第12話


 バタバタと、その場にいた人間は次々と倒れ、そこに立っているのは一秋と鵜森だけになった。

 自分を抑えていた数人が加えていた力がなくなり、鵜森はよろめいた。そして、何が起きたのか分からないといった様子で、眠ったように地面に伏している仲間達を眺めていた。


 これがどういうことか、一秋には大体分かっていた。


「やあ、ごきげんいかが?」

 

 一秋の後ろから、囁くような声が聞こえた。その声と肩に置かれた手の主は、案の上、イトウであった。


「私を呼ぶなんて、ごきげんは随分と悪いのでしょうけど」


 どこからともなく現れた、夏らしくない黒スーツの女性。服装以上に、異様なムードを作りだしているのは彼女が怪物だからだろうか。

 

「この人達は、どうなったんですか?」

「ちょっと気絶してもらったわ。私の姿を見られるのは、私にとっても一秋くんにとってもいいことじゃないでしょう」


 もちろん、そんな芸当が彼女にできることを一秋は知らなかったが、些細なことを気にする余裕はなかった。


「おい、室町。それ、誰だよ?」


 鵜森が、一秋に尋ねる。

 語勢は強かったが、どこかで怯えているように見えた。今の一秋とイトウのやり取りが聞こえていようといまいと、この不自然な状況を作りだしたのが誰かということは明白であったため、当然である。


 そんな鵜森の質問に答えず、一秋は制服のうちポケットから一枚の紙を取り出した。四つ折りにされ、少し折れている箇所もある。

 それは鵜森の情報が記されていた、あのプロフだった。


「これで、あいつを殺せるんですよね」


 一秋は敢えて強い口調でイトウに言った。わざわざ殺すという表現を使って、鵜森に聞こえるように。


「内容は以前確認したし、問題ないよ。でも、本当にいいの?」


 いいの? 

 その言葉に一秋は若干の苛立ちを覚えた。


「分かってるんでしょう。僕の心が、読めるんじゃなかったんですか?」

「そうだね、ごめんごめん」


 ふふっ、とイトウは笑った。

 そのとき鵜森はどんな表情をしていただろう。一秋は、決して彼の方に目を向けなかった。


「おい! 誰だって聞いてるんだよ」


 そう鵜森が威圧的に言葉を発しても、決して彼の方に目を向けなかった。

 


「怖いんだ?」

「いえ、あいつはもうじきいなくなりますから。別に怖くはないです」

「……そう。でも、彼の最期を見届けてあげたほうがいいと思うよ。自分のためにも」


 ふっと、一秋の視界からイトウが消えた。それはあまりにも急で、一秋は彼女の姿を探して思わず顔を上げる。

 

 イトウは、鵜森の背後にいた。だが鵜森はそれに気が付いていないようで、彼もまた視界から瞬間的に消えたイトウの姿を探していた。

 そして、その怪物は、いまから自分が食らおうとしている対象を、愛おしそうに抱きしめた。


 そのときの彼女の表情は、怪物、悪魔のようと形容するのは相応しくなかった。

 ――女神。イトウが浮かべた微笑みは、一秋には神々しく、清らかな物のように見えた。

 

 鵜森は完全に固まったまま動かないが、イトウは彼の肩に顔をうずめた。

 吸血鬼のように、噛みついているのか。それとも何か、言葉をかけているのか。一秋からは、分からなかった。



 イトウが鵜森から手を放した。彼はがっくりと、紐の切れた操り人形のようにうなだれた。



「ごちそう、さま」 


 その言葉が、全てをを物語っていた。

 彼女のいう食事は、すでに終了していたのだった。いつ、どのタイミングかは分からない。ししかし、そこで膝をついている鵜森は、もはや以前の彼ではないのだろう。

 鵜森という暴力的で自分勝手な人間は、もうこの世界から取り除かれた。

 

