第五章 川に流される

一話 四月二十八日 夕方 藤相談所にて

 結界の中に閉じ込められていた毒蛇を開放すると、盃山さかずきやま市に春らしいぽかぽかした陽気が訪れた。

 犯罪が蔓延して殺伐した空気も桜のそばでは消える。盃山市に少し笑顔が戻った。

 それと反比例して藤相談所を訪れる人の数は減った。いいことではあるが、鬼の情報を集めたい八尋やひろは困っていた。

 八尋の目的が鬼を祓うことだけならば喜ばしいことであるが、八尋の目的はそうではないのだ。

 春の日差しと庭の桜を見ながら、八尋は今後の動きを考えていた。

 一つわかったことは、少女たちの家出問題と八尋の探し求めている女が関係しているかもしれないことだけ。

 かなでに家出問題を調べてもらっているが、どれも自分から家を出て行っているようで足取りはつかめない。八尋の知っている鬼の中にも、そのようなものはない。人を攫う鬼は無数にいるが、無理やり襲うか、出歩いているときに言葉巧みに連れ去るものばかり。家の中にいる女の子を自分の意志で家族に「ちょっと出かけるね」と言わせ外に連れ出すなんて考えられない。

 ならば鬼を追うしかないのに、その鬼が見つからない。

 八尋は溜息を吐いた。



 夕暮れに、相談所の呼び鈴が鳴った。

 ようやく待ち望んでいた相談者だと喜び勇んで玄関に出た八尋は、動きを止めた。

「久しぶりね! えっと、今の名前ってなんだったっけ?」

 八尋の目の前には痛々しい姿の女性。

 八尋よりも長い銀髪はまさに絹糸。柔らかそうな白い肌に、豊満な胸。そして無数の傷跡。足首は真っ赤に腫れ上がり、白い肌には赤、青、紫と様々な打撲痕がある。

「どうされたんですか!?」

 目を見開いて女性の肩を支えた。

「や、八尋さん!? 誰ですかその人! ま、まさか彼女!?」

「八尋さんの彼女!?」

 そこに現れたのは高校帰りの奏と桃太とうた

 女性の肩を支える八尋だけを見てパニックを起こしている。二人からは熱い抱擁をしているように見えるのだ。

 パニックの高校生に、女性の来訪に驚く八尋に、相談所の玄関は一気に騒がしくなった。

 そんな三人を落ち着かせたのは渦中の女性だ。

「とりあえず中に入れてくれない?」

 三人は一瞬動きを止めてから、彼女の言葉に従った。


 傷だらけの女性をアームチェアに座らせた八尋は、まず桃太と奏の誤解を解く。

「彼女は昔に数回会ったことがあるだけで、彼女じゃないよ。急に来てこんな姿だから驚いて支えようとしたんだ」

 彼女の姿を見た二人は八尋の言葉をすんなりと聞いた。二人だって知り合いがこんな姿でやって来たら支えるだろう。

 しかし女性の爆弾発言で、また二人は固まることになる。

「なんだ、まだあの子のこと忘れられないの?」

 あの子って誰!? と言いたげな奏。しかし初対面の人を目の前に叫べない。玄関先で叫んだのは衝撃が強すぎただけだ。

「やめてくださいよ天探女あまのさぐめ様」

「はいはい。それで名前なんだっけ?」

ふじ八尋やひろです」

「そうそう八尋だ。そういえばそんな名前だったわね」

 二人は初めて八尋が敬語を使っているところを見て、それも驚いた。夜叉の善夜よしやにも敬語を使わず冗談さえ言っていたのに、目の前の女性には敬語を使っている。

 誰だこの人はと女性を見ていると、それに答えるかのように女性は二人を見て笑った。

「私は天探女よ」

「天探女様は日本の神様なんだよ」

 付け加えられた八尋の「神様」という発言に二人は絶叫した。

 鬼の存在はわかっていたし、善夜だって自分たちの目で見たが、まさか日本の神様をこの目で拝むことになるとは。二人は恐れおののき、あまりの衝撃に泣きそうになった。

「まあまあ、私はそんなに格式高い神じゃないから。ただの雑用係だし。そもそも上の神たちに嫌われてるからね」

 カラカラと笑う天探女。

