二話 四月二十七日 池にて

 横殴りの雨に傘は通用しない。傘を使ったところでびしょ濡れになるし、目的地に着くまでに傘は粗大ごみになっているだろう。

 だから三人は傘を相談所に置いてきた。その代わり身動きがとりやすいようにレインコートを着ている。鞄も置いてきたから身軽だ。

「雨降小僧は降らせる雨をうまく調整してくれるはずだけど、こんなに降るってことはもしかして新米の雨降小僧なのかもしれないね」

 強風で声が伝わりにくいので声を張り上げて言う。

 八尋はまだ、この雨が雨降小僧によるものだとは思っていなかった。しかし雨降小僧以外に思い当たる鬼はいない現状では、雨降小僧にものだと仮定して考えるしかない。

「雨降小僧にも新米とか古株とかあるんですか?」

 興味津々に桃太が聞いた。

「そりゃあ、もちろんだとも。同じ雨降小僧でも古株の方がうまく雨を降らせて立場も少しだけど上なんだよ」

「じゃあ、こんなに降らせていたら雨の神様に怒られちゃいますね」

 桃太の言葉に八尋と奏は笑った。

 まるで子どもの悪さを親が叱るかのような軽い物言い。少し間抜けな気もするが、農地もない工場の多い盃山さかずきやま市に雨が連日降るくらい、たいした影響はない。しいていえば桜が早く散ってしまうことくらい。川の氾濫はんらんも、今の降水量だと起こらないだろう。多少不快ではあるが被害はないのだから、失敗した雨降小僧は神から「めっ」と叱られているくらいがちょうどいい。

 ひと際強い風が吹いた。

 三人はレインコートの首元を握りしめ、襟口から雨が入り込まないようにする。

 住宅地を抜けると、道の両側には畑が広がる。遮蔽しゃへい物がないので今までよりも激しく大粒の雨が三人を襲う。

 しかし目的地はもうすぐだ。

「ここですよ」

 桃太は緑のフェンスの奥の、天高く生い茂る濃い緑の木々を指差した。

 池は木に囲まれているらしく、遠くからでは様子が見えない。

 桃太はフェンスの扉を開くと八尋と奏を中に入れた。

「桃太郎君、ここって勝手に入っていいものなの?」

「うん。フェンスは小さい子が一人で入って池に落ちないようにあるだけだから。晴れた日だと釣りに来ている人も多いよ」

 木の根とがたがたの地面のせいで歩きづらいが、木の間を歩いていると、すぐに池と対面した。

 水は緑色に濁り、水中を見ることはできない。

「死の池なんて言われてるんですよ。実際そんなことないんですけど、ちょっと不気味じゃないですか。奥の木、池の中から生えているでしょ、あれも枝がうねっていて気持ち悪いし。だから普通に魚のいる池なのに、死の池だとか底なし沼だとか言われているんです」

 木に囲まれて薄暗く、池の深さも見てわからない。子どもが不吉な噂を流すのも自然な流れだろう。

「さあ、雨降小僧を探そうか」

「八尋さん、雨降小僧はどんな姿なんですか?」

かさを頭にかぶった少年だよ」

かさを頭にかぶる?」

 八尋の言った「笠」と桃太の思い浮かべた「傘」が違うことを察した奏はジェスチャーを交えつつ笠の説明をする。

「昔の人が使っていたわらや竹皮でできた笠のことよ。教科書の脚注とか時代劇で見たこと……桃太郎君なら漫画で見たことあるんじゃない?」

「ああ、それなら何となく」

「それじゃあ雨降小僧を探そう。あ、見つけても近寄らないでね。危害は加えてこないけど、何があるかわからないから」

「はーい」

 桃太と奏は声を揃えて返事をした。


 池はそんなに大きくはない。ゆっくりでも十分とかからずに一周できる。

 三人は元いた入り口付近に戻ってきた。

「一周しちゃいましたね、八尋さん」

「草で隠れているとか?」

 池の周りには雑草が生えていて、三人はわざわざ草の根をかき分けては探していない。

「いや、小僧といってもそんなに小さくない。この程度の高さの草なら頭が見えているはずだ」

 八尋は腕を組んで押し黙った。

 水の気配を探ってここに来たのだから、何かしらはあるはずだ。小さな石碑や祠すらなかったということは見つけられなかった何かがあるはず。

 ――池ということが関わるとすれば、池の主が神格化して雨の力を持っているか?

