9-終 めでたし、めでたし

「いやー、酷い話もあったもんだぜ」


 ひと月振りにやって来たのは、満月の晩に食事をすることがもはや恒例になっているドラキュラのブラッドである。


 彼はテナの祖母であるマァゴが作った薬の作用によって、空腹感と味覚を失った。それでもなぜか血の味だけはわかることが判明し、三、四日に一人という自分ルールのもと、若い女性の血を吸っている『吸血鬼』である。

 しかし、空腹感は無くともやはり食べることは好きなようで、満月の晩にひょっこりと顔を出しては、プーヴァの特製血(それは山羊や豚のものであったが)料理に舌鼓を打っているのだった。


 ちょくちょくゴラゴラの街に足を運んでいるプーヴァはともかくとして、この小屋から一歩も外へ出ないテナは、あちこちの街で『食事』をしているブラッドから、その街々での出来事を聞くのを密かに楽しみにしている。


「酷い話?」


 早速投下された話題にテナは身を乗り出した。


「半年くらい前だったかな、羆の被害が出たトコあったろ? クッラァっていう、南の街」

「あった……わね、確か」


 テナはやっと飲むことを許された薄めのワインを舐めるように飲み、顔をしかめた。


「俺がこないだ行った時にはもう羆は退治されたみたいでさ、剥製になってバーに飾られてた」

「何よ、それだけ?」

「……まさか。その街でさ、事件があったらしいんだ。何でも、母親に出て行かれた引き籠りの息子らしいんだけどな、ありゃあもうどこかイカれちまったんだろうな。薪割り用の斧を振り回して、自分の母親が隠れてないかって、民家から商店から……」

「酷い話ね。そんな息子だから母親も愛想尽かすのよ。逃げて正解ね」


 テナはうんざりした顔でワイングラスをくるくると回す。


「――ん? 母親に……?」

「何だ、魔女ちゃん、知り合い?」

「んーん、その息子は知らないけど……、母親ならここに来たかも」

「そうなの? じゃ、母親が出て行ったってのは魔女ちゃんの薬のせいか」

「ま、飲んでたらね」


 そう言うと、テナは再度グラスに口をつけた。


「はい、お待たせ」


 のそりのそりと大鍋を持ったプーヴァがやって来る。彼は用心深く鍋敷きの位置をチェックしながら、それをテーブルの上に置いた。


「今日はね、ブラッドソーセージ入りのポトフにしたんだ。テナはこっちの色が薄い方のソーセージを食べるんだよ。濃い方がブラッドと僕の」


 説明を終えると、盛るのは各自で、と言って着席する。


「ねぇ、プーヴァ、あの引き籠り息子、家から出たみたいよ」


 待ってましたと早速ポトフに飛びつくブラッドを尻目に、テナは少し身を乗り出してプーヴァに話しかけた。


「引き……? ああ、あの。良かったね。自立したのかな」

「自立……なのかしら。何か、自分の母親を探し回って、民家で斧振り回したみたいよ。それくらいの行動力はあったみたいね」

「あらら。それはそれは……」

「死者は三人、負傷者は七人だってさ」


 ソーセージを頬張った状態で、肉汁を滴らせながらブラッドが補足する。


「派手にやらかしたねぇ。お婆さんは無事に逃げられたのかな。ねぇ、ブラッド、彼の近くに猫はいなかった?」

「猫ぉ?」


 もぐもぐと咀嚼し、山羊の血を混ぜたワインで流し込んでから、必死に記憶を手繰り寄せている。


「その男の家で猫を飼ってたとか、猫の死体があったとか……」


 テナが横から口を出す。それでもブラッドは首を傾げて目を瞑り、どうだったかな、と唸るのみだ。


「そこん家で猫を飼ってるとは聞かなかったな。そもそもその息子は近所付き合いなんてしてないから、もしかしたらこっそり飼ってたかもしれないけど。そういや、一軒、かなり弱った猫を保護したって夫婦はいたな。バーでそんな話をしたんだ。雪の上で震えてたらしいんだ。一体何があったのか、手足がガラスまみれだったんだと。もう聞いてるこっちが痛いわけよ」


 自身の肩を抱いて大袈裟に身を震わせるブラッドに、テナはちょっと呆れたような視線を向けた。


「その話はとりあえず良いかな」

「そうか? しかし、猫が一体どうしたんだよ」


 ブラッドは少しホッとした表情で問いかける。


「まさか、その母親を猫にしちゃったってのか?」

「まぁ、あたしがしたわけじゃないけど。動物になれる薬を渡したのよ。猫になりたいって言ったのはそのお婆さんの方。でもまぁ、家にいなかったんなら早々に見切りをつけて出てったのかもね」


 つんと澄ました顔でグラスに口をつけ、ワインが唇に触れるか触れないかというところまで傾けると、またテーブルの上に戻した。おそらくまだワインは彼女の舌に合わないのだろう。


「成る程。まぁ、魔女ちゃんが強制するわけないもんな」

「そゆこと」

「ねぇ、その息子さんはどうなったの?」


 そう尋ねながら、プーヴァはすっかり空になっているブラッドの皿を取り、ポトフを盛る。結局、彼はこういう役回りなのだ。


「息子さんはその場で射殺されたみたいだ。何せ手がつけられない状態だったみたいだからな。死者も怪我人も出てるし、これ以上被害者を出すわけにもいかないだろ。例の羆を仕留めた猟師さんがパーンと。ああ、サンキュ白熊くん」


 プーヴァからポトフを受け取ると、ブラッドは早速ソーセージにフォークを突き立てた。


「ま、一件落着なんじゃない? これでお婆さんは本当に自由よ」


 テナの目の前に置かれたポトフからはほわほわとコンソメの香りの湯気が上がっている。湯気の向こうには穏やかな笑みを湛えたプーヴァがおり、その隣には楽しい話題を提供してくれる友人がいる。


「ああ、幸せ。あたし」


 テナはそう言って口角をめいっぱい上げて笑った。




――客人No 10 お揃いの女 に続く

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