 つまり一秋は、人殺しに加担したことがこの瞬間に確定した。


 ほんの一瞬。ほんの数秒で、一秋は怪物に心を売った人間になってしまった。


 厳密に言えば人殺しというその言葉が適切かどうかは分からない。しかし、一秋はそれを人殺し同然の行為だと、道徳的に許されない行為だと自分の中で規定した。


 少なくとも、一秋が一線を超えてしまったことに違いはなかった。けれども、一秋にはその実感はなかった。

 舞台を観客として見ているような、そんな感覚だった。

 罪悪感や後悔。何かを実感するには、あまりに短すぎる時間だった。彼の頭は、まだ冷えてはいない。


「いやあ、なかなか美味しかったよ」


 イトウが、一秋に近づきながら言った。

 その一言を聞いて、少しほっとする。そして、自分が多少なりとも罪悪感を感じていることを自覚する。

 けれどもそれに押しつぶされるというほどではない。


「いやいや、君に頼んで正解だったみたいだよ。まさか、本当に協力してくれるとは思ってなかったけれどね」


 相も変わらずイトウは、優しく微笑んでいる。六人を気絶させるという所業の後とは思えないくらいに、落ち着いているようだ。

 一秋は汗が止まらず、妙な高揚感に包まれて浮足立っているというのに。


「心配しなくても近くに人はいないよ。じきに、この子達も意識が戻るはずだから……」

 

 イトウが、目配せをする。

 鵜森の方を見ると、彼は手をついて立ち上がろうとしていた。


 一秋は、どきりとする。


 確かに彼は人格を持っていかれただけだ。死んでなどいない。しかし、こうして再び動き出す彼の姿を見て、動揺せずにはいられないだろう。


 しかし、そんな不安はすぐに吹き飛ぶことになる。

 

 鵜森は、なんとか二本の足で立ち上がると、辺りの様子には目もくれずにどこかへ、ふらふらと歩いていく。


「どこに……」

「教室。彼は真面目な一学生に生まれ変わったわけ。だから、授業が始まる前に教室に戻るのが自然でしょう」

 

 鵜森が教室にいることはひどく不自然なことだとは思うが。

 とにかく、大事にはならないようで一秋はほっと胸をなで下ろした。これで、もうつらい目にあうことはないのだなと、そういう意味も含まれた安堵である。


「私は」


 イトウが、おもむろに口を開いた。


「私は、正直あなたが協力してくれることはないだろうな、と思っていたの」

「心が読めるのにですか?」


 イトウに力を貸すかどうか。

 正直、一秋は常に狭間で揺れていた。自分でも、結果がどちらになったとしてもおかしくはないだろうと思っていた。

 心が読めるというイトウならば、それも分かっているはずだろう。今のイトウの発言には引っかかった。


「知ってるよ、君が迷っていたこと。でも、君にはお姉さんのことがあったのでしょう。大切な人を失った過去があって、それでいて君は自省的な人間だ。きっと、最終的には私の誘いを拒絶すると思っていた」

 

 千春の死。


 確かに、それは一秋にとって大きな出来事であった。彼女が一秋にとって大切な人物であったことに間違いはなかったし、それで受けたショックも大きかった。

 しかしその「姉の死」自体が、イトウに手を貸すかどうかということ与えた影響は、思えばなかった。


 それがどうしてか、一秋にも分かっていなかった。

 自分の中で人殺し同然と定義した行為。実際、美奈には千春を連想させるかもと、相談することさえできなかった行為。

 

 家族が死んで、死に関して人一倍敏感になっていてもおかしくないというのに、なぜか一秋の中の千春は彼を止めなかった。

 その理由は自分でも分かっていない、だからイトウにも分かっていないのだ。


 しかし、考えてみればすぐに言葉はでてきた。蛇口をひねれば水がでてくるように、何の苦労も必要としなかった。


「僕が知っているのは、大切な人が死ぬつらさ、だけですから。別に、死に対して特別な思いがあるわけじゃない。それで、だからこそ、やれたんです、きっと」


 その言葉が、自分の本心かどうか。

 自己肯定のために紡ぎ出されたデマカセかもしれない。しかし、一秋はそれを本心だと信じて疑わなかった。

 イトウの目にどう映っていたとしても。


「ふうん。確かに、私なら彼の周囲の人間を悲しませることなく彼を殺すことができるもんね。なるほど、そういう考え方か」

 

 心底興味深そうに笑う。


 




 

 



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怪物は涙を流さない ごまあぶら @goma-abura

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