眠くなる絵

安路 海途

眠くなる絵

 その画伯の絵を見た人間は、誰でも眠くなった。

 展覧会が開かれると、人々はその絵の前で、あたかも羊の群れに会ったかのごとく眠りこけた。当然、これでは絵を見る人間などいない。画伯の絵は人々の生理的欲求を満たしはしたが、芸術的希求を叶えることはなかった。

 画伯は非常に不満である。

 絵描きが絵を描くのは、人にそれを見てもらうためである。見られない絵など、存在しないのと同じだ。画伯は存在しない絵を苦労して仕上げたのではない。それはもちろんである。

 人々が我が絵の前で眠りこけるのを見続けた画伯は、とうとう怒り心頭に発し、このままではおかぬ、と決意した。何としてもオレの絵を世間の奴らに見せつけてやる。

 それにはまず、彼の絵の催眠効果について精査せねばならぬ。

 手はじめとしてここに、憐れな一人の画商が呼び出された。彼の絵の扱いを一手に任された、気の弱い中年太りの男である。財布の中には常に娘の写真を大事に挟んでおいて、年中必要もない心配に胃を痛めている。

 アトリエに呼び出された画商は、大して暑くもないはずなのに額をハンカチで拭っていた。

「いったい何ですか、先生?」

 画商はこの気難しい画伯が何を言い出すのか、内心では戦々恐々だった。そうでなくても画伯の絵が売れなくて困っているところなのだ。不眠症の人間以外、いったい誰が見ると眠ってしまう絵など買うものか。

「用というのは他でもない、オレの絵のことだ」画伯は重々しく口を開いた。

 さあきなすったやっこさん、と臆病な画商は思った。「いや先生、先生の絵に決してけちをつけるつもりじゃありませんが、それは難しいところですよ」画商は矢つぎばやに言葉を発した。「先生の絵は非常に優れたもんです。世間一般でもそのように評価されています。私もそう思います。しかしですね、どんなに価値のある芸術だって、その前で眠ってしまうんじゃ何にもなりません。ですからそんな絵が売れないからといって、それは私のせいじゃありませんよ。いや、私が努力を怠っているというんじゃありません。しかしですね、昔から言うじゃありませんか。無い袖は振れぬ、篩を使って水は汲めぬ、と――」

 画商の長広舌を、画伯はいらいらした面持ちで耐え続けた。その言葉が終わるや、画伯は一喝した。

「オレは貴様の責を問うつもりでここに呼んだんじゃない!」

 気の弱い画商は平身した。

「――しからばその、何の御用で?」

「もちろん貴様も言う、オレの絵のことだ」

 ここで画伯は説明した。人々はオレの絵を見ると眠る。だから絵を見ることができない。見られない絵など絵ではない。ならば解決策は一つ。鑑賞者を眠らせないようにすることだ。

「しかし、どのようにして?」画商は首を傾げた。

「それをこれから貴様で実験するのだ」

 こうして憐れな中年男を使っての実験は開始された。それ見たことか、と画商は深くため息をついた。

 ――その前に、読者の便のために簡単な解説を加えなければならない。

 まず、画伯の絵を見た人間は眠ってしまう、これが問題の出発点である。

 ここには例外が一つある。画伯自身はその絵を見ても眠らない、ということだ。ある意味では、これは当然かもしれない。そうでなければ絵を描くことなどできるはずがない。

 次に、どのような状況で眠ってしまうのか。その前に立っただけで眠ってしまうのか、一目見ただけで眠ってしまうのか? この答えはどうやら、それを絵であると認識した瞬間、であるらしい。だから例えば、絵が超高速移動する架台に乗せられて瞬間的に目の前をよぎる、というような場合には、鑑賞者が眠りにつくことはない。もっとも、それを鑑賞と呼べるのならば、の話ではあるが。

 また、写真のような二次的資料においても、やはり催眠効果は発動される。種々の催眠状況と照らしあわせて考えてみると、この事実は、それを絵として認識することが鑑賞者の睡眠条件になっているため、と推論することができる。

 以上のような細々とした観察は他にも存在するが、水場の黒カビのごとく煩瑣になるためここでは省略しよう。読者には大がかりなイメージだけ持ってもらい、他の疑問についてはその都度説明を加えることとする。問題の解決は結局のところ、画伯の発言どおり鑑賞者を眠らせないようにすることにある。

 では、実験の話に戻ろう。

 画伯はともかくも、睡眠を生理的な問題としてとらえた。人の眠りとは、生理現象に過ぎない。つまりは単純に、眠れない状況を作ってしまえばよいのである。

 手はじめに、水責めが行われた。睡眠、または導眠時に水をかけ、無理矢理に目を覚ましてしまうのである。

 確かに、これによって覚醒を強制することはできた。だが水をかけられながら鑑賞することなどはできないし、絵に水がかかってしまう恐れもある。それに、あらためて絵に向かったときには、百年一日のごとくにやはり眠ってしまう。

