8・それでも続く、長い人生
結局3日間雨が続き僕の心も晴れを待っていた午後の事。上司に呼ばれ会議室に行くと他の部署にいる同期も集まっていた。
変わらず一緒に歳を取っていくのだと思っていた森田が死んだ。妻と二人で。
「家族で旅行に行ってくる」と休みを取っている間の事だった。
訃報を聞いた時は、すでに親族のみでの葬儀が済んでいた。
残された子供は隣の県に住む森田の両親に引き取られる事が決まったらしい。
週末、森田の両親の家を訪ねた。
同期の何人かで、お悔やみに行く計画もあがったが断った。なぜそう思ったのか、自分でもよくわからないが、一人で行きたかったのだ。
ネクタイを締めて、喪服に袖を通し身支度をした。黒の靴下を履き、黒いハンカチをズボンのポケットに入れた。こんな風に、彼を弔う為の準備をするなんて考えたことも無かった。もちろん人がいつか死ぬことはわかっているが、その「いつか」はこんなに早いタイミングで良いはずがない。
電車とバスに乗り向かう道中で、時折り文庫本を開いた。が、いくら文字を目で追っても何ひとつ僕の頭には入って来なかった。
聞いた住所を頼りに家に向かう。
身内の集まりで、森田は僕の事を何度か話していたらしく「息子が大変お世話になっていたようで」と丁寧に頭を下げられた。
彼の母親は静かに涙を流し、ハンカチを持つ痩せた手はわずかに震えていた。
その手に、そっと重ねられた旦那さんの大きな手が印象的だった。
線香をあげて文句の1つも言ってやるつもりだったが、祭壇の写真の二人はフォトフレームの中で笑っていて、とても幸せそうだった。森田が「行ってきますのチューがしたい」とよく口をとがらせていたのを思い出した。
愛する人に触れられない事が、彼とその妻を壊したのだ。
先週の事だ。つい先週、彼は旅行を楽しみにしていた。僕に、本屋で買った旅行のガイドブックまで見せて旅行の計画を話していた。
彼ともっと色々な話をすれば良かったのか、自分になにかできる事はなかったのか、なぜ気付かなかったのか…と、誰かが答えをもっているわけでもない問いが僕の中を這いずり回る。
強く握った拳は、どこにぶつければ良いのかもわからず、ただいつもと同じところにあった。
こんな時、誰かの手に触れれば少しはラクになるだろうか?誰かの頬に手を伸ばせば少しは癒されるのだろうか?子供の頃、両親からもらっていた筈のぬくもりも、もう今は思い出せなくなっていた。
森田の死から数か月――
北陸で初雪が降った日のこと。
政府によりひた隠しにされてきた不都合な真実が、一部のジャーナリストらによって明らかにされた。医療系機関にしかない一時的に試験世代に触れる事ができる特殊繊維グローブが狙われ強盗が増えている事、精神に異常をきたし自らの生を断つ者の激増など様々な関連事件が報じられた。
抗議デモが日本の各地で起こりSNSや報道番組、新聞や刊行誌の紙面は連日、プロジェクト関連の後暗い話題ばかりが取り上げられていた。責任者やプロジェクトに関わった人間の辞任や辞職が次々と発表されたが、それさえもただのトカゲの尻尾切りだと報道に華を添えるだけだった。
そして、プロジェクトの解体が政府から発表された。驚くほどの幕切れだった。
義務付けられていたカウンセリングは生涯無償で継続して受けられると、どこかの偉い人が無数に光るフラッシュの中で言っていた。
とはいえ、遺伝子を組み換えたことにより構築された僕たちの『カベ』が解体される事はない。人の手で、そう創られた。
他人との触れ合いを断つということが、ここまで人の精神を蝕むなど、誰にも予想できなかった。
僕たちの日常はなにも変わらない。僕たちは『カベ』が構築されたその日から、一生を終えるまで、誰とも触れ合う事なく、誰のあたたかさを感じる事もないまま、日常をただ生きてゆくのだ。
腕時計を見るとカウンセリングの予約時間はもう30分ほど過ぎている。
あてもなく見上げた今日の空は嫌味なほどに青かった。
――完
人類有壁化プロジェクト 草薙 至 @88snotra
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