天邪鬼あまのじゃくって知っているかい?」

八尋は二人に聞く。

「天邪鬼って、あのひねくれものみたいな?」

「そうだよ、本庄君。……天探女様はその天邪鬼なんだ」

「えええ!! 天邪鬼って神様のことだの!? なんかもうわけわからない!」

「え、八尋さん、天邪鬼って鬼じゃないんですか? 神様? まさか神様のことも『鬼』っていうんですか?」

 わいわい騒ぐ二人に天探女は笑う。

「天邪鬼も色々いるんだ。ただし夜叉と違うのは、同じ種でないこと。天探女様のような神様も天邪鬼だし、邪鬼も天邪鬼と呼ばれるものがあれば、河童かっぱを天邪鬼と呼ぶときもある。天探女様も邪鬼も河童も元々は違うものだけれど、いつしか同じ『天邪鬼』と呼ばれるようになったんだ。ややこしいだろう?」

「血の繋がらない兄弟だとか従弟だと思っているのよ」

 まったく違う種、格でありながら人間からは同じ天邪鬼と呼ばれる。不思議な関係だ。

 二人はようやくヒートダウンし、八尋が口を開いた。

「それで、天探女様はどうされたんですか? こんなに傷だらけになって」

 天探女はニヤついていた顔を引き締めて真剣な目で八尋をまっすぐ見つめる。

「八尋に頼みたいことがあって来たのよ。……そんな嫌そうにしないでよ。きっとあなたにとっていいことよ」

「それで、その頼みたいこととは?」

 天探女は、すうっと息を吸ってから悲しそうな顔で「河童を探して、止めてほしいの」と言った。

 さっき八尋が「河童も天邪鬼と呼ばれた」と言い、そのあと天探女が「血の繋がらない兄弟みたいなもの」と言ったばかり。その河童を探してほしいとはどういうことなのか。

天探女は続ける。

「この傷は河童につけられたものよ。閉じ込められて、そこでずっと未来を占わされていたの」

 八尋は桃太と奏に「天探女様は未来を見ることができるんだよ」と説明する。

「いつでも未来が見られるわけじゃないし、そのころは閉じ込められてるだけで、快適だったから長いこといたけど不満はなかったのよ。まあ、その間に世の中がめちゃくちゃ変わっていて驚いたけどね。洋服ってなによって感じ」

 ケラケラと笑うが、洋服がなかった時代から閉じ込められていたということは、かなり長期間――それどころか数百年単位で閉じ込められていたことになる。

「暴行されたのは、本当に最近なの。未来が見えたから、それを言ったら急に様子が変になったの」

「その未来とは?」

「桜の木と一緒にいる幼い少女よ」

 八尋はハッと息をのんだ。

 天探女はそのことに気づいたが何も触れない。

「この盃山市ってことも見えたから言ったわ。そうしたら、拠点をこの盃山市に変えて、河童があまり私のそばにいなくなったの。おかしいと思っていると、河童が女の子をたくさん攫っている未来が見えてね、河童に詰め寄ったら暴行されたのよ。で、どうやって逃げるか考えていたら八尋がここで相談所をやっているのが見えたから頑張ってきたの」

 壮絶な話に桃太と奏は口を挟めない。

 八尋も「桜の木と一緒にいる幼い少女」と聞いてからどこか遠くを見たまま。

「ふうん、やっぱり桜の木の少女は、あの子のことなんだ」

 天探女は興味がなさそうに呟いた。

「ああ、あの子って八尋が探している……」

「天探女様!」

「隠したかったの? まあともかく、そういうわけで少女を見つけるまで人攫いをやめないだろうから、見つけてほしいの」

 八尋は疲れたように息を吐いた。そして天探女の頼みを了承する。その頼みはちょうど八尋が求めてる情報と同じようなものだ。同じというには似すぎている。八尋と善夜は彼女がすでに捕らえられていると考えたが、天探女はまだ捕まっていなくて探すために少女を攫っているという。河童が彼女を捕えようとする第三の勢力の可能性もある。彼女を探す八尋は、どうせ天探女が頼まなくても河童を探していただろう。

