7-終 彼女の王子様

 二週間前、レイテがこの小屋を去った後、テナはプーヴァにこう言った。


「彼女の話が本当なら、そのアンジって男、後をつけてるはずよ。見つけたら、連れて来て」


 わかった、と了解して外に出てみれば、豆粒のように小さくなったレイテの後ろをこっそりつけている男を発見した。


 彼は雪を被った大木にその身を隠しながら、彼女に気取られないよう用心深く一定の距離を保っていた。後ろから見た感じでは、プーヴァよりもだいぶ背が低いようだが、横幅はそう変わらないだろう。


 プーヴァが男にそぅっと近づき、声をかけると、彼は飛び上がらんばかりに驚いていた。少しずつ遠ざかるレイテの姿をちらちらと気にする彼を何とか小屋まで引っ張り、テナに引き合わせる。魔女の話など、と話半分だった彼であったが、レイテが運命の王子様を探していると言った途端身を乗り出してきた。


「あなた、王子様になる気はない?」


 テナがそう提案すると、彼は勢いよく何度も首を縦に振った。そんなに振ったら、首がもげてしまうのではとプーヴァが心配するほどに。


「だったら、二週間後の……ええと、十一時二十分に来て。まぁ、あなたのことだから、彼女の後をつけて来るんでしょうけど。でも、それより早くにこの小屋に入っちゃダメよ。こっちにも段取りってもんがあるんだから」

「わかりました。わかりました。本当に彼女と一緒になれるんですね?」

「もちろんよ。必ず来てね。じゃないと、ここの彼に彼女、とられちゃうかもしれないわよ」


 そう言って、ちらりとプーヴァを見る。プーヴァはそれは勘弁、とばかりに顔の前で激しく手を振った。しかし、それが通じていないのか、彼は勢いよく立ち上がって「それは困ります!」と叫び、「絶対、絶対に来ます。二週間後の、十一時二十分ですね! 大丈夫です!」と声を上げた。


 そして、一刻も早く彼女の護衛に戻らないと、と言って、彼は足早に小屋を出た。


「これで収まるところに収まるわね」


 テナは満足気にそう言って笑った。





「へぇ、そんなことがあったんだ」


 満月の晩、約束通りにやって来たブラッドは、プーヴァの血料理に舌鼓を打ちながら、興味深そうにテナの話を聞いた。


「王子様のキスで目覚めるだなんて、なかなか粋な演出するじゃん、魔女ちゃんも」

「まぁね」


 ブラッドに褒められて、テナもまんざらではないようだ。つんと澄ました顔をしているが、その頬はほんのりと赤い。プーヴァは何となくそれが気にくわないと思いながら黙々と自分が作った料理を口に運んだ。


「ねぇ、見た目はどんな感じなの? やっぱりお姫様や王子様って感じ? 美形?」


 ブラッドはニヤリと笑って、血の混ざった赤ワインを飲んだ。


「女性はともかく、男の美醜なんてわからないわよ」

「いやいや、魔女ちゃんはさ、近くに美男子をはべらせてるから、わかるはずだって。どうだい? 人間の姿の白熊くんと比べてさ」

「プーヴァと? そうだなぁ……。プーヴァの方が、背はおっきいかな」

「もしかして、人間になってもこれくらいあるの?」


 ブラッドは腰を浮かせて右手をプーヴァの頭に当てた。


「まさか。測ってみたら、いまよりも二十センチくらい縮んでたよ」


 プーヴァはぶんぶんと首を振る。


「それでも二メートル近くあるだろ。そんなでかい男、そうそういないぜ?」


 そう言いながら、座り直す。


「あと……、プーヴァの方がほっぺたはつるつるしてるかな。あの人は顔中お髭だらけだったし」

「白熊くん、いまは毛だらけの癖に、人間になるとつるつるなのか……」

「あとは、プーヴァの方が髪の毛もさらさらしてるし、目もぱっちりしてるし、それから鼻も……」

「わかったわかった! もう完全勝利だよ、白熊くん。あーあ、俺も見てみたいなぁ、人間の白熊くん」

「ダメダメ。君はこの姿でも目を回したりしないんだから、そんな人に使うのはもったいないよ」


 プーヴァに素気無く断られ、ブラッドは、ちぇっ、ケチ、と言って口を尖らせる。


「いやぁ、しかし、うまくまとまってよかったね。彼の方はだいぶ彼女にご執心だったみたいだし。まぁ、ちょっとばかし異常な気もするけど。彼女の方も薬の力とはいえ、理想の恋人が出来たわけだしねぇ。まさに童話だ」


 ブラッドは口角を上げて、ヒヒっと笑った。元は人間だったはずなのに、なんだか魔女の笑い方にそっくりになってきたな、とプーヴァは思った。


「童話?」

「読んだことないかい? 二人は末永く、幸せに、暮らしましたとさ。めでたし、めでたし、で終わるんだ。その後のことは誰にもわからない。本当に末永く幸せに暮らしたのかなんて」

「成る程ね。魔女の信条にぴったり。後のことなんて知らないわ。あの二人が今後、幸せになろうが、不幸になろうが」


 テナはそう言うと、ハチミツ色の髪の毛を手櫛で梳いて笑った。


 長さはやっと顎の辺りだ。魔女は年を取るたびに少しずつ髪の毛が伸びる。そしてそれが肩まで届けばやっと大人、つまり、一人前だ。テナは今回の惚れ薬を作ったことで、またひとつ魔女としてのレベルが上がった。つまり、年を一つ取ることが出来たのだ。


 年を取ったことを知らせるのは右手小指の付け根に走る鈍い痛みである。テナの右手小指にはお守りの金の指輪が光っている。


 十九歳かぁ、とするすると指を通って行く髪の毛を感じながらふぅ、と息を吐く。大人になりたいような、でも、このままでいたいような、そんな気持ちだった。



 久し振りの訪問だというのに、ブラッドはいつも二時間ほどの滞在で帰ってしまう。何でも、「目の前に美味しそうな女の子がいるのに、手を出せないなんて拷問だから」というのがその理由らしい。


 いくら見た目は人間と変わりがなくても、テナは魔女である。果たして魔女の血が人間のそれと同様に美味であるかなどわからないのだが、経験上、テナのように男性経験に乏しい子ほど美味しいらしい。その上、見た目も良ければ言うことはない。


 もっとも、見た目が良い女の子というのは、たいてい経験の一つや二つ済ませてしまっているそうだが。



「ねぇ、テナ。もう眠い?」


 キッチンで後片付けをしていたプーヴァがひょっこりと顔を出し、テナに問いかける。


「まさか。あたしもう十九よ? こんな時間に寝るのはお子様だけよ」


 その言葉にちらりと時計を見ると、既に時刻は二十一時を過ぎている。ほんの数ヶ月前ならもう部屋に引っ込んでいたくせに、とプーヴァは笑いをかみ殺した。


「そうだね。テナはもう十九歳なんだもんね。じゃ、何か飲む?」

「そうね……。コーヒーをもらえるかしら?」


 いつもなら精一杯背伸びしてもカフェオレ止まりだったが、ほんの少し大人びた言い回しと、おそらく意図的に低いトーンで、テナはコーヒーを注文する。


 プーヴァはわかった、と返しながらも、トレイの上には当然のようにクリームと砂糖のポットを乗せるのだった。




――客人No 8 美女と野獣の娘 に続く

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