白き願い

緑八 縁

第一話 「青」

 雲ひとつ無い青い空が広がる夏の終わり、私はあるビルの屋上に居た。

 私は何故かこの屋上にある青色に塗られたベンチに腰をかけて特に何もするわけでもなくただそこに居た。此処に来る時にははっきりとした目的があったのだが私は今日それをする気になることはできなかった。

 いや、今日だけではない、昨日と二回目だ。まさか今更死ぬのが怖いのか?。

「まさか、何を今更」

 私はそう言って今自分が思ったことに反発した。

 すると屋上に一人の少女が上がってきた。

 私は目を丸くした。このビルはどの階にも人はおらず、無人でしかも扉に鍵や、警備も無く簡単に侵入できる。

 だがそれでも、こんな所にまさか子供が来るなどと私は驚いたのだ。

 昨日此処に一日中居たが、人などこのビルの中にすら入ってきたことは無かっただろう。

 それなのに、今日いきなり子供が現れたのだ。

 もし私が今日此処に来た理由を知られては警察に通報される。私はその子を無視することにしたが私は次の少女の行動に思わず顔を青くして大声を出してしまった。

「お嬢ちゃん、危ないよ!」

 私は大声でその少女を止めた。このビルの屋上にフェンスは無い。

 だから私はこのビルを選んだのだが今この少女が私が今やろうとしていたことを目の前でやり始めたのだ。

「まだ若いんだから飛び降り自殺なんてするんじゃない!」

 少女はクスリと笑うとこう言った。

「私は病院を探してるだけだよ」

「へぇ……」

 私はとんだ勘違いをしたようだ。すると少女は私の顔を見て驚いた。

「おじちゃん、どうしたのその顔!」

 少女の反応は別に珍しいものではない、私は右半身に大火傷を負っているのだ。

 それよりおじちゃんとは、私はまだ三十歳前半なのだが、まぁこの顔では年齢など分かるまい。

 火傷は足はゴミ捨て場から拾ったジーンズを着ているから、隠れていて右手はボロボロの包帯で何度も繰り返し巻いてできるだけ、菌が体に侵入しないようにしているが顔は違う。

 別に容姿に気を使うことがない私は醜く黒く歪んだこの右の顔を隠さなかった。

「昔、大火傷してね、それよりお嬢ちゃん、病院って言ったね?」

「うん、お母さんが入院してるの」

 少女は多分小学生六年生か中学一年生か。

「おじちゃん、ここら辺にある大きな病院知らない?」

「ああ、それならここから一時間ほど歩いた所にあるよ」

「なら案内してもらっていい?」

「へ?」

「だって暇でしょ」

 暇……この子は私の容姿を見てそう判断したのだろう。私はこのビルのすぐ下にある公園に住んでいるホームレスだ。

 ダンボールで作った家があるのだが、最近役所の人が来て撤去しようとしている。

 しかし私の格好は絵に描いたホームレスの姿なのだろうか?。格好はさっき説明したジーンズと右手の包帯、それに加えて茶色の汚い大きな革ジャンと右の火傷により死滅した毛根により左だけに髪が生えている頭を隠すため被っている抹茶色のニット棒だ。

さすがに容姿にあまり気をつかない私でも右だけハゲている頭をさらすのは嫌なのだ。

「おじちゃんホームレスなんでしょ?」

「あのねお嬢ちゃん、お父さんやお母さんに知らないおじちゃんについて行ったら駄目って言われなかった?」

「そんなこと言う人は危なくないでしょ」

「……」

どうやらこの子は頭の回転が速いらしい。

「ねっいいでしょ」

 まぁ別に忙しいという訳ではない、それに今日は人生を終わらせる気にはなれなかった。

「はぁ、いいよ。」

 私は嫌々、少女を病院まで送ることにした。

「ありがと! 私は琴音、おじちゃんは」

「名前……か」

 名前、そんな物とっくの昔に捨てた。

「無いんだ、名前。」

「へー、すごいね。」

 何がすごいか分からないが。

「じゃあ名無しのおじちゃんだ」

「名無し……」

 まぁ死ぬまでの名前だ、別に文句など言う気はない。

「それじゃあ病院まで案内して。」

「ああ、分かったよ」

 こうして私は少女を今から一時間歩いた所にある病院まで送ることになった。

 ビルを降りると周りの人間から白い目で見られた。ホームレスが小さな少女と歩いているのだ。不審に見られても仕方ない。

 そんな中、私は少女の腕にいくつもの絆創膏が張られてるのに気がついた。私の格好は真冬のようだが今は八月の終わり、だが少女の季節らしい格好で、薄い青の半袖と白の半ズボンだ。

