第14話 空色スタート

 バギンッ、と夜空が鳴った。

 ずれた地層を重ねるようにして、夜天を覆う迷い子が消えて藍色が取り戻されていく。月の光が差して、ゼロドライブは魔力に還った。


「あ、うわっ!?」

「お兄ちゃん!」


 舞い散る赤黒い粒子を蹴って、弾丸のようにイデアが夜空を翔る。ヒロの腹に飛び込んだ。


「ごぶォ……」

「飛行魔法ぉ! うぬぬぅうん!」


 鈍い悲鳴を他所に、イデアは抱き着いたまま魔法を唱える。重力が緩んだ。

 ヒロは見慣れているはずの野球場や公園を眼下に見晴らす。夜気が空の湿度を持って吹き抜けていく。


「すげ。飛んでる……」

「お兄ちゃん! ごめんなさい……ごめんなさいっ!」


 と、額を胸にこすりつけるようにしてイデアが謝った。

 ずれ落ちそうになったベレー帽を直して、ヒロは笑う。


「言う相手が間違ってる。怪我はないか、イデア?」

「う、うん。へいき」


 イデアは不安そうに頭を上げる。迷い子の影はもうないが、月明かりの前に泥のような赤黒い粒子がわだかまっていた。

 エクスマキナの残滓だろう。

 小さな唇を震わせて、イデアがつぶやいた。


「願いが、叶ったって。どういう意味だろう……?」

【疑義などあるまい】

「ひゃあっ」

「うおわ!?」


 イデアが手を滑らせて、ヒロは服で首を吊られた。慌ててイデアが飛行魔法をかけ直して抱え直す。お姫様抱っこに。


「もうちょっと抱え方変えてくれる?」

「降りたらかんがえる。――エクスマキナ、まだいたの?」

【なんだ。おらんほうがよかったか?】


 心外そうに語る声には、力に裏打ちされた威厳と凄みこそ残っているが、含まれる茶目っ気がすべての威圧感を拭い去っていた。

 嬉しそうに声だけの悪魔が語る。


【しかと見せてもらったではないか。命を賭して願いの、成就の様を】

「はい?」


 ヒロは思わず聞き返していた。願いが叶う様を見た?

 イデアを見る。きょとんとしてヒロと見つめ合ったイデアは、頬を赤くして目を逸らした。特にあの世を覗いてきたふうではない。母と会ってなどいないだろう。


「願いを叶える代償に、イデアの命を奪うって話じゃないのか?」


 問い返しこそ疑問とばかりにエクスマキナは訝った。


【……我に殺されることが、小娘の願いに含まれとるのか? 普通ありえぬだろ】

「いや、それはそうだけど」

【だいたい願いを叶えたそばから殺したのでは、叶ったことにならんではないか。詐欺であろう】

「そうかもしれないけど」

【それにこの小娘、思い詰めて破滅願望がちょろっと出ただけだ。本気で願ったわけではない。後で撤回される願いなど、我の欲する願いとは違う】


 ヒロは閉口した。これ以上しゃべればブチ切れる。


「ねえ、それよりも。エクスマキナ」


 イデアが口をはさみ、月を見上げる。

 ゼロドライブの光の粒子はすでに跡形もなく消え去っていた。しかし、ヒロにも感じ取れる。

 そこに、まだ異界の摂理が残っていることを。

 魔力の気配を、胸の中にある魔法使いが教えてくれる。


「お願い、叶えられるんだよね。ナタとカナを、助けられない?」

【その願いは――そうさなぁ】


 勿体ぶったエクスマキナは茶目っ気たっぷりにヒロに水を向ける。


【我が叶えるまでもなかろう?】

「分かってるよ。これは、俺の役目だ」


 ヒロの戦いはまだ終わっていない。むしろ、これからが本番だ。

 目を伏せる。胸に宿る温もりを脳裏に描く。

 大した手間でもない。散々心に刻んできたし、先ほどまで一つだったのだから。


「ナタ」


 心温かく物腰柔らかな少女と。


「カナ」


 強がりでお節介な少女を。

 思い出す。


「ヒロ!」「イデア!」


 重みがヒロの首に圧し掛かった。

 見上げればヒロだけではない。イデアも巻き込まれて苦しげにしている。腕がぎゅうぎゅうと互いを締め付けて、体温で熱いくらいだった。

 蒼い犬耳が揺れて、

 桃色の髪先が涙に湿る。


「ヒロ、カナ、イデア! こうしたかった……私、ずっとこうしたかった!」

「あつい。くるしい」

「けほ。我慢なさい、イデア。あなたが心配性の姉を困らせたせいなんだから」


 イデアは照れくさそうに唇を曲げる。カナは諦めたように口の端を緩ませている。

 肩を締められながら、ヒロは顔をひきつらせた。


「あの……」

「なに、ヒロ! 今いいとこ!」

「落ちてるんだけど」


 絡み合ったままぐるぐると、地面めがけて一直線に。


「みゃああああああ!?」

「わああっ飛行、飛行魔法誰か!」

「自分でやんなさいあんた得意でしょあぁーっ!」

「姦しいなぁ……」


 ヒロは笑った。

 こうでなくては。初めからきっと、この形になるべきだったのだ。

 そっと、隠れて拳を握る。小さな人間の手を。

 魔法も使えない。ロボットのように大きくない。そんな手を。

 ヒロが助けになれたなら、それは。

 それはとても誇らしい。




「地球の空気おいしい!」


 朝日も昇り切らない早朝に、少女の高い声が通る。

 カナとナタ、ヒロ、そしてイデアが公原家の玄関に立っていた。

 ほうと息をついたカナが「それにしても」とヒロを振り返る。


「案外あっさり帰ってこれたわね」


 ヒロより早く、返事があがる。


【小僧がおらねば話にならんが、今日の貴様らでなければ渡れぬ橋であったな】


 話に割り込まれた不快感よりも、言葉にされた内容にカナとナタは訝る。


「……え、なに? どういう意味?」

【知っていて対策したわけではないのか?】

「なにを?」

【貴様ら、魔力ではない食べ物をバクバク食いおったろ。元の世界と違い、純粋に物質であるからな。魔力への転換にはアホほど時間がかかる。ま、真珠と同じだ。貴様らの魂は、自身の消化不良を核にして己をジグソーパズルしたのだよ】

