諦めがついていた。そこからずっと、僕はいろんな人の相談に乗っている。いろんな人の悩み事を解決している。自分のただ一つの目的のため。僕のことを記憶にとどめてくれる人を探すため。
結局、喫茶店で切原さんがしてきた質問の意図は分からずじまいだ。それは僕ではない彼女の心であり、彼女の言葉だから、僕が理解することはない。あの時の彼女の質問の意図を、いつになっても僕が知ることはない。永遠に、僕は理解することができないのだ。
そんなことを考えていると、いつの間にか僕の目の前には慣れ親しんだ地学準備室の扉があった。この中に、誰かいるのだろうか。その人は、僕のことを記憶に残してくれるだろうか。そんな秘かな期待を胸に、僕はゆっくりとその扉を開いて、中をのぞき込んだ。
ハルハモウスグ 衣花実樹夜 @sekaihahiroiyo
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