第二話 「赤」

 私は少女と共に目的の地である病院に着いた。

「じゃあ私はこれで」

「ここ……かな?」

「え?」

「あー、ごめんおじちゃん! 私中に入ってお母さんがここに入院してるか調べてくるから待ってて! 違ってたらまた探してくれる?」

「あ、ああ」

 しまった。つい、そう答えてしまった。

 少女はそう言うと、走って病院の中に入って行った。待ってて、と言われても、この街にある病院の場所は、ここしか分からないのだが。でも、私は何度かあのビルの屋上に戻ろうとしたがあの少女が帰って来た時私が居なかったらどんな顔をするか想像してしまい戻るに戻れなくなった。

 私は入り口に居る警備の人に睨まれながら軽く挨拶をして、警戒心を解こうとしたが相手の警戒心は説くこと無く返事は帰ってこなかった。

 しかし少女は遅い、中で母親と話しているのか?。ということは母親の意識はありそれほど重体ではないということか。

 私は自然に安心した。

 酷い父親はともかく、母が居ればあの子の将来も少なからず私のようにはならないだろう。だがそれは糠喜びに終わった。

 医師と看護士二人に連れられてきた少女が泣いて入り口に来たのだ。私は目を大きくして事情を聞こうとしたが医師が私に向かって怒鳴り散らした。

 まず最初に「貴方はこの子の父親か!」と訊かれたので私はたどたどしくこの子をここまで案内した者だと答えようとしたが、医師は私の返答を聞かずにまた怒鳴られた。

 医師の目は真っ赤に充血して目の下に大きなくまを作っていたのですぐ寝不足ということは理解できた。だからイラついているのだろう。私がそう判断していると医師の口から信じられない言葉が出た。

「この子の母親は今意識不明の植物人間だ! 今その子の祖母と祖父に海外での安楽死を検討するか離している! 部外者が軽い気持ちでこんなことするな!」

 安楽死、私はその言葉を聞いて一番恐ろしかったのは今さっきまで変わり果てた母を見て泣いていた少女がピタリと泣き止んだことだ。

 少女は泣くことを止めた、深い絶望により。今、確かに心が殺されかけたのだ。

「……この、この! こ、この人で無し!」

 必死に、喉から絞り出す様に私は、医師に大声でそう言った。するとその場に居た患者がいっせいにこっちを向いた。

 すると看護士が「先生!」と医師に注意をしてみせる。医師は自分の一言の残酷さに気づいたのか、少女を見ずにその場を無言で立ち去った。

 私と少女は暫くその場に居たが周囲の人間の目があるので、私が少女を無言で外に出るように手を引っ張った。すると、少女もその対応にすんなりと従った。無気力で、思考ができていないのだろう。

 とりあえず私は病院の駐車場にある休憩所のような小さな空間にある、古い赤いベンチまで少女を連れて行く、ベンチの赤は薄れて茶色のようになっていた。

 少女は……無言で下を向いていた。

 会話などない。私と少女は三十分ぐらいその場でじっと座っていた。

 その間私は色々なことを考えていた。

 まず、少女になんと話しかければよいかと考えていたのもあるが、さっき医師に人で無しと大声を出したことも考えていた。

 実は、あんな大声をだして怒ったのは多分私の人生で初めてなのだ。

 するといきなり少女が私の右腕にしがみついた。

 私は自分の体が揺れ、やっとその事実を理解した。理由は私の腕には感覚が無いためだ。。

 私の右半身は無痛症なのか、詳しくは分からない。しかし不思議と動かせる。だが痺れた手のように思い通りにはあまり動かせないのだが。

 そのため、指で何かをつかむことは右手では無理なので何かを拾ったりするには左手を使う。

「……」

 少女は無言のままだ。

 この汚い包帯に、後何分しがみついているのか思ったら少女はいきなり泣き出した。

 だが私はそれを止めることはしなかった。できるはずなかった。

「……泣けばいい、泣けばいいんだ。泣けないより、ずっといい」

 私はそう言って感覚のある人間らしい左手で少女の頭を撫でてみせる。おおよそ、三十分間少女は泣いていた。そのせいか目はさっきの医師より真っ赤になっていた。

 私はただ少女の頭を無言で撫で続けた。

 母親が安楽死という形で死んでしまうのを初めて知ったのは間違いないだろう。多分、この子の祖母と祖父があの医師と話し合っていたのだろう。

 すると、少女はゆっくりとベンチから立ち上がった。下をうつむいて私の手を握ったまま病院の駐車場を出る。

 私は少女にどう声をかけていいか分からずそのまま少女について行った。

 この少女の今の精神状態はとても不安定で、もしかしたら自殺なんて行為をしてしまうかもしれない。私がそれを止めるというのも変なのだが私はこの少女が死なないか心配なのだ。