 まだ探していない池を見た。

 ――しかし神格化するほどの実力のあるものが、むやみに雨を降らせるか。干ばつしていたのなら連日雨を降らせるかもしれないが。

 「雨、雨」と呟きながら、他に何か可能性があるかを考える。

「雨、雨……雨の神、水……そうか! やはり原因は雨降小僧ではない!」

 突然の言葉に桃太と奏は驚く。

「え?」

「どういうことですか? 八尋さん」

 八尋は落ち着いた表情で「蛇だ」と一言。

「蛇?」

「蛇は世界的に見て水の神とされている。それは日本でも同じだが、日本では天候神でもあるんだ。そして雨や風をもたらすのは、蛇の中でも毒蛇。……おそらくここには毒蛇が潜んでいるから注意して」

「え! 毒蛇?」

 桃太は素っ頓狂な声を出して飛び退いた。そして足元をきょろきょろと探す。

「大丈夫。本州にいる毒蛇は臆病なものばかりだ。攻撃しなければ噛まれることはないよ。だけど君たちに何かあったら大変だから、毒蛇の捜索は僕に任せて、君たちは離れたところで待っていて」

「そんな、でも八尋さんが噛まれたら……」

「僕は大丈夫だから」

 笑顔で二人を説き伏せた。

そして二人がフェンスの外に出たのを見てから歩き出した。


 怪しい場所は一つある。

 水草が多く、池の縁にも少し背の高い雑草が生えていたため、足元が分かりづらくて危険だから近寄らなかった場所だ。

 八尋はその場所へ行くと、毒蛇を探すためにしゃがんで雑草をかき分けた。

何度かかき分けていると、八尋は雑草の根元には白い糸が張り巡らされているのを見つけた。

白い糸は結界を張るための結界糸だ。

「どうしてこんなところに結界が? 何を守っているんだ……。まさか毒蛇を?」

 結界の中で毒蛇を守っているのか、それとも毒蛇を閉じ込めているのか。どちらにせよ、結界の中に何かがあることに間違いはない。

 結界糸を使った結界は、中からは壊しづらいが外からは簡単に壊せる。

しかし壊してしまうと中の毒蛇がどこかに逃げてしまうため、八尋は結界を壊さず、糸を手に持ち少しずつ結界の範囲を小さくしていく。

そうしていると、ついに八尋は毒蛇の姿を見つけた。

「やっぱり結界の中だったか」

 驚いたことに、毒蛇は一匹二匹ではなかった。

 結界の中に何匹いるのかもわからないほど、重なり合い、とぐろを巻いている。

なぜ、こんなところに大量の毒蛇が閉じ込められていたのか理解ができない。数匹ならば、毒蛇が人に危害を加えないようにと考えたのかもしれないが、結界を使えるほどの者がこんなことをするなんて。

 毒蛇は無理やり捕まえられたのか怪我をしているものも多い。それに閉じ込められているから餌を食べることもできず痩せ細っている。

 八尋は結界の中の毒蛇に触れようとすると、毒蛇たちは一斉に威嚇をし始めた。

「大丈夫、助けに来たんだ」

 敵意はない、と優しく話しかける。

「君たちは一度竜王の元に帰るといい。そこで傷を治しておいで」

竜王は雨の神だ。毒蛇はこの竜王の眷属なのだ。

 八尋が竜王の名を出すと、毒蛇は威嚇を止め大人しくなった。

 もう大丈夫だ、と結界糸を手繰り寄せて結界を解くと大量の毒蛇は一目散に池の中に飛び込んだ。

 竜王は水中に居を構える神だ。おそらく池の中から竜王の居に飛ぶのだろう。

 これで八尋の仕事は終わった。


「もう大丈夫、毒蛇はいないよ」

フェンスを出て、待っていた二人に声をかける。

桃太はこわごわと「こ、殺したんですか?」と尋ねた。

「まさか。蛇の神様のところに帰したんだ」

 八尋が笑い飛ばすと、桃太はほっと一安心した。

 毒蛇が池に入ってから小雨になっていた雨は、ついに止んだ。空を覆っていた分厚い雲もどこかに流れていて、久々の晴れ渡った青空に太陽が輝いている。

 これでもう雨の心配はない。

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