第4話 直径15センチの世界
美夏との特訓が始まって5日目、俺自身は未だに糸口を掴めないまま試行錯誤していた。一方美夏は俺の射の本質に気付き始めたようだった。彼女は何か思いついたような顔で、制服のまま俺が立つ射位に足を踏み入れてきた。
「まあ、直径15センチってとこでしょうか」
美夏は片目を瞑って28メートル先に設置された霞的を見つめ、伸ばした右手で何かを測るような仕草をしながら、そう呟いた。てかそれでどうやって測ってるんだ……。
「15センチって、何が?」
俺が気になって美夏に問い掛けると、美夏は自慢気に続ける。
「ふふ、知りたいですか?実はですね……」
美夏はいたずらな笑みを浮かべながら、勿体ぶった口調で言葉を紡いでいくが、尋ねた瞬間に俺にも閃きが生まれていた。
「もしかして
瞬間、美夏はジロッとこちらを睨み付けると、ずんっ、と左の拳で俺の鳩尾を捉えてきた。手加減はされているようだったが、突然の衝撃に俺は倒れそうになってしまう。その拳は正解を意味していた。中白と中黒、つまり霞的の中央の白い円の領域と、それに隣接する黒いリング状の領域だ。
「お゛いっ」
「実は霞的の中白と中黒を合わせた円の直径が15センチなんですけど」
美夏は何事も無かったのように続けようとする。
「いや、人殴っといて平然と続けんなよ」
「全く、油断も隙も無いんですから」
美夏は口を尖らせながら不満そうに呟く。いや、確かに質問しといて、答えようとしたのを遮ったのは悪かったが、普通殴るか?
「てか直径とか言ってたら想像つくだろ......んで、それがどうかしたのか?」
美夏は待ってましたとばかりに続ける。
「弓を引くときの視線の話なんですけど、実は引き分けから
「はぁ」
間の抜けた声が出てしまった。正直、何とも掴みどころがない理論だと思ったのが第一印象だった。意識してやるほどのことなのだろうか。
「なんか、眉唾って感じの顔してますね」
顔に出ていたらしい。美夏はわざとらしく咳払いをすると、その丸い瞳で俺の顔を覗き込んで続ける。
「スポーツに脳科学を応用する研究とか、聞いたことありますよね?実はこれ、その先端研究のひとつなんですけど」
美夏は矢継ぎ早に続ける。
「確か実証実験もしてて、一応有意差が見られるレベルには効果があったみたいです。文献が公開されてた筈ですよ、ちょっと探しますね」
美夏はスマートフォンを取り出すと文献を探し始めた。
「いや、いい。分かった」
俺は美夏を制すると、的に向き直る。有意差という聞き慣れない単語だったが、今のこいつに聞いたら負けだ。文脈から意味を想像して漢字を当てはめる。一定の研究はされているということだろう。
15センチ、ねぇ。確かにリズムゲームなんかで、一度に見える音符の数を減らす為にレーンの一部を隠したりする話もある。要は脳に入ってくる情報を絞った方がいい、ということだろうか。
「まあ、騙されたと思って引いてみてくださいよ」
腑に落ち切ってはいなかったが、行き詰まりを感じていたのは確かだし、やるのはタダだ。騙されてやろう。
俺は再び矢を番えて打ち起こす。空気は澄んでいて的が良く見える。俺は射法八節の通りに打ち起こした弓を開いていき、引き分けに移る。ここだ。俺は意識を15センチに集中させる。両の目で見つめ、その分裂した的、分裂した15センチを一つに重ねていく。離れの合図が脳から出たのとどっちが速かっただろうか。弾けるような弦の音が道場に響いていた。
俺が放った矢は、カンッ、という高い音を立てて12時方向の的枠を蹴った。例えるならシュートがゴールポストに嫌われるような悔しい一本だったが、そう感じると同時に俺はあることに気付いた。あの魔物がやってこなかったのだ。
これが15センチ理論の成果なのか、単に美夏の視線に慣れてしまったからなのかは分からなかったが、感触自体は悪くなかったことに俺は気付いた。
「どうですか?」
美夏は横から俺の顔を覗き込むようにして尋ねてくる。
「思ったより、悪くなかったよ」
俺は正直に答えた。実際に引いてみて分かった。余計な情報を視界に入れようとしなかったことで、的全体をぼんやりと狙っていた時よりも、視線を収束させることができた。結果としてその15センチの世界に意識を没入させることができたのだろう。
加えてだ、その15センチの領域は、いざ視線を集中させてみるとひとつの大きな目にも見えた。それが見えた瞬間は心臓を掴まれるような感覚だったが、双方向だからか、あえて直視することで何とか気持ちを落ち着かせることができた。これで視線に慣れろとでも言うのか、美夏がどこまで意図しているのかは俺には分からなかった。
「もう少し引きたいからさ、見ててくんない?」
「しょうがないですね」
自意識過剰かもしれないが、その美夏の声は少しだけ弾んでいるように聞こえた。
その後、俺は続けて数本の矢を射込んだが、魔物がやってくることはなかった。俺の感じた確かな手ごたえは、ほんの少しの自信を呼び起こした。そんな俺の姿を見た美夏の笑みが、少し意味ありげに感じたのは俺の考えすぎだっただろうか。
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