 だがそんなことも無く少女は私を連れて駅まで歩いた。ここでお別れだなと思ったら少女は二人分の切符を買った。

「お嬢ちゃん?。」

 少女は私の腕に多分強くしがみついた。

 感覚が無いのでなんとも言えないのだが動きは強くしがみついている感じだ。

「……分かった。おじちゃん暇だし、家まで送ってあげよう」

 私は帰りのことなど考えずそう言った。何故、この少女が初対面の私にここまで頼るのか……いや、それを疑問に思うのはやめよう。純粋に今はこの少女が心配だ。

 それに、元々明日のことなど考えていないのでここで少女について行くのに抵抗が無かった。

 私と少女はそのまま赤い電車に乗り込んだ。

 電車の中は人が少し多めに居たが、私の汚らしいこの容姿のおかげで人が寄ってこず広いスペースを確保できた。

 それんしても、少女は相変わらず無言だ。時間が流水でとける砂糖の様に無くなり、電車の人々は自分の人生を続ける為にどんどん下車していく。

 いつおりるのだろうかと、切符を見てみると、とどうやら私たちは終点まで行くらしい。本当に終点に家があるのか?、私は本当に少女は自分の家まで帰る気なのか不安になった。

 すると少女が、もう私たち以外、誰も居ない電車の中で、小さな声を絞り出した。

「おじちゃん」

「ん?……なんだい?」

 私は、優しく答えた。

「おじちゃんはなんでそんな体になっちゃったの?」

 少女は声を震わしてそう言った。今まで必死に話の話題でも頭の中で考えていたのだろうか。それとも、この体について聞くのを躊躇っていたのだろうか?

「……」

 私は話そうか迷ったが、死ぬ前にこのことを誰かに知ってもらいたいと思い、話すことにした。

「……三ヶ月前のことだよ、私はある溶接工場で働いてたんだ」

 少女は無言で私の話を聞いていた。

「そこで高橋さんって人が居てね、どこの馬の骨とも分からない私を住み込み雇ってくれたんだよ……」

 私は淡々と記憶を辿り、話を続ける。

「でもそこはね、不法入国した外国の人、分かるかな? 勝手に日本に入って来た人を、多く雇うあまり、世間から見ていい所ではなかったんだ。そこに居る人の中には気が荒い人も居たんだよ」

「……」

「高橋さんは孤独身でね、私を本当の家族のように接してくれたんだ。給料も少しだが増やしてくれてね。私もそれに答えて精一杯働いたんだ、人生で、一番楽しい時間だったかもしれない」

 私の長い話を少女はただちょこんと隣に座り訊いていた。

「でもそれを面白く思わない人が居てね……ある日私の体に真っ赤に解けた鉄を……かけたんだ」

「! そんな酷いこと!」

「……確かに酷いことかもしれない。でも私はそれを警察に言ったり治療しに病院には行けなかったんだよ」

「なんで!」

「私の働いている場所が、警察とかに特定されてしまうからね」

「……でも、でも、おじちゃん……そんなの」

「その夜、私は火傷を負った体を冷やしながら高橋さんに頭を下げて頼まれたんだ。このことは表ざたにしないで欲しいって」

「……」

「でも、その後部屋の外で私に鉄をかけた男と高橋さん言葉で私の知らない男が言い争っていたんだ、男は包丁を持っていたよ、どうやら私が警察にこの一件を話すと思い殺そうとしたんだろう」

「おじちゃんも……辛い……ね」

「……ああ、その後私は今身につけている物を高橋さんから持ち去って、その工場を出たんだ、服を盗んだことは悪いと思っている」

「それは、許してくれるよ」

「……だといいんだけど、ね」

 話し終わった。なんだか今日は自分の人生を振り返ることが多きがする。いや、毎日振り返って、死にたくはなっていたか、駄目だな。最近、記憶が無くなる、薄くなっていると言ってもいい。二分前の記憶がよく思い出せない。

 ああそういえばなんで私は電車に乗ったのだったか、そう思った瞬間、電車が駅に着いた。終点らしい、少女と私は電車を降り駅を出た。

 降りてみれば、かなり田舎でそこは田園が広がっていた。時は夕暮れでこの山里は赤く照らされ幻想的な不陰気を出していた。一瞬ここがあの世ではないのかという幻想を浮かべてしまう。

