二話 四月二十八日 夜 藤相談所にて

 八尋は一人でキッチンに立つ。

 奏が夕食の手伝いを買って出たが「お客さんに働かせるわけにはいけないよ」と断った。なので奏と桃太、天探女の三人はダイニングで喋っていた。

 改めて自己紹介をしてから、奏や桃太の話をした。天探女は現代を知らないので詳しく聞きたがったのだ。話を聞くと、天探女は江戸時代から河童によって閉じ込められていたらしい。その間、ある程度は未来を見る過程で外のことも知ったが、その未来がいつの時代の未来かはわからないし、なによりも限定的すぎる。

 天探女との話は楽しいが、奏は天探女に八尋のことや八尋の探している人のことを聞きたかった。しかし、どう聞いていいかわからないまま天探女と桃太と会話を続ける。

とはいっても天探女は心が読める。やきもきしている奏を横目に天探女はにやにやと笑った。

「そんなに八尋のことが知りたいの?」

「え、あ、はい」

 さらりと聞かれたので奏はさらりと答えたが、あとからカアッと顔を赤くした。

 天探女は声を出して笑う。

「あっはは。いいよ、教えてあげるわ。でもあの子、あんまり自分のこと知られるの好きじゃないから詳しくは言えないけれどね」

「そ、それでも大丈夫です!」

「ふふ、恋する乙女って感じね」

 神様であっても恋バナは好きらしい。天探女は楽しそうに身を乗り出した。

「何が知りたい?」

 数秒考えた奏は、パッと顔を明るくして「す、好きな食べ物は!?」と聞いた。

 目を丸くした天探女は、声を出して大笑いした。

ずいぶんと可愛らしい質問に笑いが止まらない。天探女に人の心や未来を聞くものは、みな欲にまみれている。奏のような純粋な質問をする人なんて久しくいなかった。純粋な人は、そもそも天探女に尋ねないからでもあるが。

もちろん天探女は奏の可愛らしい質問に快く答えた。

「ただ、八尋は普段食べないから好きなものってないんだけどね。ええっと、団子が好きよ」

「だ、団子ですか!?」

「そうよ。できるだけシンプルなやつね。みたらし団子はあんまり好きじゃないわ。……そこの桃太郎君は好きみたいだけど」

「も、桃太郎って」

 突然話を振られた桃太はびくりとした。

「奏ちゃんがそう呼んでたから私も呼ぼうかと思ったんだけど、私にはちょっと合わないから桃太君って呼ぶわね」

「あ、はい」

 天探女に見つめられて桃太はカチコチになる。

「ふふ、ありがとう」

 天探女は楽しくてしかたないとばかりに笑う。

 奏は何のことかわからずに天探女を見る。

「ああ、桃太君が美人だって言ってくれるからお礼を言ったのよ」

「言ってないです! 言ってないです!!」

「そっか、考えただけね。あと奏ちゃんは可愛いって」

「え、あ、ありがとう?」

 奏はお礼を言ってもいいかわからないけど、天探女もお礼を言っていたことだし、と一応言っておいた。

 赤裸々に自分の気持ちを暴かされて桃太は「うわああ!」と叫んで八尋の元に逃げた。思春期の男子高校生に、人の心が読める天探女は相性が悪すぎる。大人の八尋のように気にせず流すことはできないし、女の奏のように照れながらも話を進められない。

 桃太が逃げると、さすがに悪いことをしたな、と天探女は少しばかり反省した。

 しかし女二人の方が都合がいいこともある。特に恋バナならばなおさらだ。

「それで、奏ちゃんは八尋のどこ好きなのよ」

 えっ、と奏はもじもじとしつつも楽しそうだ。

「私、生き霊に殺されそうになったんですけど、それを八尋さんが助けてくれたんです」

「ふうん。つまり、つり橋効果ってことか」

「つり橋効果?」

「そう。どきどきするのが恋だと考えるから、つり橋みたいな恐怖のどきどきも恋愛のどきどきだと勘違いして、しかもつり橋に一緒にいた人にどきどきしているんだと勘違いすることよ」

 まるで自分の恋が勘違いと言われたような気分だ。

「思春期なんて勘違いの連続よ。大人になってから勘違いだったと思うことも多いでしょうけど、それでいいじゃない。何事も経験よ」

「それって私が八尋さんを好きなのが勘違いってことですか?」

「まあ、平たく言えばね」

 奏はムッとした。

 奏が不満なことも天探女は手に取るようにわかっているが気にすることはない。「恋愛なんてほとんどが勘違いなんだから」とどこ吹く風だ。

「きっかけは勘違いでも、そのうち愛に変わることだってあるんだから。私は八尋はオススメしないけれどね」

「それって、……八尋さんが探している人と関係してますか?」

「関係していると言えば関係しているし、してないと言えば関係してない。八尋はあの子に執着しているわ。だけれど、奏ちゃんにオススメしないのはそれが理由じゃないの。八尋のことが好きだと奏ちゃんが不幸になるからよ」

