7-5 めでたし、めでたし

「プーヴァ、良いよ」


 テナは空のグラスを持ってプーヴァが待機しているキッチンへ向かう。

 プーヴァはそのグラスを受け取ると、シンクの中へそっと置いた。


 テナはいつものように自分の席に着き、壁に掛けてあった時計を見た。

 時刻は午前十時半。レイテの王子様は時間通りに来てくれるだろうか。


「お疲れ様、王子様が来るまで、お茶にしようか」


 プーヴァが二人分のカップとアップルパイを乗せたトレイを持って、のそりのそりと歩いてくる。テナはトレイを覗き込み、自分のカップの中身を確認した。そしてそれが彼女の大好きなハチミツ入りホットミルクであることを確認し、嬉しそうに笑った。


「王子様が来るの、何時だっけ」

「十一時二十分よ」

「お昼……どうする? 二人の分も準備する?」

「冗談じゃないわよ。何であんな女と一緒に食べなきゃなんないわけ?」

「どうしたの?」

「あの女、こないだは猫被ってたのね」


 テナは頬を膨らませ、ぷりぷりと怒りながらプーヴァの手作りアップルパイにぐさりとフォークを突き立てた。


「面倒だから、王子様が来たらとっとと引き取ってもらいましょ」


 一口大に切るなんてことはせず、そのまま持ちあげると、大口を開けてパイにかぶりつく。さくさくのパイ生地と、シナモンの香るリンゴに、甘すぎないカスタード。そのすべてがテナの好みに作られている。それを一口齧る度に彼女はこう思うのだ。


 

 プーヴァが、私のために作ってくれたんだ。私のために。私の、ためだけに。


 それだけで、彼女は幸せな気持ちになってしまうのである。


 


 レイテの待ちわびる『王子様』が現れたのは十一時二十分きっかりであった。


「姫は、どちらに?」


 王子は手土産にと持参していた焼き菓子をプーヴァに手渡すと、彼の誘導でレイテの待つテナの部屋へと向かう。


 ゆっくりと、愛しの姫のもとへ。


「良い? あと十分で彼女は目を覚ますわ。ちゃんとあなたのキスで目覚めたようにするのよ。こういうのはタイミングが大事なの」

「わかりました」

「彼女が目を覚ました時、あたし達がこの場にいたら厄介なことになるからここを出るわね。うまいこといったら、さっさと出て行ってちょうだい」


 テナはそれだけ言って、ぱたんとドアを閉めた。


「さ、プーヴァ、お昼の準備お願いね」




 テナの部屋に残された王子は、ベッドに仰向けで横たわる自分の『姫』を見下ろす。


 美しいなぁ、と彼は思った。そろそろ時間だと跪き、彼女の顔を覗き込む。ゆっくりと唇を重ねて、その時を待った。


 やがて、愛しの姫は目を覚まし――……




「魔女さん、プーヴァさん、ありがとうございました」


 レイテは王子の腕にしっかりと自分の腕を絡ませ、零れんばかりの笑みを浮かべている。


「いやいや、そんな」

「はいはい、お幸せにね」


 プーヴァは幸せそうな二人に手を振った。テナもまた同様ににこやかに手を振った。しかし、内心では塩でも撒きたい気持ちである。


 幸せそうな二人は仲睦まじく寄り添って雪道を歩いて行った。ただ、その後ろ姿を見届けたのはプーヴァのみで、テナはというと、さっさと自分の席に着き、昼食が運ばれて来るまで、のんびりと編み物の続きに取り掛かっていたが。




「はい、お待たせ」


 ほわほわと湯気の上がる料理が並べられ、テナは顔をほころばせた。

 寒い寒いこの冬の国で、暖かい部屋で食べる、温かい料理。目の前には、大好きな相棒がいる。


「うまくいって良かったね」


 テナの向かいに座ったプーヴァは、温野菜にフォークを刺すと、ゆっくりと口へ運ぶ。


「当たり前でしょ。あたしを誰だと思ってるの」


 テナはそう言って得意気に胸を張った。



***


「こんな近くに王子様がいたなんて、気付かなかったわ、私」


 レイテは隣に座る王子にうっとりとした視線を向け、その身を預けた。


「やっと僕に気付いてくれたんだね、レイテ。いや、僕の愛しいお姫様」

「私、幸せだわ」

「これからも僕がずっと君のことを守ってあげるからね。君がどこにいたって、誰といたって、僕はずーっと君の近くにいるからね」

「まぁ、そんなにも私のことを大事にしてくれるのね。嬉しいわ、アンジ」


 レイテはアンジの手を取って愛おしげにさすり、彼を見上げた。アンジはその上にさらに自分の手を重ね、彼女の手を挟んだ。


「魔女さんに感謝しなくちゃね。僕と君とをこうして結び付けてくれたんだから」

「本当ね」


 そう言って、レイテは壁中に自分の写真が貼りつけられた部屋をぐるりと見渡し、自分への愛の深さに満足気な笑みを浮かべた。それを見て、アンジもまた幸せそうに目を細める。


 そろいのカップが並んだテーブルの上にも、彼女が振り向きざまに自然に微笑む写真が飾られていた。その笑みは果たして誰に向けられたものだったのか。少なくとも――、


 彼ではなかったはずだが。




 テナが彼女に飲ませたのは何の変哲もない惚れ薬である。


 それは服用してから約一時間の仮死状態の後、目覚めてすぐに見た人間を好きになる、という。ただそれだけの薬だ。


 大きな副作用もない代わりに、その効果が薄れることはない。


 だから、そう、王子様とお姫様はいつまでも幸せに暮らすのだ。

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