 すると、少女は少しだけ元気に私の前を歩き出した。

「こっち! 家はこっちにあるんだ」

 どうやら僅かにだが元気を取り戻したらしい。それとも無理に元気な振る舞いをしているのか。

 水が満たされた田園の中を歩いていると、私はあぜ道に咲いている花を見て立ち止まった。

「おじちゃんどうしたの?」

「ああ、おじちゃん、この死人花が好きでね」

「それ彼岸花だよ、おじちゃん」

「別名で死人花って言うんだよ、他にも地獄花とも――」

「嘘だー!」

「いや、いやいや、本当だって、帰ってから辞書で調べてみると見るといい」

「絶対に嘘!」

「本当だってお嬢ちゃん」

 私は、こんな言い合いをしていることもおかしくなり、つい笑ってしまった。

 するとそれにつられ少女も笑う。ああそういえば笑った事など何年ぶりか、私はそう思うと、思わず目から涙があふれてきてしまった。

「……おじちゃん? ごめん、なんか私――」

「いや、お嬢ちゃん、うれし、泣きだよ。これは」

 笑えたこと、それが、ただそれがうれしくて、私は泣いてしまった。

 


 暫くして少女と私は少女の家に到着した。

 中ではいきなり姿を消した孫を心配した少女の祖母と祖父が居た。少女は怒られながらも抱きしめられていた。大切に育てられているらしい。

 少し話をしてから帰ろうとすると、少女の祖母は私に何度も感謝してくれて、帰りの電車賃をくれた。

 すると少女の祖母は他にもお礼ができないかと聞いてきたので、何か書くものと紙をくれと言った。少女の祖母はこんな物、何に使うとたずねてきたのだが私はそれを答えることができなかった。

 私は、祖母に少女が母の今の状態のことを知ってしまったことを伝えた。すると祖母は私にあの子の母親を直すには、と言っても僅かな可能性だが速球にアメリカで治療すれば直るかもしれないのだが、莫大な資金がいるため、仕方なく安楽死させようか医師と話し合っていたことを教えてくれた。

 もし私が大富豪ならばポンとお金を出すのだが今の私にそんなことできない。

 私はそのまま少女に別れの挨拶をせずその家を出た。

どうやらこの村は今日はお祭りらしい。暗くなり赤い提灯が神社の方で輝いていた。あの子も浴衣を着てお祭りに参加するのだろうか?

私はそんなことを考えているとこの村にふと残りたいと思ってしまった。

「ああ、いけない」

 私は死ななければならない。こんな体でこの先、生きて行くことなど不可能だ。

 すると足から赤い血が流れ出ているのに気がついた。長い間歩いた所為で、出たのだろう。私の右半身の皮膚ははボロボロの木の皮のようなものだ。ちょっとした衝撃で血が出てしまう。