「ただ今日はもう夕方ですので明日にしますよ」

「ええ、もちろん」

「八尋さん! 私たちも!」

 奏は手を挙げた。

 八尋は頷く。

「探す範囲が広範囲になるのでお願いしても?」

 今までになく素直に二人の手伝いを了承した。

 喜んだ奏だったが、次の瞬間テンションは地に落ちることになった。

「それで天探女様は天に帰られますか? それとも……」

「ああ、ここにしばらく厄介になるわ。部屋は空いているんでしょ?」

「そうだと思いましたよ」

 八尋は疲れた様子だが嫌がってはいない。

その表情に奏は雷に打たれたような衝撃を受けた。

 親しげな大人の女性と男性が、同じ家でしばらく生活するなんて。二人に恋愛感情は皆無のようだが一緒にいる間に芽生える可能性も無きにしも非ず。

 ――なにより私も一緒にお泊りしたい!

 八尋の家でのお泊り。なんて素敵な言葉の響き。好きな人の家にお泊りしたなんて友達に言ったら、きっとみんなで盛り上がれるに違いない。

 奏がうずうずとしていると、天探女は耐えきれないとばかりに笑いだした。

「やめておきなさいよ八尋なんて」

「へ?」

 突然話しかけられて奏は驚く。

「八尋みたいな気の利かない男より、他にいっぱい男がいるでしょ」

「な、な、なにを!?」

「あ、それと私は八尋と一緒に住んでも、八尋を好きにならないし八尋も同じだから安心してね」

 語尾にハートをつけて言う天探女。

 ――さっきからおかしいとは思っていたけど、もしかして考えていることがバレてる!?

 奏の考えを肯定するように天探女は頷いた。

 その様子を見ていた八尋は苦笑いを浮かべる。

「天探女は未来も見えるけど、人の心も見られるんだよ。気をつけてね」

「気のつけようがないですよね!?」

 八尋への気持ちが筒抜けだと知って顔を真っ赤にさせる。

「そうだね。一番は気にしないことだよ」

 まったく当てにならないアドバイスだ。

「まあ、そんなに怒らないでよ。いいじゃない、ちょっと心の中が見られたくらい。減るものじゃないわ」

「ちょっとじゃないです!」

 奏を宥めながら、天探女は八尋に話しかける。

「そんなことより八尋」

「はい?」

「この二人も一緒にお泊りさせてみたらどうかな?」

「え」

 八尋は固まった。

「見たところ、君たちには少し壁があるわ。仲良くしたらいいのに、仲良くできていない。一日一緒に泊まって、色々話してみたら?」

「いや、子どもを外泊させるわけにはいかないよ」

 まるで桃太と奏が小学生くらいのような言い方だ。天探女も呆れ顔。

「じゃ、じゃあ親に連絡すれば……」

 誘ったのは天探女だが、奏だって泊まりたい気持ちがあった。なので連絡さえすれば泊まれるのなら泊まりたい。

 しかし八尋は首を横に振らない。

「連絡しても外泊には変わりない。それも身元のわからない男の家に、同級生の男の子ともに泊まるなんて親御さんが心配するだろう?」

 奏はキッと桃太を睨んだ。八尋の家に泊まれない理由に桃太が含まれているからだ。それが理不尽だとわかっていても。

 融通のきかない八尋に天探女はため息をつく。慎重なのも真面目なのもいいことだが、子どもたちの気持ちも汲んでほしいものだ。自分の発言のせいで奏が落ち込んでしまったことに多少の罪悪感を覚えた天探女は代替案を提案する。

「それなら、夕食を一緒に食べたらどう? 一緒に食べたことがないのよね? あ、やっぱりそうなのね。じゃあ決まり」

 一人で決定するが、八尋も夕食くらいなら何も言わない。家族に連絡を入れることだけは言ったが。

 もちろん奏は大喜びで親に連絡した。

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