10-終 めでたし、めでたし
「何それ。変な人~」
「だろ? でな、毎日のようにそのお隣さんに行っては開けてくれ、開けてくれって泣き叫ぶんだと。日中は息子さんが一人で留守番してたらしいんだけど、誘拐未遂みたいなことまであったみたいでさ、さすがに危険だからって、その裏の祖父母の家に避難してるんだって」
「何だか物騒な事件だねぇ」
ブラッドの後方から大鍋を持ったプーヴァがのそりのそりと歩いてくる。鍋の中はブラッドソーセージと豚肉、そしてじゃがいもの煮込み料理が入っている。
「そうなんだよ。息子さん怯えちゃってるみたいでさ、ずーっとお婆さんから離れないんだと」
「ふぅん。その幼馴染の人も『奥さん』なのよね? 旦那や子どもはいないの?」
テナはテーブルの上に置かれた大鍋を興味深そうに覗き込みながら尋ねた。が、視線はあくまでも大鍋に注がれている。プーヴァはそれを見て、せっかく来てくれた客人よりも先にテナの器に料理を盛った。
「ごめんね、ブラッド。順番が逆になっちゃった」
「良いよ良いよ白熊くん。俺のことは客扱いしてくれなくてもさ。ええと、そうそう、旦那と子どもな。こっちもかなり気の毒なことになっちまってるんだよ。息子くんがいたんだけど、死んじまったんだ」
そう言って、自分の分の器を取ると、プーヴァからレードルを受け取り、ほぼ彼用に投入されているブラッドソーセージを盛った。
「死んじゃった? どうしたの?」
「それがな、どうやらその息子くん、結構重いアレルギーがあったらしいんだわ。卵と小麦……他にも何かあったかな。で、ある日、夕食に食べた何かにそのアレルギーのものが入ってたらしい。それで」
「そんな。それまでは平気だったんじゃないの?」
「そうなんだよな。その時一緒に夕食を食べた彼女の弟くんの話では――ああ、彼は結構頻繁にその家に来てたみたいなんだけど、いつもの姉の料理とは違う味がしたって言ってたみたいだ」
「違う味?」
料理の話となると、食い付くのはテナではなくプーヴァである。
「何かな、やっぱりその息子くんに合わせて作ってるからか、割と薄味だったりとか、もしくは大人用は別に作ったりするらしいんだよな。なのに、その日はやたらと味が濃くて、その弟くんとしては美味しく食べられたみたいなんだけど、これは甥も食べて良いんだろうかって思ったって」
「随分詳しいじゃない」
テナがじゃがいもを頬張りながら感心したような視線を向けると、ブラッドはふふん、と言って胸を張った。
「何せ、この話を聞いたのは、その弟くんの婚約者からだからな」
「成る程」
その人の血も吸ったの? と口が滑りそうになって、止めた。別にこの男が誰の血を吸おうが、知ったことではないのだ。
「まぁ、とにかく、息子くんは気の毒なことになっちまって、旦那さんは奥さんを責めたわけよ。そこでもその奥さんはそんなこと知らなかったって言ったらしいんだよ。そんなわけないのにな。子どものアレルギーなんて、普段一緒にいる母親がいちばんよくわかってるはずだろ?」
「そういうものなの?」
「僕に聞かないでよ。僕はオスなんだから」
「まぁ、母親っていうかさ、食事を作る人なら家族の好き嫌いくらいは把握してるだろ? あえて嫌いなものを出すっていう場合もあるだろうけどさ」
「成る程、それならわかる。僕だってテナが苦手なものは極力避けてるからね。たまーに細かく刻んで入れちゃうけど」
「ちょっ、ちょっとプーヴァ、それ本当?」
「好き嫌いは良くないよ、テナ。大きくならないよ」
「何だ魔女ちゃん、好き嫌いあるのか。だからそんなにちっこいんだな」
「魔女の身体はこれ以上成長しないんだから良いのよ!」
頬をぶすっと膨らませてそっぽを向いたテナに、プーヴァはやれやれと首を振った。
「話を戻すけどさ、なーんかいろいろ聞けば聞くほど、本当に隣の行方不明主婦がその奥さんなんじゃねぇかなんて思えて来るっていうか、少なくとも、その奥さんは偽物なんじゃねぇかなって思うんだよな」
