不可視領域
君は生へとしがみつく。たとえ決して許されぬ罪であろうとも、誰もが君の死を望もうとも、君は決してその生命を手放そうとはしない。
誰かの凶弾が胸を貫こうとも。
悪意の刃がその心臓を抉ろうとも。
君の前では、すべてが幻となる。儚き夢となる。
誰も、君を、終わらせられない。
それを知るのは僕ひとり。君でさえ、きっとその真実を知らない。
知る必要も、ない。
終わることのない悪夢に苛まれ続ける運命にあることなど、知らない方が、いい。
僕は君を、救わない。ただ黙して、見届けるのみ。君の、その行く末を。
悪夢にすべてを呑み込まれるであろう、君を。
私はすべてを受け止める。誰もが私を憎む、悪意を向ける、殺意を向ける、それでも私は受け止める。
今日も私の前には憎悪に瞳を焦がした人間がいて、私に向かって刃を振りかざす。
私はそれを、淡々と、見つめている。
その刃が胸に食い込むのを、淡々と、見つめている。
哀しいと、思う。
皆、気づいていないのだ。その刃が貫くのは、私ではなく、己自身であるということに。
当たり前のように自分で自分を殺していく人間の、驚愕と苦痛に歪むその表情を、ただ何も感じることなく眺めながら。
私は、ただの映し鏡なのだと。
何度も何度も目にした光景を前に、ひとかけらの痛みも感じることなく、無感動に。
その事実だけを、また再び確かめるのみ。
ヒトではなく、モノでしかない私に、傷つくような心も身体も、ありはしない。
そのことを、悲しいとは、思わない。
きっと彼女は壊れているのだ。
どんな惨劇が目の前で起きていても、彼女はどこか中空を見やったままで。それが己に起因することであると分かっているのか知らぬ顔で。
憎いと思う、自分が憎い。
その憎しみは、彼女を何も苦しめない。
僕だけが、道化のように、ひとりで苦しんでいく。
終わらない悪夢は、彼女ではなく、僕を追い詰めていく。
芽生えたあらゆる感情が、彼女に向けたはずの感情が、僕へと突き刺さっていく。
彼女は傷つかず、僕だけが傷ついていく。何もしていないはずの、僕が。
彼だけは、何もかも知っているという顔をしている。
でもそれは嘘。彼は何一つ知らない。私のことも。自分のことも。
私が彼を知らないように。
彼も、彼自身を知らない。
そして私も、私を知らない。
ひとの映し鏡であることしか、知らない。
鏡が鏡を見ても、合わせ鏡、堂々巡り。何も得られぬ無益な戯れ。
私が私である理由。
それを悪夢というならば、そうなのかもしれない。
永遠に、私は私を、知り得ない。
知りたいと思う望みさえ、いずれは消えていくのだろう。淡々と、すべてを映しすべてを還す鏡として、生きていくことになるのだろう。
そんな鏡である私の前で、彼はその姿を映している。
僕は君を見ていて、君は僕を見ている。
私は貴方を見ていて、貴方は私を見ていない。
貴方はその事実に気づいていない。気づくはずもない。
何故なら、貴方が見ている私は、
「私の姿をした、私という名の貴方なのだから」
掌編集:断章――情景、あるいは言ノ葉 水撫月 怜香 @Ray_mnzk
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。掌編集:断章――情景、あるいは言ノ葉の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます