第四章 青空を取り戻す

一話 四月二十七日 夕方 藤相談所にて

「誰も来ないですねー」

 相談所のソファーにぐたりと横たわるかなでは気の抜けた声で言う。

 すでに八尋やひろの手伝いを始めてから一週間が経った。初めのころは居住まいを正していた奏も、もう気にすることはなくなっていた。

 二人用のソファーを一人で贅沢に使っている。ふかふかの肌触りのいい布はとても気持ちがいいが、座るもののやる気を吸い取ってしまう魅惑の布だ。授業終わりに相談所を訪れる高校生がその誘惑に抗えるはずがない。若く艶やかな髪をソファーの上に広げて、スカートから覗く肉付きのいい足は床に投げ出されている。ゆっくりとした呼吸に合わせて睫毛は上下に動く。

 奏に追いやられた桃太とうたは赤いアームチェアに座っていた。サイドテーブルに置かれた温かいほうじ茶を一口飲みながら八尋から借りた本を読んでいる。

 桃太には奏のように情報収集能力はない。なぜなら友達が少ないからだ。限られたコミュニティで多くの情報を集めるのは困難だ。唯一、奏より得意なのは存在感を消して人の話を盗み聞きすることだが、奏がいれば盗み聞きするまでもなく本人に直接話が聞ける。

 力は桃太より身長が高く大人な八尋の方が強いし、それ以上に善夜よしやが強い。

 今の桃太ではないも活躍できる場所がなかった。そこで桃太は知識をつけることにした。学力で言うと、これまた桃太よりも奏の方が上だが、桃太の身につけようとしている知識は学校の勉強ではなく鬼について。奏が情報収集を行うサポートとして鬼の知識を身につけようと考えたのだ。

 相談所内はゆっくりと時間が進む。

 三人分の息遣いと、雨と風が窓を叩く音、そしてたまに奏のひとり言。

 不穏な世の中とは違い平和そのものだ。

「だーれも来ないですねー」

 同じ言葉を繰り返す。

 奏は学校で鬼に関する情報を集められなかった。

 細々としたものはあるが、その情報を元に街に繰り出せるほどのものではないのだ。

 鬼に関する情報がなかったのなら、相談所に訪れる客から得るしかない。しかしその客が来ないのだ。

「今日は雨だし風も強いからね」

「昨日も一昨日もその前も、ですよ」

 横殴りの雨は数日前から続いている。

 降り続いているわけではないが、一瞬止んだかと思うと、またすぐにぐずつき雨が降る。そんな状態なので昨日も奏と桃太が帰る時間になっても一人も客が訪れなかった。


 奏はのそりと起き上がってテーブルのチョコレートを一粒食べた。

ソファーの横の窓から見える桜の木は風に煽られて枝を激しくしならせている。

この分だと今日も客はゼロか。

 奏はぐっと背伸びをした。

「八尋さんってハーフなんですか?」

 ぐっとアームチェアに座る八尋の青い目を覗き込むような仕草をする。

 八尋は奏の目を見返した。

「ハーフじゃないよ。たぶんね」

「たぶん?」

「あまり親のことは覚えていないんだ。幼いころに離れ離れになったからね」

 事もなげに言う。

「でもどうして急に?」

「だって八尋さんの目、青いじゃないですか。だからハーフなのかなって」

 八尋は目元を触る。

 墨液のように黒い髪に、鮮やかな青の目。遺伝にしてはアンバランスである。

 じっと見つめる奏に八尋は笑いかける。

「変かい?」

「いえいえ! 素敵です!」

「そう、ありがとう。僕の両親はおそらく黒い瞳だったけれど、鬼だっているんだ。黒い瞳の親から青い瞳の僕が生まれてくることだってあるんじゃないかな」

 細められた目に奏は胸が高まった。

 アンバランスは時として色気を生むのだ。

 八尋の言葉にコクコクと頷いた奏は八尋の視線から逃れるように、ボスンとソファーに倒れこんだ。

 そんな奏を見て八尋はクスクスと笑う。

 ――わ、わざとだ! わざと大人の色気を振りまいたんだ!

 奏はわなわなと大人の余裕に慄いた。

「あの、八尋さん」

 ふざけている奏と八尋に、桃太が割って入った。

「どうしたんだい? 本庄君」

「あの、本読んでて不思議に思ったんですけど、……あ、前からも不思議だったんだけど」

「うん」

「八尋さんって神社とかの関係者なんですか?」

 奏も顔を上げて八尋を見た。

「まあ、それに近いね」

「はいはーい!」

 奏は元気に手を挙げた。

 桃太と八尋は二人揃って奏を見た。

「ズバリ、陰陽師じゃないですか?」

 えへん、と自信満々に胸を張った。

「正解だよ」

「ええ! 八尋さんって陰陽師なんですか!?」

「っていうか桃太郎君気づかなかったの? お札使ってて鬼……幽霊を祓っている時点で陰陽師っぽいじゃない」

「そ、そこまで気にしてなかったっていうか、霊符とお札が同じと思わなかったって言うか……」

 何も考えていなかった、と肩身の狭い様子の桃太。

「陰陽師って言っても、由緒正しいやつではないよ」

 桃太と奏は首を傾げた。

 陰陽師といったら、安倍晴明あべのせいめいやら何某なにがし家やらのイメージだ。何と言っても陰陽師なんて胡散臭い職業、ネームバリューがなければ成立しそうにない。だから、八尋の言う「由緒正しいわけではない陰陽師」が想像できなかった。

「陰陽師って昔は政府の役人として存在していたんだけど、平安時代にはすでに個人でお祓いをする人も陰陽師と名乗っていたんだ。私立探偵ならぬ、私立陰陽師だね。僕はその私立陰陽師だよ」

 「私立」と「陰陽師」を合わせるのはいささか違和感があるが、二人は八尋の説明に納得した。

 政府に属する公立陰陽師は、国の存続に関わる占いをしたり、要人が鬼に喰われないように守り戦うもの。つまり力を国のために使用する。

 それに対して私立陰陽師は、個人の依頼により占ったり、鬼を祓ったりする。

 まさに八尋は私立陰陽師である。

 説明を聞きながら桃太はどんどん目を輝かせていく。

「う、占いって俺もやってもらえますか?」

「ああ、大丈夫だけど僕は占いは専門じゃないから期待はしないでね」

 あまり好きじゃないんだ、と言いながら八尋は部屋を出て行った。


 戻ってきた八尋の手には透明の浅い器。中には水が入っている。

「昨日は新月だったから反応は鈍いかも」

「どうしてですか?」

「僕の占いは月の光を水に映して力を借りるんだ。だから力を発揮できるのは満月の夜くらいさ。……満月の夜でも反応が薄いときが多いけどね」

 八尋は苦笑した。

 なんでもできそうな八尋だが、苦手なことはあるようだ。

 透明の器をテーブルに置くと、棚から数枚の霊符を取り出し奏の横に座った。

「そうだねえ、吉か凶かくらいならわかるかな?」

 八尋は桃太をそばに呼び寄せ、霊符を桃太の額に当てた。一瞬だけトンと当てるとすぐに離し、器に張られた水の上に浮かべた。八尋は指を水に浸けるとゆっくり大きく円を描く。一周回ると水から手を離す。

 水に浮かぶ霊符は、流れに従ってくるりと回転したあと、薄い橙色に染まった。

「友人関係に吉だね。新しい友達ができるか、今の友達とより深い関係になるか」

 わあっと桃太は顔を満開の花のように顔をほころばせた。詳しい診断はできなくても、自分の占いで霊符の色が変わったことに感動したのだ。そして「友達かー」と未来に思いを馳せる。

「次! 私やってください!」

 奏が叫ぶと、八尋は「もちろんだよ」と了承した。

 桃太のときと同じように、霊符を奏の額に一瞬だけ当て、水に浮かべる。指で水を一周させると水から離した。

 結果を楽しみに器を覗き込んでいた奏は、霊符の動きに目を見開いた。

 霊符が水の流れに従って回るところまでは桃太と同じだったが、そのあと霊符は何かに引っ張られるように器の底に沈み、半分に裂けてしまった。

「や、八尋さん、これって」

 不穏な動きに奏は泣きそうになった。

水難すいなんそうが出ている。でも大丈夫。今わかったってことは水に気をつけていたら未来は変えられるよ」

 八尋は優しく話しかけた。

「それに水難の相と言っても、雨に濡れて風邪をひくだけかもしれないし、水溜まりを踏んで靴が汚れるだけかもしれない。あまり不安になるとせっかく占った意味がなくなってしまうよ? 不安をなくすために占うんだからね」