 さっきまでの楽しい気持ちが消えた。

 八尋のことが好きで不幸になるとはどういうことなのか。奏は固唾を飲む。

 今までぺらぺらと人の気持ちを暴いてきた天探女だから、その理由も詳しく言うのかと思ったが、「不幸になる」と言ったっきりそれ以上のことは何も言わない。

 どう不幸になるのか、いつ不幸になるのか。気になることばかりだ。

「あっ」

 天探女は八尋のいるキッチンを見たかと思うと、真剣な表情を一瞬で崩す。

「八尋の好きなもの、最近増えたみたい。砌駅? の前にある、喫茶店のホットケーキだって」

 ぱちぱちとまばたきしたあと奏は破顔した。

 いつの間に喫茶店でホットケーキを食べたのか知らないが、好きなものが団子とホットケーキだなんて可愛い。

 だけど甘いものは好きじゃないだなんて面白い。

「辛いものは苦手で、基本的にシンプルな味付けのものが好きよ。洋食より断然和食派。私もね」

 奏は必死で頭の中にメモする。


 男二人はキッチンで、女二人はリビングで話に花を咲かせていると、玄関がガチャリと開く音がした。

 それに気づいたのは玄関に近い奏と天探女だ。

 こんな夜更けに誰が? と訝しがったが、相談所を訪れる八尋の知り合いなんて善夜しかいない。奏はすぐにそれに気づいた。

「梅崎奏に……天探女か。なぜここに?」

 リビングに入ってきたのは予想通りスーツ姿の善夜。

 善夜は少し顔をしかめる。

「私がいたらダメかしら?」

「ダメではないが、あまり好まない」

 仏頂面の善夜と、不敵な笑みの天探女。二人の間に見えない火花が散る。

 善夜だって今でこそ鬼だが、元は神だ。神と神とのにらみ合いは普通の女子高生の奏には荷が重い。キリキリと胃が痛む。

「あら、ごめんなさいね」

 すぐに天探女は奏に謝った。

 それを見て苦い顔をしたのは善夜だ。舌打ちすると八尋の方へ行った。

「あいつやなやつでしょ」

 そう言われても奏は何とも返せない。

「性格は悪くないのよ? 人間にも優しいし、八尋もほっておけない。地獄での評判も上々」

 なら何が悪いのか。

「昔、ちょーっと、うっかり尾谷おたに善夜よしやの心の内をばらしちゃったの。本当にうっかりね。別にたいした内容じゃないと思っているし、それのおかげで尾谷善夜と八尋は仲良くなったと思っているんだけど、それ以来怨まれているの」

 天探女は肩をすくめた。

 悪いとは思っているが反省はしていないだろう態度が見て取れる。

 奏は何をばらしたのか気になっていると、察した天探女が奏の耳元に顔を近づけた。

「尾谷善夜と八尋が知り合ったときなんだけど、八尋は大切な人を亡くしたばかりだったから落ち込んでいて誰にも懐かなかったの。尾谷善夜が気にかけて世話してたんだけど、あんな仏頂面だから八尋が怖がっちゃって、なかなか仲良くなれなくてね。だから八尋に『あんな顔してるけど、あなたのこと心配してるのよ』って」

 奏は、そんなことで善夜が怒るとは思えず不思議に感じていると、天探女が言葉をつづけた。

「そのまま、つい『朝、八尋に会う前は今日こそ笑いかけようと決意して、夜は今日もダメだったって反省してるのよ』って」

 それは怒るだろう。

 善夜の性格では、きっと恥ずかしかっただろうに。

 キッチンにいる善夜に心の中で合掌しつつ、いったい八尋の何歳のことだろうと疑問に思う。

 「尾谷善夜が仏頂面で八尋が怖がった」なんて、相当幼くなければ成り立たない。

「たしか、今でいうとこの十歳だったかな?」

 相変わらず天探女は心を読んで会話する。どうせ聞こうとしていたことだから問題ないが。

「今でいうとこのってどういうことですか?」

「昔は数え年だったからね。今の年齢の数え方だと十歳よ。時代によって常識も変わるから、覚えるの大変なのよ。言葉だって全然違うし文字や発音も違う。ずっと天にいる神なんて、ついていけなくて困っているわ」