 腕にいくつも張られた絆創膏に気づくのにそう時間が掛からなかった。

「どうしたんだい? その傷」

「ああ、うん……学校でね」

 少女はさっきまでの元気がなくなって小さな声でそう答える。私はこの少女がいじめられているのが、すぐに理解した。なにしろ、私も小学生時代いじめられていたからだ。



 あれは私が小学五年生の時だった。三年生、四年生と軽いいじめがあったが小学五年生になって一気にいじめがエスカレートした。

 下駄箱に置いてある靴の中に画鋲が入れてあったり、階段から突き落とされたこともあった。体中に青と紫のあざを作り毎日過ごしていた。

 あれはもはや、いじめというより殺人未遂と言ってもいいのかもしれない。

 だが本当に辛かったのは担任の教師の対応だ。ある日私は顧問の先生にいじめの相談を泣きながらした。だが先生の返答は「いじめっ子にいちいち反応するから駄目なの、ほっときなさい」「無視しておきなさい」というばかり。

 無理に決まっている。そんな事をされて無視するなんて無理だ。そして、体より先に心が砕けた。



「おじちゃん?」

「ああ、ごめん」

 少女の声で過去から現実に戻された。少しぼうっとしてたらしい。

「私実はいじめられてるの」

 少女は精一杯の作り笑いでそう話してくれた。いや、漏らしたと言った方がいいのだろう。こんなホームレスでもいいから、それを聞いてほしかったのだろう、

「ああ、気づいてたよ。腕のそれ、そうなんだろ?」

「うん。引っ掻かれたんだ。先生は、その、相手にするから駄目なんだよっていうんだけど……やっぱり私が悪いのかな?」

「……攻撃されるのを放っておくなんて無理だと思うよ」

 少女は目を丸くしてこちらを見た。欲しい答えが返ってきたことに驚いたのか?

「まぁ、どうすればいじめが無くなるんて誰にも分からない、そんなこと分かってたら全国でいじめが無くなるだろうからね」

「……それじゃ……どうしたらいいのかな?」

「……なんでもいいから自分を変えてみるんだよ、自分が変わらないと自分の世界も変わらないと思うから、そしたらもしかしたらいじめが無くなるかもしれない」

「……おじちゃん保険の先生になったらいいのに」

「ほけ、へ?」

 いきなりの提案に私は驚いた。

「ほら、保険の先生の仕事って生徒の怪我を治すよりそういう生徒から色々な悩みを聞く方が多いでしょ、おじちゃんなら一人一人のそういう悩み事を真剣に聞いてくれそうだもん」

 だもんと言われても……もし私があの時担任ではなく保険の先生に相談していれば、私の少年時代はいい方向に変わっていたのだろうか?。

 いや、それを考えるのは止めよう。

 というより保険の教師は本当に生徒の悩み事を聞くのが多いのか?

