深海紳士録 ⑦熱水は人類の故郷?

 深海の奇妙な仲間たちを紹介してきた今回のシリーズ。

 前回は硫化りゅうか水素すいそを使い、養殖を行うゴエモンコシオリエビを取り上げました。


 熱水中の硫化りゅうか水素すいそに依存する甲殻こうかくるいは、彼等だけではありません。インド洋に棲息するツノナシオハラエビも、硫化りゅうか水素すいそを積極的に利用しています。


 彼等は十脚じっきゃくもくオハラエビに属するエビで、水深1600㍍から3700㍍程度を住処すみかにしています。体長は6㌢程度で、身体はほぼ透明です。またやや頭が大きく、側頭部はどす黒く染まっています。


 彼等はこの黒い部分に、硫化りゅうか水素すいそかてにする細菌を共生させています。この細菌は硫化りゅうか水素すいそから栄養を作り出し、宿主に供給しています。


 ゴエモンコシオリエビにも言えることですが、彼等の数は尋常ではありません。

 エサを生み出す噴出ふんしゅつこうには、アリのようにツノナシオハラエビが群がっています。大群に覆い尽くされたチムニーは、さしずめエビの塔です。


 彼等は少しでも細菌に硫化りゅうか水素すいそを与えようと、熱水に接近します。


 しかし、ここで一つ問題があります。


 前回説明した通り、熱水の温度は数百度にも達します。

 噴出ふんしゅつこうに棲むツノナシオハラエビですが、特別熱に強いわけではありません。熱水に近付きすぎれば、あっと言う間に煮えてしまいます(と言うか、あまりに熱すぎて融けてしまうとか)。


 しかし現実問題、チムニーの周囲がでエビで埋め尽くされることはありません。プリップリのエビが見たいなら、スシローやかっぱ寿司に行ったほうがいいでしょう。


 確かに、熱水は高温です。

 しかし同時に、深海は冷たい海水で満たされています。


 コップ一杯の熱湯を注いだところで、プールから湯気が上がることはありません。同様に深海に注がれた熱水は、周囲の海水によって希釈きしゃくされます。高温なのは噴き出す熱水だけで、周囲の水温は2度から3度程度です。


 つまり適切な距離を保っている限り、ツノナシオハラエビが茹で上がることはありません。そして彼等は、周囲の水温を特殊な目で計測しています。


 彼等の背中には、U字型の白い模様があります。

 背上はいじょうがんと呼ばれるそれは、一種の温度センサーです。


 我々人間には見えませんが、熱水は微弱な光を発しています。背上はいじょうがんにはこの光を捕らえ、温度をはかる機能があると考えられています。


 ゴエモンコシオリエビやツノナシオハラエビの他にも、熱水ねっすい噴出ふんしゅつこうには多くの生物が棲息しています。以前(当シリーズの第3回目)紹介したハオリムシも、その一つです。

 第3回目はこちら↓

https://kakuyomu.jp/works/1177354054882713822/episodes/1177354054882959440


 深い海の底にある熱水ねっすい噴出ふんしゅつこうは、別次元のような存在です。しかし全人類にとってそこは、遠い故郷ふるさとかも知れません。


 地球に生命が誕生したのは、およそ40億年前のことです。

 とは言え、どのように生命が現れたのかは、現在も解明されていません。近年、多くの研究者は、熱水ねっすい噴出ふんしゅつこうにその答えを見出そうとしています。


 当時、地球の大気は、主に二酸化炭素と水素で構成されていました。このことから最初の生命体は、これらをかてにしていた可能性が高いと考えられています。


 実際、熱水ねっすい噴出ふんしゅつこうには、このような性質を持つ細菌が棲息しています。彼等は二酸化炭素と水素を使い、エネルギー源となるメタンや有機物を作り出しています。


 ちょう好熱こうねつメタンきんと呼ばれる彼等は、その名の通り、極めて熱に強い生き物です。特に「メタノピュルス・カンドレリ」と名付けられた種は、122度の熱湯の中でも増殖を始めます(深海のように高い圧力を掛けた場合)。


 以前紹介した頭索とうさく動物どうぶつ無顎むがくるいと言い、深海には古代の「生き証人」が多数棲息しています。進化の秘密を解き明かすには、彼等の協力が欠かせないことでしょう。


 そしてまた熱水ねっすい噴出ふんしゅつこうは、遠い宇宙にも新たな可能性をもたらしました。


 今でこそ、ゴエモンコシオリエビやハオリムシの存在は多くの方に知られています。しかしつい40年ほど前まで、彼等のような生物は専門家ですら想像していませんでした。


 当時、エサの少ない深海には、ほとんど生物がいないと考えられていました。

 しかし1977年、常識はくつがえされます。

 アメリカの探査艇が発見した熱水ねっすい噴出ふんしゅつこうに、独特の生態系が構築されていたのです。


 しかも彼等は、熱水中の硫化りゅうか水素すいそやメタンから栄養を作り出していました。このことは熱水ねっすい噴出ふんしゅつこうから提供される物質だけで、生物が存在出来ることを証明しました。


 実のところ、熱水ねっすい噴出ふんしゅつこうがあるのは、地球だけではありません。木星の衛星エウロパや土星の衛星エンケラドゥスにも、同様の環境があると考えられています。


 確かに宇宙は、生き物に優しい場所とは言えません。


 現にエウロパは分厚い氷に覆われており、表面温度は氷点下160度以下です。エンケラドゥスもまた氷に覆われた惑星で、真っ白い姿は雪玉を思わせます。


 しかし生易しい環境でないのは、地球の深海も同じです。


 そこに命が溢れている以上、宇宙の熱水ねっすい噴出ふんしゅつこうに生き物がいないとは言えません。事実、エウロパやエンケラドゥスは、太陽系の中で最も生命が存在する確率が高い天体と考えられています。


 7回に渡ってお送りした今回のシリーズ、お楽しみ頂けたでしょうか。


 科学が発達した昨今においても、深海は未知の領域です。

 実際、最も深いとされるチャレンジャー海淵かいえんの底には、まだ3人しか行ったことがありません。ちなみに3人の内1人は、「タイタニック」の監督で知られるジェームズ・キャメロンです。


 今後調査が進めば、更に奇想天外な光景が見付かるかも知れません。とは言え、あんまりずけずけ海底に踏み込むと、ノンマルトの怒りを買ってしまうかも。


 参考資料:特別展「深海 ―挑戦の歩みと驚異の生きものたち―

                      公式図録

            国立科学博物館 海洋研究開発機構

                      東京大学執筆

          読売新聞社 NHK NHKプロモーション発行

      深海魚 摩訶ふしぎ図鑑

          北村雄一著 (株)保育社刊

      深海生物の謎

          彼らはいかにして闇の世界で生きることを決めたのか

          北村雄一著 (株)ソフトバンククリエイティブ刊

深海、もうひとつの宇宙

         しんかい6500が見た生命誕生の現場

         北里洋著 (株)岩波書店刊

     地球ドラマチック 「海のタイムトラベル ~生命の誕生~」

         2015年7月16日放送 放送局:NHKEテレ

     地球ドラマチック 「月と衛星 宇宙の神秘

                 ~生命は存在するのか~」

         2016年6月6日放送 放送局:NHKEテレ

      JAMSTEC 海洋研究開発機構

                 http://www.jamstec.go.jp/j

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