 天探女はざまあみろと笑う。

なんて罰当たりなと思うが天探女も神だった。

「え、ああ、数え年がわからないって? 生まれた瞬間、その赤ちゃんは一歳なの。そのあと一月一日でみんな一斉に一歳、年をとるって数え方よ」

「なんか変な感じがしますね」

「私たちからしたら、今の方が変な感じがするわ。感じ方なんてそんなものよ」

「そんなものですか」

 ふーんと奏は天探女の言葉を受け入れる。

 そんな小さな八尋を知っているのなら、他にも聞きたいことはたくさんある。幼いころどんな性格だったのか、何かエピソードはあるか。八尋の探す女性とはどこで出会ったのか。どういう関係だったのか。

 溢れる疑問の中に、何か引っかかりを覚えた。

 ――何か、変な感じがする。

 天探女は楽しげに奏を見ている。まるで気づいてごらんと言っているような目だ。

 奏はぐるぐると考える。

 ――なんだろう。何かつじつまが合わないような気がするんだけど。

 もやもやが気持ち悪い。

 違和感を一番強く覚えたのは今だけど、小さな違和感は前からあった。

 ――いつからだっけ。

 奏は天探女を見る。

 ――そうだ、天探女様が八尋さんに依頼していたときだ。

 天探女は河童に閉じ込められ、「桜の木と少女」の未来を見た。その少女が八尋の探し人なのだとしたら、いったいその少女が何歳のときに知り合ってどういう関係なのだろう。

 奏と桃太は八尋の言動から、恋愛関係でなくとも深い関係だと思った。しかし、もし相手が年端のいかない少女なのだとしたら。

 奏は頭を振った。これじゃあ、まるで八尋がロリコンのようだ。

 そこで奏はハッと気づく。

 天探女が奏に「八尋はオススメしない」と言ったのは、まさか八尋がロリコンだから? そう考えて、奏は壊れたロボットのようにギギギと首をキッチンに向ける。

 奏の座っている位置から八尋は見えない。それがわかっていても、つい見てしまった。

 天探女は何も言わない。ただ笑っているだけ。

 それが奏には怖かった。どういう笑いなのか。合っているから笑っているのか、違っているから笑っているのか。どうせ今も心を読んでいるのだろうに、天探女はそれでも何も言わない。

 時計の音がやけに大きく聞こえる。


 天探女は結局何も言わないまま、キッチンから奏と天探女を呼ぶ声が聞こえてきた。

 夕食の支度が終わったのだ。

 無駄に緊張した時間を過ごした奏は、リビングにやってきた八尋を見てビクリと肩を震わせた。

 天探女はくすくす笑う。

 そこでようやく天探女にからかわれていたのだと気づいて、奏は天探女をジト目で見た。相手は神様だが、天探女の態度はまるで神様じゃない。そのへんの女子高生より女子高生みたいなテンションだ。見た目は二十代だけれど。

「どうかしたのかい?」

 八尋は心配したように奏を見る。

「う、ううん! なんでもない、です!」

 なんでもないことない言い方だが、八尋も天探女の性格を十分にわかっているようで、奏に何も言わない。きっと八尋も天探女にからかわれたことがあるのだろう。

 八尋はアームチェアを持ってキッチンに行く。

 アームチェアは重いが、リビングとダイニングは一つ繋ぎでドアがないため重くても問題ない。

 なぜアームチェア? という奏の疑問は、八尋に続いてダイニングに行ってわかった。

 ダイニングにある椅子は四脚しかない。八尋は一人暮らしだから四脚もあれば十分だろうが、今はこの家に五人いる。ダイニングのソファーだって、二人掛けとアームチェアが二脚の計四人分。それならリビングにアームチェアを一つ持って行くのが一番いい。アームチェアだと少し目線は下がるが。

 客である桃太と奏、天探女、善夜は椅子に座り、八尋はアームチェアに座った。

 テーブルには和食。内容は焼き魚やお浸し、味噌汁とシンプルだ。普段、八尋は料理を食べないそうだから、急な食事に食材がなかったのだろう。

「いただきます」

 八尋の言葉に、他の四人も手を合わせた。

 そして一斉に箸を持って食事をする。


 相談所にこんなに人が集まるのは初めてで、そしてまともにリビングが使われたのも初めてだった。

 善夜は相談所に来ても、八尋以上に何も食べない。鬼に人間の食事は必要ないからだ。八尋の付き合いで軽食を食べることはあっても、ダイニングで話し合っているとき。

 八尋は楽しそうに喋りながらご飯を食べる桃太と奏を見た。

二人のおかげでリビングは明るい。

 天探女は食事中に喋らない。善夜は元々無口。

 八尋は無邪気な子どもが好きだ。今、もしそれを口にすると奏に大きな誤解をされてしまうが。

 八尋が危険な鬼を祓うことで、日常は平和になり子どもは明るく無邪気に笑う。だから、楽しそうに笑う子どもを見るのが八尋は好きなのだ。

 平和を実感しながら八尋は味噌汁をすすった。

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鬼の相談所 翼秋景 @tsubasa401

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