 と、昔のことを考えていると私は無口になってしまっていた。

 私と少女は暫く無言のまま歩みを進めた。

 信号が青になり歩道を歩いていると私はその沈黙に耐えられなかったので少女に訪ねた。

「お母さんのお見舞い、なんでお父さんと一緒に来なかったの?」

「……離婚した」

「あっ……ごめん、ごめんね?」

「別におじちゃんが原因で、離婚した訳じゃないよ」

 まぁそうなのだが。

 私と少女はまた沈黙して歩き始めたが、少女は暫くしていきなりこう言った。

「ごめん」

「へ?」

「嘘ついた、いや、離婚したから嘘じゃないんだけど……あいつ今刑務所にいるの」

「刑務所、か」

「うん、ある日ね、お母さんが居ない日にあいつが知らない女の人を家に連れ込んだの」

 なにやら凄まじい話になりそうだ。しかも語り部は小学生と来た。私の心臓はバクバクと音を立て暴れ出した。少女があいつと言っているのは父親なのだろう。

「そしたらあいつ、私にこのことはお母さんに秘密だよなんて言ったの」

 なんて父親だ。子供が居るのに堂々と浮気とは……。私はそう思いながら話を聞いていた。

「もちろん私はお母さんに真実を言ったけど、その晩お母さんとあいつ言い争いになってあいつ家を出たのよ」

「まあ……お父さんが悪いね。確実に」

「あんなやつ父親じゃない。」

「ごめんなさい」

 私は迫力のある少女に敬語を使い謝ってしまった。どうも自分には人生に疲れてから気弱になってしまっている。

「でも……でもね、私言っちゃったことを後悔したの」

「……それはまた、なんで?」

「あいつ、数日たってお母さんを車でひき殺そうとしたから……」

「……」

 凄まじい話になるかと思ったが、まさか二段構えだったとは、思わず絶句してしまった。そうだよな、離婚で刑務所には入らないよな。

「私のせいでお母さん……」

「それは、お嬢ちゃんが悪いんじゃないよ。大人が、悪かったんだ」

「……」

 少女は無言で小さく頷いた。そして、少女は泣いているのか、小さく喉を震わしながら下を見て歩き始めた。

 少女の気持ちは分かる。私もろくで無しの父親を持った。

 私の父親は私が生まれてすぐに母と離婚してどうやってか知らないが、私を引き取った。だが父は私を育てる気など無かったらしい。金はほとんどをパチンコにつぎ込み、私は死なない程度に水と食料を与え学費もまともに出さなかった。

 中学生のとある日だ。私は連日のように続くいじめで学校に行きたくなくなり学校に行かずに家で過ごしていた。

 すると父は私を殴り「昼間にお前に居られると目障りなんだよ」と言い私を殴り無理やり学校に行かした。

 すると教師は私に父親につけられた傷のことを訊かれたので、正直に言うと血相を変えた父親が来て教師の前では「やりすぎた」とペコペコと頭を下げて謝ったが、家に帰ると再び私を何度も殴り「次あんなこと言ってみろ、殺すからな」と脅された。



 つい、嫌なことを思い出してしまった。なんだか疲れてしまった。

「ちょっと休もう……いや、おじちゃん疲れてしまってね。休ませてくれないかな?」

 私はそう言って辺りに座れる物がないか探す。すると駅前にあるバスを待つ人のための青いベンチが置いてあった。

 それは屋上にあったベンチとそっくりそのまま一緒の物だった。まさか誰かがここにあったベンチをあの屋上まで運んだのか? そんなことを考えながら私は少女をベンチへと座らせた。

 その頃には、少女は泣き止んで落ち着いてきた。病院はすぐそこだ。後はここで少し休憩すれば私はこの少女と別れあのビルに戻るのだろう。

 そんなことを考えていると、少女はいきなり立ち上がった。

「どうしたんだい?」

「お礼!」

 少女は短くそう言うと立ち上がり近くにあった宝くじ屋に走って行った。暫くして少女は淵の青い紙を私にくれた。

「はい! 夢の切符」

 なるほど、夢の切符か、宝くじとそのまま言うより聞こえがいい。

「おじちゃん! 三億円手に入れたら最初に何をする?」

「三億円、かぁ~」

 そんなこと想像がつかない、いや、想像すること自体、無意味だ。お金じゃあないんだ。もう、私は心底疲れてしまったのだ。この世界に、だから、死にたい、

「うーん、分からないなー。お嬢ちゃんはどうかな」

「私はね。お母さんにあげるの」

「それは、すごい親孝行だな」

「でしょ!」

 お金か、そういえば昔、金で大変なことになってしまった出来事を私は思い出した。



 中学卒業後、私は無論高校に行く金など無く必死でアルバイト先を探した。

 そしてついに酒屋で住み込みで働かして仕事を見つけ、仕事に慣れ始めた頃、父親が訪ねてきた。

 父親はパチンコで金を使い果たし金をくれと言ってきた。だが、無論私にそんな余裕はない。

 すると父親は店で暴れだし商品を次々と壊し始めた。その日私は店を首にされた。

 もう、あれを心の隅置いた家族であるとうう認識を捨て、私は父親に会わないように、逃げるように、住み慣れた町を出た。



「おじちゃん?」

「ああ、ああ、ごめんよ」

「おじちゃん、ぼーっとすることが多いね!」

「そう、だね。ああ、病院はすぐそこだ、行こう」

「うん! おじちゃんも見て貰ったぼーっとすること無くなるかもよ」

「はは、お金がなぁ……」

 そんな会話をしながら、私と少女は病院へと向かった。

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