 画伯は、汚れた靴下よろしく床に転がる画商に向かって水をかけ、次の実験へと移った。

 水責めの次は、当然ながら火責めである。これには火熨斗を使った。つまりは、電気アイロンである。

 描写は避けるが、これもまた失敗だった。おかげで画商は数日のあいだ水ぶくれに悩まされ、ろくに風呂につかることもできなかった。

 その他、電気信号、振動、一定以上の物理的衝撃、光源、音響、薬剤、はてはセロハンテープによる目蓋の強制固定まで実施されたが、どれも益するところは寸毫もなかった。画商の体(と、おそらくは精神)に深甚一方ならぬ傷を残すばかりで、肝心の絵の催眠効果については如何ともしがたい。

 だが憐れな画商についてこれ以上筆を尽くすことはあるまい。実験はことごとく失敗だった、とだけ言っておこう。すべての試みは空しかったのである。この話はたった一言、憐れな画商に対する拷問に終始した、とまとめてしまうことができる。結果的に見れば、現状打破のための有効な手段は何一つ発見されなかったのである。

 事ここにいたって、画伯は絶望の淵に立ち、酸素ボンベも用をなさぬその深みに沈み、ついには筆を折って望みを断ち、ハローワークへと通うことになった――のであろうか?

 いや、そうはならなかった。画伯は諦めなかったのである。山頂に向かって岩を転がすシーシュポスのごとく、不屈の闘志を燃やし、神をも呪わんばかりの気焔を上げた。詳しくはカミュを読め。

 ともかくも、彼は新たな方途を求めた。

 まずは、その絵を見ても決して眠らない人間を探すことにした。黒人、白人、黄色人種、あらゆる国籍、あらゆる年代、身体的、精神的疾患の諸種、有象無象の職種にある人々、左翼右翼無政府主義者コスモポリタンユマニストエコロジストフェミニスト、貴族平民、士農工商、戦う人祈る人働く人、たまたま地球にやってきた宇宙人。

 だがその誰もが、彼の絵の前では眠りこけた。その光景は、人類史上これほどまでに万人に対し平等であったのは、死のほかにはあるまい、というほどである。

 例外として眠らなかったのは、動物たちだった。彼らには絵を解するほどの高次の知能は備わっていないのだろうか。それはわからぬ。人とは異なる錐体細胞を持つ彼らは、そもそも絵が正しくは見えないのかもしれない。その証拠に、白山羊と黒山羊にいたっては画伯の絵を餌か何かと勘違いする有様だった。

 いくら眠らないからといって、これでは絵を見たとはいえない。画伯はこのような寒々しい鑑賞者は御免だった。また動物たちのほうにしたところで、やはり御免であったろう。

 画伯は徹底した調査研究をさえ行った。有名な物理学研究所に自身の絵を持ち込み、分析を依頼したのである。

 だが分析は困難を極めた。何故なら、絵を見た人間は眠ってしまうからだ。

 それでも、絵の具の質量分析からはじまって、画布、画筆の調査、CTからMRI、レントゲンまで使ってのあらゆる解析が進められた。だが画材はどれも一般的なものであり、何ら異常を認められるものではない。

 そこで、実験の手法が変更されることになった。形而下的というよりは、形而上的に。

 ――いったい、絵とは何であろうか?

 画伯の描いたものを見ると、それが何であれ眠ってしまうのか。例えば、絵とは呼べないような代物だったとしても。まずは一本の線を引き、次第にそれを複雑化する。どの程度の段階に達したところで、鑑賞者は眠ってしまうのか。

 ――見るとは、そもそもどういうことなのか?

 実験者はここで、完成した絵を使い、それを写真に写し撮った。前にも言ったとおり、写真といえでも鑑賞者は眠ってしまう。しかし、その写真を次第にぼかしていけばどうなるのか。いったい何の絵か分からぬほど形を崩しても、鑑賞者は眠りにつくのか。

 こうした実験の数々は、あるいは興味をそそるものかもしれないが、ここでは紙幅の都合、話の展開からいって割愛することとしよう。残念ながら、「描画次元における非可換的論理積とその最適化された演算子が……」などという話を聞かされても、それこそ眠くなるだけであろう。

 過程を大幅に端折って結論だけいうと、実験はどれも有効な解決法を提出するにはいたらなかった。あの憐れな画商と同じく、絵を見た人間はやはりどうしたって眠らざるをえないのである。

