八尋と善夜
間接照明の温かいオレンジの光が、
二人がここ
今日もその日だ。
八尋はもちろん邪鬼の放った「青い目の女」という発言を話した。
「僕と同じ青い目というなら、彼女の可能性が高いと思わないかい?」
八尋は天色の目を輝かせた。
ここに越してきて初めて掴んだ有益な情報だ。嬉しくないはずがない。
「問題はどこで見たか、だ。あの邪鬼はそれを言う前に逃げちゃったからねえ。たまたますれ違ったのか、それとも魂を喰おうとしたけれど逃げられたのか。……いや、口止めされているところを見ると、すれ違ったのではないだろうね」
「口止め……誰にされているのか」
「だよね。彼女自身にされているのか、それとも別人か。って考えたら、彼女のことをあれこれ考えるより邪鬼について考えた方がよくないかい?」
邪鬼についてはいろいろ謎が多い。
対峙しながらも、あまりに情報をこぼすので八尋は誰かに偽の情報をバラまくように言われているのではないかと勘繰ったほどだ。
単独犯でないことは、邪鬼の言葉の節々からわかっていたが、共犯者の狙いがわからないことには口止めが誰にされたものかもわからない。
さっそく八尋は棚から和紙を取り出して、筆の準備をした。
「えっと、まず邪鬼……人型の名前は上石なんだけど、その上石についての確定事項から書き出していくね。……一つ目、バカ」
「せめて知性がないにしておけ」
あまりにも直球な暴言に、思わず善夜は口を挟んだ。
八尋も、それもそうかと納得して「バカ」と書かれた上に二重線を引いて、隣に「知性がない」と書き換えた。
「二つ目、スーツを着ていた。三つ目、喫茶シェーヌにいた。四つ目、喫茶シェーヌのおすすめはホットケーキ。……そうだ善夜、
「機会があればな」
「五つ目、ホテルの血だまりのことを知っていた。……そうだ、ホテルの事件だ」
八尋は筆を置いて善夜を見た。
「善夜、砌駅から南の方にある、ホテル
善夜は少し考えたが、そんな事件は聞いたことがなかった。
「遺体はなくて、ホテルの前に血だけが残されていたらしく事件性はないってことになっているんだけど、上石は、そのホテルの事件のことを『五件目』と言っていたんだ。連続不審死事件のね。そのときは上石が犯人とは思わなかったから彼の勘違いだと思ったんだけど、彼が犯人だとしたら、それも彼の仕業なのだろうね」
八尋は両手を開いて善夜に向けた。
「彼は、僕たちを食べたら被害者は十人になると言っていた」
「ああ」
「あの場にいたのは四人」
指を四本曲げた。
「僕たちが墓場に行く前に、駅の近くで女性が亡くなっていた。そしてその前の四人の被害者」
一本曲げ、その次に四本曲げた。
八尋は残った一本をひょこひょこと動かしながら善夜に笑う。
「残りの一人はホテルの血の主で決まりだね」
最後の一本も曲げた。
八尋は筆を手に持ち、紙に「ホテルの血だまりの犯人」と書く。
「ホテルのことは気になるけれど、先に事柄の整理の方が重要だね。続けるよ。……六つ目、『正体がバレたことを知られると怒られる』と言っていた。七つ目、美食家。八つ目、僕のことを『臭い』と言っていた。九つ目、僕の目を見て『あの女と同じ青い目』だと言った。そして十、僕の魂を見たとき『青い魂を初めて見た』と言っていた。……こんなものかな」
十個の上石についての情報を書き終わると、八尋はぐっと伸びをした。
そしてもう一度、紙に向き合う。
「とりあえず先に僕の主観的なことを書き出していくね。まず、一件目二件目の事件はわりと計画性があったと感じたんだ。夜に人気のないところって共通している。それがだんだんと欲に支配されてどうでもよくなった、なんてどう?」
「偶然じゃないのか?」
「偶然かもね。まあ僕の推測だから。ただ、一件目二件目は邪鬼にしては上手な狩りだったと思うよ」
八尋は笑って、確定事項より少し離れた場所にすらすらと文字を書いていく。
「あとは、五件目のホテルの事件が世間では連続不審死事件にカウントされていなかったことを知らなかったことから、ニュースや新聞は見ないのだろうね。見るって発想もなさそうだし」
「だろうな」
元々邪鬼は家来として存在している鬼なのだから、自ら情報を得ようと働きかけることなどない。
悪事を働くときも、思いつきや突発的なもの。
「それから彼女のことを言ったのは失言だったというような顔をしていた」
「あの女と同じ目の色」とたしかに言ったのに、八尋が聞き返せば「そんな女は知らない」と発言を覆した。あれは、彼女のことは人に知られてはいけなったという表情だった。