「でも、気をつけるって言ったって最近雨ばっかりだし……」

 奏の言葉はもっともだ。

 まるで梅雨のように連日雨が続く。

 水難の相を回避しようにも雨が止まないのなら常に危険が近くにあるのだ。

 奏の泣きそうな顔は、しかめっ面に変った。

「春ってこんなに雨降りましたっけ? 今日学校の先生が『雨は花の父母だからー』なんて言いてたけど、こんなに毎日雨だと根っこが腐りそうですよ。桜だって、あっという間に葉桜になってしまいますよ?」

「……そういえば雨が多いね」

 八尋は窓の外を見た。

「これも何か鬼の影響ですか?」

 桃太が身を乗り出して尋ねた。

「雨の鬼か……。有名なのは雨降小僧だね」

「雨女とか雨男とかも有名じゃないですか?」

 よく聞きますよと桃太は聞く。

「雨男は雨女の派生だよ。何かの用事のときに雨が降る女性のことを雨女って言うけど、雨女っていう鬼が雨を降らせる鬼なわけではないんだ」

 ふうん? とよくわからないままだが桃太は頷いておいた。

 雨女は雨の日に現れる女の鬼であり、雨を降らせる女の鬼ではない。

 雨女からすれば雨が降るから現れたわけだが、農作物を育てる人間からすると雨女がどういう理由で現れているのであれ、雨が降ることがわかるのだからありがたい。そうして「雨の日に現れる女」から「あの女が雨を降らせているに違いない」に変化し、そのうち出掛ける用事の日に決まって雨が降る女性のことを雨女と呼ぶようになった。

 とにもかくにも、雨女でないなら八尋の言う雨降小僧なのかと奏は聞いた。

「かもしれないけど、雨降小僧は雨の神様の使いだから、必要以上に降らせないと思うんだけどなあ」

 納得がいかないと考え込む。

 神も仏も鬼さえもよくわかっていない桃太は八尋が何に悩んでいるのか皆目見当もつかない。わからないことは考えても無駄! と明るく切り捨て、片手を力強く握りしめた。

「まあいいじゃないですか! とりあえず原因を探しに行きましょうよ。ついでに何か見つかるかもしれないし。ずっとここにいても何もわかりませんよ!」

「さんせーい!」

 奏が桃太の意見に乗ってきた。

 二人に押されて八尋も頷く。部屋の中で考えていたって何も解決しないのはもっともなのだ。

 早速外に行く準備をする奏は、ふと手を止めて両手を顔のそばで組んでお願いする。

「ね、ね、八尋さん。もしよかったらどこに鬼がいるか占ってほしいです」

「だけど雨降小僧だったら危険はないし、それにもし見つけられなくても害はないよ?」

「でも長時間、雨の中を歩き回るのは……。水難の相が出てるって言われたばかりだし」

「まあ、たしかにそうだね」

 不安がっている女の子を無理やり雨の中歩かせるなんて真似は八尋にはできない。

 雨降小僧は危険ではないが、そう言われたら占っておくことに越したことはないだろう。

「それじゃあ、雨の力を感じる場所を調べてみようか」

 水面に浮かべた霊符はくるくると回りながら、滑るように八尋の左斜め上に移動する。それは南東の方角だ。

 地図を開いた八尋は、指で相談所から南東の方を辿る。

「池がある」

 八尋の骨ばった指の先は水色を指している。

 このあたりには池は他にも大小様々ある。その中で占いが指し示した方向にあるのは、たった一つだった。

 地図を覗き込んだ桃太はその池を見て「あっ」と声を上げた。

「昔はよくこの池で釣りをしていたんですよ。懐かしいなあ」

「それなら場所はわかるね?」

「は、はい」

「じゃあ案内を頼むよ」

 初めての大役だ。桃太は力強く頷いた。

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