 画伯はここにいたって、悄然として力なく肩を落とすしかなかった。いったいいかなる運命の不思議、神の悪戯が、このような事態を招いたのであろう。ただ己の絵を見てもらうというそれだけのことが、何ゆえにこのような不可思議を引き起こすのだろう。

 思いあまった画伯は、たまたま路地裏で出会った占い師にさえ相談してみた。もじゃもじゃの白髪頭をした、怪しげな老婆だった。毒りんごを持っていないのが不思議なくらいである。

 彼女は画伯を一目見るなり、すべてを見透かしたように声をかけた。

「そこな人、お前さんには何か悩みがあるのであろう」

 冬の枯れ木よりなお精彩を欠いた画伯を見て、悩みがないと思う人間のほうがどうかしているのではあろうけれど。

「お前さんの悩み、特別にわしが占ってやろう。いやいや遠慮などいらぬ。それがわしの役目ゆえ。もちろんお布施をしたいというなら、受けとってやらぬということはない。さあどうぞ、さあさあどうぞ」

 画伯は憑かれたように占者の前に座った。老婆は筆に書くのさえはばかられるような奇怪千万な器具類を前に、画伯の呪われた運命を占った。

「お前さんにはある重大な悩みがあるね」老婆は水晶球をのぞきこんで言った。

「それは聞きました」

「その原因は一匹の猿にある」老婆は続けた。

「どんな猿ですか?」画伯は胡乱げに訊いた。

「そんなことわしは知らぬ」老婆はにべもない。「とにかく猿じゃ。間違いない、いかにも猿っぽい顔をしておる」

 もしかしてそれは目の前の水晶に映ったあなたの顔なのでは、とはいかなる人畜有害でもよく言わぬところだった。

「その猿にはどこで会えますか?」画伯は訊いた。

「鏡を見るがいい」

 どうやら時間の無駄だったらしい。人畜有害の老婆のようだった。画伯は五百円玉を一つ置いた。

 いかなる手段を持ってしても、画伯の絵の秘密は探れそうになかった。このままオレの絵は誰にも見られることなく終わるのか。古代人の落書きさえ珍重されるこの世の中で。ああ、そんなのはあんまりではないか。これでは絵を描く意味などどこにもない。

 そう思った画伯の頭に、ふとひらめくものがあった。いや、それをと呼ぶにはふさわしくないであろう。画伯は疲れていたのである。病者が幻覚に惑い、漂流者が波飛沫を船影と間違い、数学愛好家が見込みのない証明を正しいと信じるがごとく。

 まあこの際、それが何であったのか、などということはどうでもよい。

 画伯が思いついたのは、「絵に絵を見せてやろう」ということだった。おそらく心身ともに限界だったのだ。彼を責めてはいけない。

 洗面所から一枚の鏡を持ってくると、画伯はさっそく絵の前にそれを置いた。光の直進性にしたがって正しく像を映しとった鏡には、確かに同じ絵が存在した。ちなみに、鏡に反射させても催眠効果があることは実証済みである。

 さて、この茶番の結果、いったい何が起こったのであろうか。

 まったくのところ、それは画伯自身が何の期待もしない行為だった。というより、この行為にいったいいかなる意味が認められるだろうか。紙幣を鏡に映せばそれが増えるとでもいうのか。自分の顔を映し続ければ、鏡のほうがそれに耐えかねて砕けてしまうとでもいうのか。

 だがここで、思いもよらぬことが確かに起こった。

 しばらくして、画伯は絵のそばで何か変化が起きはじめていることに気づいた。まるでカメラがピントをあわせようとするとでもいうか、霧の中から何かが凝集して形を成そうとしているとでもいうか、ともかくそこに何らかの形態が出現しようとした。

 ポラロイドカメラの感光よろしく、数分もたたぬうちに、そこにははっきりとその姿が現れていた。

 それは一言でいうなら――猿に似ていた。

 全身が毛に覆われ、手足が不釣合いに長い。体は人間の大人の半分ほどしかなく、痩身矮躯。顔はまさしく猿のごとくに皺がよって、赤味がかっている。尻からは丁寧に尻尾も生えている。

 猿はどうやら、眠っているらしかった。絵を絵として認識すれば、どんなものでも眠ってしまう。その通則はここでも有効なようだった。

 画伯はことのなりゆきにやや呆然していたが、ふと我に返って猿を揺り起こした。あまり毛並みのよくない猿だった。蚤でもいるのではなかろうか。

「起きろ、貴様。さっさと起きんか」

「う、うーん……」

 猿はそれが生物である証拠に、わずかに身をよじった。

「貴様は何者だ。どうしてオレの絵の中から出てきた?」

 乱暴にその体を揺すると、猿はその目蓋を開いた。はじめ、猿は状況を理解できないようだったが、画伯の顔と、絵と、鏡を見るうちにすべてを悟ったらしい。一目散に絵の中へ戻ろうとした。