「あと上石は最初、僕の魂を喰うつもりだったんだけれど、完全な鬼の姿になった後、急にそれを止めたんだ。僕を殺すことは止められていたみたいだと思った。それが、おそらく匂いで判別した気がするんだよね。鼻をひくひく動かしたあとに逃げようとしたからね。……ああ、そういえば僕を殺してしまえば、僕があそこにいたこともバレずにすみ、なんて言っていたね。これは確定事項だ」
八尋は確定事項の十の左に、「十一、『殺せば
話し合いの準備は完了した。
筆を置いて両手を膝の上で組み、アームチェアに背を預けリラックスした姿勢をとる。
「さあ、意見を出し合おうか」
朗らかな声で言った。
「上石の近くに頭のいい誰かがいたのは、まず間違いないだろう。そうだね?」
「ああ、俺も同意見だ。お前の推測、最初は計画性があったというのを考慮するなら、その誰かの指示で人間の魂を喰っていた、か」
――三件目の事件のあと四件目まで期間があったのは、邪鬼が魂を抜くのに失敗して事件になったため、その誰かが中断させたのか。
八尋は当初から疑問だった三件目と四件目の事件の間の空白に仮説を立てた。
そうすると、ますます誰かはただの共犯者ではなくリーダーである可能性が出てくる。
「その誰かは、僕を殺すことを良しとしていなかった。僕を殺すことを事前に止めているということは……」
「お前を知っているものだな」
「それは、おそらく匂いで教えられている。……匂い?」
「どうかしたか?」
「匂い、匂い……最近どこかで聞いたはずなんだ。匂い……」
頭をとんとんと叩きながら、どこで聞いたのか思い出す。
――誰かに言われたはずなんだ。
目を閉じて、匂い匂いと呟いた八尋は勢いよく頭を上げた。
「あっ! 思い出した! がしゃどくろだよ善夜!」
「がしゃどくろ……
「そう。そのがしゃどくろに『匂いがする』『殺さないと』と言われたんだよ!」
「『殺さないと』か。がしゃどくろは殺そうとして、邪鬼は生かそうとした。真逆だな」
「この真逆の発言、善夜はどう捉える?」
「数日の間で意見が変わった。それか八尋のことを殺そうとするやつと、生かそうとしているやつがいる」
「僕はそれに、もう一つ付け加えるよ。……命令が曖昧で、がしゃどくろと邪鬼は同じものに同じ命令をされたが解釈が真逆になってしまった。なんてどうだい?」
「そんな曖昧な命令をするやつなら、楽でいいんだがな」
「だね」
冗談のような八尋の推測に二人で静かに笑う。
肩の力が抜けた。
八尋は話し合いを休憩するように、だらんとアームチェアにもたれかかり天井を見つめる。
静寂が訪れた。
雨はまだしとしとと降っていて肌寒い。
――ブランケットを用意すればよかった。
どうでもいいことを考える。
濡れた服は着替え、髪も乾かしたが、芯まで冷えた体はなかなか熱を持たない。
――彼女はどこにいるのだろう。
八尋は目を閉じる。
遠い昔にした約束を守る。そのために八尋は長い年月をかけて彼女の情報を追い求めてきたのだ。
――もう一度会う。必ず。
八尋は長く息を吐いた。決意を胸に刻み込むために。
「もし……」
善夜は静かに言う。
「邪鬼に命令したのが彼女だったら、お前はどうする?」
八尋は目を開いた。
善夜の問いを考えたことがなかったと言えば嘘になる。
『あの女と同じ青い目』と言うくらいだから、上石は近距離で彼女の目を見たのだろう。上石に命令することができ、そして賢い。書き出した情報に彼女はぴったり合致する。
しかし――。
「それはないよ、善夜」
自信満々に笑って善夜を見た。
「それは僕が保証する。彼女を知らない君ならそう考えるだろうけれど、彼女は博愛主義者だ。人間を愛しているんだよ。こんなことを命令するはずがない」
――彼女は優しく、守る側で、そして助ける側の人だ。だから僕も彼女に救ってもらうのだ、必ず探し出して。
「お前がそう言うのなら、それを信じよう。それならば、あとの問題は邪鬼がどこで彼女を見たのか、だ」
「ようやく本題だね。善夜はどう見る?」
「難しいが、彼女の存在を知っているが、詳しくは知らないといったところだろうか。だが、何かしらの関わりはある」
「どうしてそう考える?」
「お前の目を見て、わざわざ『同じ目の色だ』と言う程度には近くにいたのではないか? 青い目くらい、今の時代日本にだっているさ。外国人でも、カラーコンタクトでも」
「それなのに『あの女』と限定したのは、近しい場所にいたから、か?」