「つ、つまり」

【食いすぎだ】


 魔神が無情にも結んだ。

 カナの仮説は半分当たり、半分的外れだったわけだ。

 特に、半裸の意味はまったくない。

 カナが凛と顔を上げる。


「聞かなかったことにしましょう。いいわね?」

「いいと思う」

「異議なし」


 三人の談合に、イデアがくすくすと笑っている。

 その姿に目を細めながらナタは口を開いた。


「さて。そろそろ行こっか」

「本当にもう帰るのか? そんなに慌ただしく帰る必要はないんじゃないか」


 ヒロは三人を前に言葉を選ぶ。しかし、カナはかぶりを振った。


「そうもいかないの」


 カナはイデアの頭を優しく撫でた。片隅に残る赤黒い染みのような粒子を弾く。


【むっ】

「私たち、コイツを追ってきた臨時行政官だし。しでかしたことの後始末もつけなきゃならないわ」

【なにもしてなかろう】

「邪神様は知らないかもしれないけど、傷害や器物損壊だけが罪じゃないのよ」


 ナタが両手でヒロの手を取った。大きく握手を振る。


「また来るからね。絶対だからね。もう私たちのこと忘れちゃダメだよ?」

「一生忘れられないよ。子どものとき忘れたのだって、すべり台の途中に戻って落ちたのが原因だ。あれがなきゃ覚えてた」


 名残惜しそうにおずおずと手を放したナタは、イデアを振り返る。

 口をつぐんでいたイデアは、カナとナタに促されてヒロの前に立った。

 ヒロは屈み込む。


「どうした?」

「あの……えっとね」


 もじもじとうつむいて口を尖らせるイデアは、急に首を振り上げる。


「エクスマキナ!」

【えっ我?】

「お願い事決まった!」


 空気を読んで気配を殺していた邪神は、居住まい? を正し(たような雰囲気を醸し出し)て、厳かに言う。


【述べてみよ】

「みんな、イデアたちみんな、こういう楽しい毎日を過ごせますように!」


 厳粛にうなずいた邪神は、声を漏らす。


【――我、初詣とか七夕とかじゃないんで、そういうお願いはちょっと……】

「おいコラ」


 カナの鋭い抗議を受けて、邪神は小さく息をついた。


【次元を超えてチョチョイと、とはいかないが……我の力が及ぶ限り尽力しよう】

「よかったね、イデア!」

「うん! ありがとうエクスマキナ!」


 ナタはイデアをいい子いい子して、イデアは顔を綻ばせている。

 ヒロとカナは顔を見合わせて、乾いた笑いを浮かべた。

 幼気いたいけな少女が邪神の加護を手に入れた、悪魔契約の現場に他ならない。


「ねえヒロ!」

「おう、なんだイデア」

「こんど来たときは、もっといろいろ、お菓子買ってね!」


 苦笑する。なんだか帰省先に来た親戚の子どもみたいだ。お小遣いに比べればずいぶんと可愛らしい。


「好きなもの買ってやるから、また行こう。好きなだけってわけにはいかないけど」

「うん。ありがとう!」


 言って、イデアは両手を高く上げてヒロに飛びついた。

 頬にどんと鼻先が突き刺さり、湿った柔らかいものがめり込む。


「いてっ。え?」

「え……ちょっと、今の……イデア?」

「あー。無理矢理迫るって、はたから見るとあんな感じなのね」

「ほら、ふたりともいくよ! またね、ヒロ!」


 鼻をちょっと赤くしてイデアがぐいぐいと二人を押す。

 はいはいと笑ってカナが虚空を撫でた。蒼い光が空間を裂いて、苔むした原生林が覗く。


「思念レベル以上まで引き上げたのは初めてだけど、ビーコンは機能してるわね」

「やっぱりいつも開けてたんだ。この街だけ通じやすいと思ったんだ」

「え、待って。話流すの早くない? イデア、今のどういうつもり??」


 呆気に取られていたヒロは、苦笑に流して手を振った。


「みんな。またな」

「あ、バイバイ! ヒロ!」

「またね。浮気しちゃダメよ?」

「じゃあね、お兄ちゃん!」


 姦しい返事とともに、開けられた裂け目を通って三人が消える。

 パキパキと軽い音を立てて、裂け目は埋まっていった。あっという間に、元通りの表通りが広がっている。

 ヒロは試しに、通り抜けてみた。

 なんのこともなく、アスファルトに降りるまで地球を歩く。

 青空を見上げた。上ったばかりの日が眠そうに夜の藍色を滲ませている。

 巨大ロボットの姿はどこにも見えない。


「また、な」


 ヒロは人間の手を青空に掲げた。遠近法で、手指が空の大半を包み込む。

 拳に握り、いっぱいまで高くかち上げる。


「……っしゃ! 今日も頑張るかぁ! 地球生活!」


 たとえ世界が分かれても。

 重ねた想いは、今も胸に残っている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

魔力炉ゼロドライブ 留戸信弘 @ruto_txt

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