 が、画伯の手がすばやくその尻尾を捕まえてしまう。電光石火の早業だった。このような怪しげな奴輩やつばらを逃す道理はない。画伯は万力のごとき力で持って、手を握りしめた。

 ここにいたって、猿はもはや観念したらしい。

「言うよ、何もかも言うからその手を離してくれ。大事な尻尾をそう乱暴に掴まれてちゃかなわない」

 画伯は用心しいしい、その手を離してやった。発言どおり、猿は逃げなかった。つかまれていた部分を、汚いものでも払うようにさすっている。

 いささか混乱したままの頭で、画伯は訊ねた。

「貴様はいったい何者だ?」

「オレかい、オレは悪魔さ」猿は気障らしく言った。

「悪魔……?」なるほど、世の悪魔というのはこういう姿をしているのか、と画伯は思った。今度、絵に描いてみるか。「しかしその悪魔が、何故オレの絵の中にいる?」

「そいつは少々、難しい質問だな」猿、もとい、悪魔は答えた。「本当のところはオレにも分からんね。ただな、あんたの絵の中はすごく住み心地がよかったんだ。別にあんたの絵が悪魔的とか、堕落してるとか、退廃的だとかいうんじゃない。そういうこととは無関係なんだよ。ほら、あんたたちだってよく言うだろ、蓼食う虫も好き好きって」

 分かったような分からぬような説明だった。

「だが、そのせいでオレは大迷惑だ。オレの絵を見た人間が眠るのは、貴様のせいなのか?」

「まあそうだね」悪魔はいくらか決まり悪そうに言った。

「何故、貴様はそんなことをする。悪魔の仕事は人を眠らすことか」

「いやいや、必ずしもそれは関係ないんだ。いわゆる副次的効果ってやつさ。オレがあんたの絵に住むようになったせいで、何故かそんなふうになってしまったんだ。詳しいことは神様にでも聞いてくれ」

「貴様は悪魔だろうが」画伯は呆れた。

「悪魔にだって分からないことはあるのさ」軽くうそぶいてみせる。

 が、結局のところ画伯にとってそんなことはどうでもよい。

「分かろうが分かるまいがどっちでもいい、貴様のせいでオレは迷惑している。この世の真理なぞに用はないんだ。オレが望むのはしごく簡単なことだ。今すぐオレの絵から出ていってくれ」

「どうしてもかい?」

「当たり前だ。貴様がいるかぎりオレの絵を見た人間は眠ってしまうんだろう」

「まあそうだね」悪魔は首肯した。

「なら話は早い。出ていけ。貴様のようなやつをオレの絵に住まわせるわけにはいかない」

「どうしても?」

「くどいぞ」

 画伯は強く悪魔のことをにらんだ。悪魔は処置なしといった諦め顔でおとなしく座っている。ずいぶんな悪魔もあったものだ。

「仕方ない。こうして姿も見られちまったわけだし、あんたの言うことには従うよ。居心地のいい場所だったけど、オレはここから出ていく」

「当然だ」画伯は勝ち誇った。

「でもね、一応これだけは言っておくよ。オレを追い払ったっていっしょさ。あんたはやっぱり困ったことになるだろうな」

「そんなことがあるものか、貴様さえいなくなれば、すべてはうまくいくんだ」

 悪魔は肩をすくめると、やれやれといった感じで頭を振った。

 それからその姿が次第に薄くなっていくと、現れたときとちょうど逆の経過をたどって悪魔はいなくなった。画伯は狐につままれたような気分だった。これで本当に絵を見た人間が眠ることはなくなったのか。

 画伯はさっそく電話をかけてみた。

「うん、貴様か。ちょっと用事がある。何、これから子供の運動会? 知ったことか。いいか、今から三十分以内にここまでやって来い。きっかり三十分だぞ。遅れたらただじゃおかんからな」

 こうして憐れな画商は再び呼び出され、画伯のアトリエへとやって来た。

 画伯はさっそくカンバスを覆っていた布をはずした。画商がそれを見る。一分、二分。だが何も起こらなかった。あくび一つもれない。すべては元に戻ったのだ。



 さっそく、画伯の絵を使った大規模な展覧会が開かれた。チケットの前売り券はすべて完売。展覧会初日には、開場前から大勢の観覧者が押しよせ、整理券が配布された。

 時間になって扉が開かれると、人々は我先にと絵の前へ殺到した。復活をはたした画伯の絵の前で、人々は感動に酔いしれる――はずだった。

 ところが、絵を見た人々は誰もが恐ろしいほどの勢いで身を震わせ、号泣しはじめてしまったのである。

 どうやら別の悪魔がとり憑いたらしい。

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