「ああ。比較するときは近くの人物と比較するだろう」
「そうだね。僕も目つきの悪い人を見ると『善夜の方が目つきが悪いな』なんて思うからね」
「俺は適当なやつに『八尋くらい適当なやつだ』と思うことが多い」
軽口もなんのその。
長い付き合いの二人はこれくらい冗談を言い合うくらいがちょうどいい。
「僕が考えるに、邪鬼は彼女と離れていない。離れていたとしても円満だね」
「どうしてだ?」
「もし彼女が邪鬼に捕らえられていて、そこから逃げたのなら、同じ目の僕に関係性や彼女の居場所を聞くはずだ。僕が上石に聞いたようにね。円満に逃げていたところで、関係性くらい聞くだろう? 聞かないってことは、興味がないか、僕ではなく彼女に聞こうとしていたか。……僕は彼女に直接聞こうとしていたと思うな」
「俺はその場にいなかったから、なんとも言えないが、お前がそう思ったのならお前の感性に従おう」
善夜はゆっくりと頷いた。
ならば、次の問題は「近く」というのがどこか、だ。
今、二人は「捕らえられたら」という前提で話をしたが、そうではなく、お互いの生活領域が近い可能性はある。
八尋は最初に書いた邪鬼の決定事項を見た。
「ああ、また一つ抜けていた。上石の拠点は墓地だ」
言いながら紙に書く。
決定事項に記されている場所は二つ。喫茶シェーヌと墓地だ。
「彼女が墓地の近くに住んでいるか、よく墓参りにくる。もしくは喫茶店に出入りしている? それか砌駅周辺に住んでいるかだな。……しかし、ただの顔見知りならば、お前に彼女のことを言わなかった理由はないぞ」
「その場合は彼女自身に口止めされている場合だね。もちろん人を喰うことを指示したのは別にいて、ね」
平然とそう言うが、わずかに寂しそうな顔をした。
口止めされているということは八尋に知られたくないということだ。それでは一向に探し出せない。
「まだ真偽はわからない。だがこれを一つ目の説にしよう。彼女は砌駅周辺で生活しており、口止めしたのは彼女自身。邪鬼に指示をしたのは別にいるという説だ」
善夜は八尋の目を見る。
八尋は頷いて、今度は八尋が口を開く。
「二つ目は彼女が捕まっていた場合。口止めは彼女で、指示は別人。三つめは彼女が捕まっているのは同じだけれど、口止めも指示も別人の場合」
今の情報で建てられる仮説は三つだけ。
ふと善夜は顎に手を当てて考え込んだ。
善夜の思考の邪魔をしないように、八尋は合わせた両手の指を動かして待つ。
「関係があるかはわからないが、盃山市で少女の連続失踪事件が起こっている」
八尋は動きを止めた。
「失踪と言っても家出で無理やり
町の人や奏の会話の中に、やけに「家出」という言葉が出てきていたことを八尋は思い出した。彼らは「失踪」ではなく「家出」と表現していた。
「だが家出をするような子ではない子どもまで家出をしているらしい。とはいえ、幼い子どもたちだ。自殺でも連鎖がするのだから家出も連鎖している可能性は高い。だから事件として出回ってはいない」
集団ヒステリーという言葉があるくらいだ。ヒステリーや不安は
今、その事件にもなっていない事件の話をするということは、善夜はその家出が彼女に関わりがあると考えたのだろう。
八尋は善夜の言葉を聞き洩らさないように集中する。
「連続不審死事件は、邪鬼が三件目でミスを犯さなければすべて事件とならず、ショック死と片づけられていただろう。家出も同じく、今のところ事件となっていない。ただ、家出の注意だけがされている状態だ」
「似ているね」
「ああ。彼女を探すために攫っていたのかもしれない」
もしそうなら、先ほど立てた仮説の一つ目は消える。
彼女への情報は掴んだが、依然として彼女は霧の中だ。
「何はともあれ、もっと情報を探さないといけないね。彼女にしても、その家出にしても」
八尋は明るい声で言った。
今日の話し合いはこれで終わりだ。話し合いの最中の暗い感情は、話し合い以外でのときは出さない。そう八尋は決めていた。
長い時間をかけて追ってきた八尋は、気持ちを切り替えないと途中でバテてしまうことをよく知っていた。
長距離を走るなら、無理のないペースで走ることが原則だ。
「これからも頼りにしているよ、ワトソン君」
それから、人を頼るということも。
「だから、ワトソンとはなんのことだ」
眉をしかめる善夜を見て八尋は、はははと笑った。
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