はじめましての恋

白山千冬

第1話 確かなこと

やられた。

完膚なきまでに、骨抜きにされてしまった。

そう思った。


村田優子。二十七歳。

最後に彼氏と別れたのは二十四歳のとき。別れた理由は、「なんか重い」から。

その言葉を機に恋愛するのが怖くなって、ちょうどその頃から始まった友人たちの結婚ラッシュを見て見ぬ振りするために仕事ばかりして、そして三年経って人肌恋しくなった結果が、この…


「先輩?あれ、大丈夫ですか」


この男である。

石野翔太。二十五歳。

どうせ彼女がいる。

それは分かっているのだが、この男、すべてが完璧に私の好みなのである。

顔、話し方、笑い方。すべてだ。

派遣社員の彼が紹介されたとき、驚くあまりに目が点になり、その後私が彼の教育係に任命されるときには胃がもたれはじめていた。

恋は年増の女に胃をもたれさせるらしい。


「せんぱーい」

「うお!はい!なんでしょう!」

彼の顔が私の顔に近くて、年甲斐もなく、情けない声を上げてしまった。

「あ。起きた」

「起きてました!」

「本当ですか?」

「本当です!」

なんだこれ。これじゃあどっちが教育係か分からない。

「この書類見てもらえますか?」

「はい、分かりました」

「これもお願いします」

「はい」

「あと、無理しないでください」

「はい、…ありがとうございます」

なんだ、それ。

あなたそれ自然にやってるわけ…!

年増の女に優しくすると面倒くさいことになるのよ!

それに別に無理してないし!そりゃちょっと疲れてたかもしれないけど、ほとんどは君のせいだからな!君が、わたしを…!!

述語に気づいた瞬間、また胃がもたれはじめた。


「村田先輩、今日の飲み会行きますか?」

後輩のりなちゃんが声をかけてくれた。

「あー、どうしよう…」

わたしがうじうじと迷っていると、彼女がそっと耳打ちしてきた。

「先輩、今日はサボらない方がいいですよ。最近の若い女はお酒が入ると、イケメンにも平気で手を出すんです」

あまりの迫力に言葉を失ったけど、りなちゃん、何があったんだろう。


妙に説得力のある彼女のアドバイスにのせられて、結局あまり得意ではない飲み会に来てしまった。誘ってくれたりなちゃん本人は彼氏がいるので帰るらしい。

彼女の言った通り、時間が経つにつれて甘い声で彼に近づいて行く若い新入社員が何人も

いる。

いいのか優子…

でも、このタイミングで私が近づいていってもお局が出しゃばってるみたいだよね、

そうだよ、

だってそういうドラマ見たことあるもん。

ああああどうしよう…

どうすれば…!!







どうすれば、石野くんに、振り向いてもらえるんだろう


終わってしまった。

帰って来てしまった。

さすがに二次会に行く勇気は、もう残ってなかった。

恋も、諦めようかと思った。

無理だなあ。

やっぱり厳しいな。勇気を出すって、恋をするのって、こんなに難しいんだな。

バカみたい。

勝手に舞い上がって。

涙が出ないように、駅の明かりにじっと目を凝らしていた。

そのとき、後ろから声が聞こえた。


「せんぱーい」

「は、はい!」

「あれ?立ちながら寝てました?」

「寝てません」

「本当ですか?」

「寝てないよ、もう。…バカなの?」

彼がクスクス笑う。

何言ってるんだろう。

バカはわたしだ。

ぐるぐる考えてる間に彼がもう一歩、歩み寄ってくるのがわかった。

「じゃあ、泣いてるんですか?」

「はー?なんでよ、どうしてそうなるのよ。ていうか、なんでそんなこと気になるの、こんな年増の女なんかほっときなさいよ、今日みたいに若くて可愛い子達にちやほやされてればいいじゃない、もう、」


本当に、もう終わりだ。終わらせた。

いいんだ。これで。

今まで通りの日常でも、別に、


「先輩のこと好きだから、気になるんです」


「はー?いい加減にしなさいよね。酔ってるのー?」

「酔ってるのは先輩ですよ。俺は先輩といるときがいちばん楽しくて、いちばん落ち着くんです。先輩が笑ってたらうれしいし。なんか体調悪そうだったら心配するんです。あーもう、なんなんすか。調子狂うなあ。酔ってる時に言ったら、ずるいじゃないですか、俺」

は?

この子が、すき?

わたしのことを?

「なんか、意味わかんない」

「はいはい。先輩家どこですか?今日は送ります」

「ちょっと、なにそれ!子供扱いしないでよ!もう一回すきって言いなさいよ!ほら!」

「はいはい、酔いが覚めたらね。先輩、帰りますよ」


そのあとのことは、よくおぼえてないけど、

でも、今。


「優ちゃんこれ見て、これすごい美味しいらしいよ」


今が幸せなのは、確かなこと。



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はじめましての恋 白山千冬 @Chifuyu-5555

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