HALF MOON

あげびたし

プロローグ

 太陽が傾き街中をオレンジに染めていく、長くなった影を引きずり、大通りを進む足取りは何時もより少し軽かった。

ご機嫌とはいかないが、着ている特注のスーツの襟を直し、頭に乗せたハットの位置を確認する。

そうやって上機嫌にアスファルトの歩道を進んでいると、キツネの親子が前からやってきているのが見えた。

安くは無いが、高くも無い。娼婦程では無いが、少し派手めな丈の短いドレスを着た母親の手をしっかり握った狐の子供は、俺の姿をみると耳を垂らして母親の影に隠れてしまった。


「あらブルーじゃない。最近見なかったわね」


 母狐は子供の事など気にしないように話しかけてくる。自分の容姿が子供からすれば恐ろしいなんてのは、十分承知だ。


「最近忙しくてな帰ってこれなかっただけだ。ギズモは、かわらねぇな」


 肩を竦めながら、母親に隠れた子狐を見下ろす。というより、俺からすればどんな奴も大概小さいもんだ。

急に名前を呼ばれた子狐は、少し震えながら顔を出すもすぐに引っ込んでしまった。


「ホントこの子には困ったもんだよ。まーったく臆病でさ、ちょっとでもお父ちゃんの血が入ってんなら、もっとシャキッとしてほしいもんだね。ホラ!挨拶しないかぃ!」


 そう言って無理やり子狐を前に出す母狐。尻尾を足の間に挟み、胸までもってきた子狐は尻尾の毛先を弄りながらも俯いたままこちらを見上げている。

上等な服だ。スリングで吊るされた黒いズボンと真っ白なシャツ。おまけに赤い蝶ネクタイ。どれも地味ながらもセンスが良い。


「ギズモ、いい服じゃないか。お母ちゃんに礼は言ったか?」


 子狐の目線まで腰を下ろした俺は、怖がらせないように努めて笑顔で話しかけた。

だが、何が不味かったのか凄い勢いで首を縦に降った子狐は、また同じ位置に戻ってしまう。


「アンタ、相変わらず笑顔ヘタクソね。そんなんじゃ怖がるに決まってんじゃない」

「そうか?会心の笑顔だったんだが」

「ブルーの牙見たら誰だって怖がるわよ、アタシだってちょっと怖いもの」


 呆れた声でそう言われる。道端に止まっている車のミラーに映った自分の顔。確かに厳つい、それを笑顔にしてみる。

たしかに片方の口の端を思いっきり引き上げれば、その凶悪な牙が覗いていた。


「はぁ、気をつけるさ。じゃぁな」

「あら、これから何処か行くのかい?時間あったらウチにもきてよ。サービスしちゃうから」


 その言葉を背中で受けながら、片手を振って別れる。

上機嫌だった気分に少しケチがついたが、この後のことを考えれば、少しは気分も晴れてくる。

懐から葉巻とジッポを取り出し、先を千切って口に咥え火を付けた。仕事先から貰ったものだが、中々良い葉を使っている。メープルの香りが気持ちを落ち着かせてくれた。

煙を吐きながら思い出す。あの店に行くのは2ヶ月ぶりだ。すっかり暗くなってしまってはいるが、そもそも夜しか空いてないから問題は無い。春にしては少し肌寒いが、毛皮が厚い分これぐらいがちょうど良いだろう。

大通りから外れ、何本も曲がり角を超えた先。裏通りのショーパブや風俗店が見えてくる。道の至る所に居る客引きのサル、ホストらしきネコ、喧嘩するイヌ。

どいつもこいつも、喧しい連中だ。


そんな裏通りの一角、ピンクのネオンがギラギラと主張している建物の看板の下。

黒いレザーのジャケットとホットパンツを履き、ロングブーツでその長い足を隠したチーターの女性がいた。俺はあのテの服装が大嫌いだ。

流し目でこちらを誘ってくるが、あいにくと俺の用はこの建物の地下だ。

相手の視線をハットを目深に被り直すことで遮断し、加えた葉巻を握り潰して放り投げる。そして、その建物のすぐ横にある下り階段へ足を向ける。

地下への階段の先の扉は、どんな大柄な奴でも入れるような巨大だ。その扉に吊るされたプレートには「オープン」と書かれた店の名前が入った札。

遠慮なくドアを開けると、カウベルの音が響き静かなBGNが耳に入る。

上の喧騒とは無縁の何時もの雰囲気だ。俺以外の客はおらず、見えるのはカウンターの奥の主人だけ。


「おぅブルーじゃねぇか。久しぶりだな」


 迷彩柄のシャツに、黒のエプロンをつけた店主のカワウソが話しかけてくる。決して広くはない店内で器用に動く店のマスターだ。

何より、俺の顔を見るなりすぐグラスにウイスキーを注ぐ手並みは見事なもんだ。


「ダンは元気だったか?あいかわらず閑古鳥だな」

「テメェは冬眠ボケで暴食してるんじゃねぇのか?」


 そんな憎まれ口を叩きあい、頭の上のハットを取りながらカウンターの席に座る。

グラスの半分に注がれたウイスキーと一緒に、小さい黒い壺が出されている。

分かってるじゃないか、と内心の喜びを顔に出さずにその壺の中身をグラスに注ぐ。

ドロリとした琥珀色の液体がウイスキーに混ざり、カランと氷が溶ける音が響く。


「オメェのためだけなんだぞ?こんな飲み方する奴は他にいねぇや」


 そんな苦笑混じりの声には目もくれず、グラスの中身を自分の爪で回した後に一気に煽る。度数の高いウイスキーが喉を焼くが、その後にくる蕩けるような甘さ。なんと上等な蜂蜜だろうか。アルコールに全く負けていない、しかし勝ちもしない。

良い、とても良い。

やはり仕事納めはコレに限る。なんとも言えない充実感が胸を流れて行くのを感じながら、グラスにウイスキーを注がせる。

もう何も言うまいといったため息を漏らすダンが、ウイスキーのボトルを隣に置く。

そんな様子を横目に、次の一杯に蜂蜜を垂らそうとしたその瞬間。壺は何者かに横取りされてしまう。


「お前、まーたこんなガキみたいなモン飲んでんのかよ」


 視線を上げればヨレた黒いスーツを更に着崩し、咥え煙草をしたオオカミが立っていた。しかし服装とは真反対によく整えられた毛並み、尖った耳が頭のハットを突き抜けている。

こんな事を俺にする奴は一匹しか知らない。


「返せ、カート。仕事上がりはコレに決めてんだ」


 オオカミは軽く笑いながらその壺を帰し、自分はジンの入ったグラスを受け取っていた。

奴はハイイロオオカミのカート。

俺の幼馴染で飲み仲間。いわゆる腐れ縁というやつだ。


「しっかしよぉ、蜂蜜ウイスキーなんて飲み方。お前ぐらいなんじゃねぇの?」


 ほっとけ、なんと言われようが俺はコイツが好きなんだ。

そう思いながら顔の高さまで持ってきたグラスに映った自分の顔を見る。


真っ青な目のヒグマが、こちらを睨んでいた。

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HALF MOON あげびたし @Umetyduke_

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