 私は血が出なくなるのを待って最終の電車に乗りあの町まで帰った。



翌日。私はあのビルの屋上に居た。

公園に帰ると私のダンボールで造られた家は他のホームレスに乗っ取られていたので明け渡すことにした。

元々死ぬつもりだ、明け渡しても困ることはない。


ああ、喉が渇いた。


そういえばさっき昨日貰った電車賃のあまりで生まれて初めてただの水であるミネラルウォーターを買ったのだ。

死ぬ前に食べるものか飲むものかで何にしようか迷い全ての生命の源の水を買うことにした。

我ながらよく思いついたと思う。

すると意外な来客が来た。

「おお、やっぱり此処に居たんだ、おじちゃん」

あの少女だ。

「昨日はいきなり帰ったからびっくりしちゃった」

少女は私にそう言って近づいてきた。

「今日は……どうして此処に?」

「昨日の、お礼言おうと思って」

「別にいいのに」

「良くないよ」

「ああっそうだ」

 私はそう言うと少女に紙に一言書いて少女に渡した。

「これって?」

「宝くじと後、君に持っていて欲しい手紙だよ」

「いいの? 宝くじは案内してくれたお礼だよ?」

名無し「それはもう、私が持っていても仕方ないんだ」

「……」

名無し「まぁ、その手紙は君に持っていて欲しいんだ」

「うん……………………分かった」

 少女はそう言うとドアの方に向かった。少女に渡したのは遺書だ。

 死ぬ時飛び降りる前に靴と共に置こうとしたが、何故か私はあの少女に渡すことにした。

「またね! おじちゃん!」

名無し「……」

 手を振る少女に私は無言で手を振った。その言葉の残酷さを、辛さをかみしめながら。

 少女がドアを開け下に下りてから私はこう言った。

「さようなら、お嬢ちゃん」

 またね、なんて言えなかった。

 そして、あの少女が私の人生で最後に会った人になった。



 ああ、ああ……ありがとう。



 夜になり、風が出て来た。

 どうやら台風が近づいてきているらしい。

 私はペットボトルに残っていた水を一気に飲み干すとビルの外側に歩み寄った。

 ああ、心残りは無い。

 そう、無いはずだ。

 私が死んで泣く人など……あの少女は?。

 泣くかも知れない……だが止めるわけにはいかない。

 風が強い、感覚を無くした右半身のせいでどこから吹いているか分からないが強い風を感じる。

 私は落ちるか落ちないかのぎりぎりのところに立った。

 私は着ていた革ジャンを投げ捨てた。

 そして次は腕に巻いていた包帯を解き投げ捨てた。

 両方とも蝶のようにひらひらと落ちて行った。

 心残りは無い……いや、ある。

 やはり、あの少女だ。

 だがあの子の母親を助けるなど私には無理だ。

「ああ、そうだ」

 私は天を仰ぎ見た。

「神よ! もし貴方様が居るのならば、この先あったであろう私の人生の幸福をあの子に! もし貴方様が居るならば私の死を代償に幸福をあの子に! もしあなた様が居るのならば、どうか、ああ、どうか! どうか、救って、くだ、さい……助けて、あげてください!」

 私は夜の街から星の無い空に叫んだ。

 もういい。

 もうできることはない。

 私は目をつぶりゆっくりと足を一歩進めた。

 体はふわりと空高く上って行った。

 私にとってこれは落ちているのではない。

 空に向かって飛んでいるのだ。



 その男の最後、心は白く輝いていた。

 強く眩しく、だが小刻みに震え今にも消えそうな不安定な輝きだった。

 男の心はその光で満たされていた。

 青い悲しみでも赤い怒りでもない、ただ真っ白に純粋なあの少女への幸福を願って。



 十年後。

 あれからちょうど十年、私は今日あのビルの屋上に向かっている。十歳のあの夏の終わりに会ったあの人の死に場所に行くために。

 十年前のあの日の翌日、私は人生最大の喜びと悲しみを味わった。

 なんとおじちゃんから返された宝くじが当たったのだ。

 二等の一億円だが母を治すには十分な資金を手に入れることができた。

 そしてもう一つ。

 体半身を火傷した身元不明の遺体があのビルの真下で見つかったとニュースで流れたのだ。私は後悔した。

 何故気づいてあげられなかったのだろう、おじちゃんが死のうとして入たことを……いや、言い訳だ。薄々分かってはいたのだ。

 そして私に渡された物が手紙では無く、遺書だとすぐに気がついた。

 事故現場に遺書が無かったからだ。

 そうそう、数日後私はおじちゃんのことを「キモいよねー」「自殺だよ、馬鹿だよね」と言っていた私をいじめていた連中に怒りをぶつけた。人生であれだけ怒ったのはあの時だけだろう。何を言ったのか、まったく覚えていない。

 しかしそれが功を奏したのか、私がいじめられることは無くなり、学校も中学になると友達もできて、平凡で、でも幸せな人生を送れた。

 そして、屋上へと続く階段を上がり、古いドアを開けてあの場所に辿り着いた。

 三日前、私は怖くて見れなかったあの、おじちゃんの遺書を読んだのだ。

 遺書には私に教えてくれた工場で会ったこと以外のことが書かれていた。

 そして最後に「お嬢ちゃん、ありがとう」と書かれていた。

 私はおじちゃんが止められなかった私を恨んでないと、安心して涙が出た。そして今日、おじちゃんが好きだった死人花を新聞紙で巻いて此処に来たのだ。

「おじちゃん、また会ったね……本当に彼岸花の別名死人花って言うんだね、びっくりしちゃった。」

 私はそう行ってあのベンチが会った所に花を置いた。

 青いベンチは無くなりあの時無かったフェンスがつけられていた。

 すると「本当だって言ったろ。」と声がした。

「……おじちゃん?。」

 幻聴……でもうれしい。私から涙があふれた。



 私は泣いた、ただその人のために。


                           

                           


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白き願い 緑八 縁 @ryokuha-enishi

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