10-6 『我が家』に帰る

「ママ、お帰りなさい」

「おう、買い物か?」


 家では、入れ違いで帰宅していたらしいキーシャの息子と若い男がリビングでボードゲームをしていた。どちらが勝っているのかはわからないが、息子のレイヴンが母親の姿を見るなり駆け寄って来たところを見ると、彼の方が劣勢だったのかもしれない。若い男はそれを苦笑いして見守っている。


「ママ、今日はガズレィおじさん、ウチにお泊りなんだって。僕の部屋で一緒に寝ても良いでしょ?」


 レイヴンは目を輝かせながらディジェを見上げている。彼女はじっと自分を見つめるその愛くるしい子どものことよりも、若い男の名はガズレィというのか、と思った。


「ええ、良いわよ。レイヴン、学校の宿題はもう済んだの?」

「もちろん終わったよ。わからないところはガズレィおじさんに聞いたんだ」

「まぁ、レイヴンったら。自分でも考えてみないとダメよ」


 ディジェは身を屈めレイヴンと視線を合わせると、たしなめるような口調で言う。


「まぁ、良いじゃないか。こうやって勉強を見てやれるのも、あともう少しなんだからさ」

「あと少しって……?」

「あれ? 言ってなかったか? 俺、来月結婚するって」

「聞いて……ないわ……。どういうことよ……。私はどうなるの……?」


 ディジェは身を起こし、ガズレィを射抜くような目で見つめた。


「どうなるって……。このまま暮らしていきゃ良いだろ? 別に俺がいなくたって困ることなんかねぇじゃん」


 ガズレィはそう言うと、ソファの背もたれにゆったりと身を預け、足を組む。ローテーブルの上の菓子鉢から小さなクッキーを一つ取り、口の中へ放った。


「僕は困るよ。また算数教えてほしいもん。ガズレィおじさん、学校の先生より教えるの上手だから」


 気付くとレイヴンはガズレィのところにおり、彼の隣に座ってクッキーに手を伸ばしている。


「そういうこと言うもんじゃないぞ、レイヴン。学校の先生はプロなんだからな。ただ、大人数を教えるとなると、どうしても行き届かないところがあるんだよ」

「そうなの?」

「そうさ」


 和気藹々と談笑する二人をディジェはただ茫然と見つめていた。



 何よ……、アンタは私の男なんじゃないの……? 何なのよ……。



 拳を固く握り、歯を食いしばる。この男については『キーシャになる』ということのおまけのようなものであったが、それでも手放すのは惜しい。その女をどうしてくれようかと思案を巡らせていると、ガズレィとレイヴンが不思議そうな顔でディジェを見つめていることに気付いた。


「な、何……?」

「ママ、ご飯作らなくて良いの? もう四時だよ?」

「えっ? そ、そうね……。でも、今日はすぐ出来るから……」

「珍しいな、いつもはこの時間から作り始めてるのに」


 ディジェが双眼鏡で覗くと、確かにキーシャはこれくらいの時間からせっせと夕飯を作っていた。しかし、出来上がったものは大して手が込んでいるようには見えなかったため、何て要領が悪いのだろうと思ったものだ。


 賢い主婦というのは、時間をうまく使うものだ。

 一日中箒を持って歩き回らなくても人が住める部屋にはなるし、料理だってわざわざブイヨンから作らなくとも、いまは缶詰や粉末のものが売られている。パンだって、パン屋に行けば手作りよりずっと美味しくて安いものが並んでいる。そんな切り詰めるような経済状況でもないはずだし、第一、手作りの方が高くつく場合だってあるだろう。


 ディジェはその表情を二人に見られないようにとくるりと背を向け、キッチンに向かいながらニヤリと笑った。




***


「なぁ、南の小さい村でさ、主婦が行方不明になったんだってさ」


 満月の夜、プーヴァの手料理を目当てにやって来たドラキュラのブラッドは、ほんの少し豚の血を混ぜた赤ワインで喉を軽く潤してからこう切り出した。


「行方不明、ねぇ」


 テナはブラッドが手土産にと持って来たガス入りのミネラルウォーターを一口飲み、顔をしかめた。


「何これ、変な水」

「何だ魔女ちゃん、やっぱり飲んだことないんだな。まぁ、慣れてくると結構美味いみたいだぞ。俺はわかんねぇけど」


 ブラッドは魔女の作った薬によって空腹感と味覚を失った後天性の吸血鬼である。

 しかし、血の味だけはわかることが判明し、こうして満月の晩にひょっこりと顔を出してはプーヴァの作った特製血(とはいえ、それは山羊や豚のものであったが)料理に舌鼓を打っているのだった。


「で? その行方不明の主婦の話の続きは? まさか、行方不明ですーだけでは終わらないのよね?」


 ブラッドは三、四日に一人というマイルールのもと、各地を転々としながら若い女性の血を吸っている。そして、その街々で仕入れた面白い話(それは必ずしも愉快な話というわけではない)をテナやプーヴァに聞かせてくれるのだった。


「そりゃあもちろん。その奥さん、どうやら不倫もしてたみたいでさ、家の金を持ち出してたりもしてて、その不倫相手のところに行ったんじゃねぇかなって旦那さんは思ってたみたいなんだけど――」

「いなかったのね」

「そうなんだよ。不倫相手の男はさ、もう一切連絡も取ってないし、金も払ったんだから無関係だーって喚いてさ。んで結局まだ見つかってないらしいんだけどさ」

「何よ。今日の話はあまり面白くないのね」

「まぁまぁ、聞けよ。これだけじゃないんだ。その隣の奥さんがな、どうやらその主婦の幼馴染らしいんだけどさ、その奥さんが言うんだよ『その行方不明の主婦は私です!』ってな」


 テナはブラッドのために用意されたチーズをひょいとつまみ上げ、ぱくりとかぶりついた状態で眉をしかめた。

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