「まさか」
「何かさ、弟くんの話だと、義兄、つまり姉の旦那さんはすっげぇ潔癖症で、床に髪の毛が一本落ちてるのも許せないタイプらしいんだよな。だから奥さんは毎日それこそ目を皿のようにして髪の毛やほこりが落ちてないか箒を片手にチェックしてたらしいんだ。まぁ、旦那さんが潔癖症じゃなくても、息子くんは喘息もあったみたいだから、どっちにしろそうせざるを得なかったんだろうけど。それが、急になくなった。掃除は三日に一回すれば良い方で、しかもささっと箒をかけて終わり。拭き掃除してるとこなんて見たことないってよ」
「それは確かにおかしいね」
ブラッドはすっかり空になった自分の器におかわりを盛り、グラスにワインを注いだ。
「てなわけでな、この件に関して俺は、また魔女ちゃん達が一枚噛んでんじゃねぇかなって思ってる」
ブラッドはワインを一口飲み、そのグラスを持ったまま、人差し指をテナに向けた。片目を瞑り、片頬を上げてニヤリと笑う。
「心当たりない? 他人にすり替わるとか、そういう薬」
「――ああ!」
ブラッドの言葉でテナとプーヴァは同時に声を上げた。
「……やっぱり」
そう言って、ブラッドはクククと喉を鳴らした。
「何、どういう経緯?」
ブラッドはテーブルに肘をつき、今度は俺が聞く番だとばかりに興味深そうに身を乗り出す。
「経緯って言われても……。大好きな幼馴染となーんでもお揃いにしたいんだって」
「お揃い? 何だそりゃ」
「知らないわよ、人間の考えることなんて。でも、ちまちまお揃いにするのは限界があるから――」
「いっそその幼馴染になっちまえってことか」
「その通り」
「幼馴染の方はある程度真似出来ても息子や旦那はそうはいかなかったみたいだね」
プーヴァは豚肉の塊にフォークを突き差し、あんぐりと開けた口の中へそれを入れると、もぐもぐと咀嚼した。
***
どうしてこんなことになってしまったのだろう。
私は彼女と引き換えにどれだけのものを失ってしまったのだろう。
昔と比べて腹も出て、髪の毛も薄くなりつつあったけれど、何だかんだ言っても優しく頼りがいのある旦那。
まだまだ幼いけれど『ママは僕が守るんだ!』なんて頼もしいことを言ってくれた息子。
そのどちらももう絶対に返ってこない。いや、帰れないのだ。私が。
キーシャの主人があんなに潔癖症だなんて知らなかった。
キーシャの息子があんなに酷いアレルギーを持っているなんて知らなかった。
不倫相手だと思っていた若い男がキーシャの実弟だなんて知らなかった。
愛してもいない相手のために日がな一日箒を持って歩き回れるわけがない。
腹を痛めて産んだ子でもないのに、一から料理なんて作れるわけがない。
何よ何よ何よ。何でキーシャは私に教えてくれなかったの。
私達、親友だったじゃない。
帰りたい。私の家に。旦那と息子が待つ、あの家に。
この顔なんていらない。
キーシャの顔なんていらない。
キーシャなんて、もういらない。
***
「ねぇ、プーヴァ、あの人の結末はどうなったと思う?」
ブラッドは「また次の満月の夜に」と言って夜の闇に消えていった。
テナは食器を洗っているプーヴァの後ろに回り、ガチャガチャという音に負けないよう、精一杯背伸びをして問いかける。そんなことをしなくても、プーヴァがこんな至近距離のテナの声を聞き逃すことなどないのだが。
「結末? そんなのわかりきってるじゃないか」
「そうだけど、そういうことじゃなくて! もっと、具体的な結末よ。これから先どうなると思う?」
「そうだなぁ……。ちょっと待って、その話はリビングでゆっくりコーヒーでも飲みながらにしようよ」
プーヴァの提案に、テナは「それ、良いね」と言ってその場で二回ほどジャンプすると彼の腰の辺りにしがみついた。
「コーヒー、角砂糖は何個までOK?」
真っ白の毛皮に顔をうずめ、くぐもった声で問いかける。プーヴァはその振動をくすぐったく感じながらも何とか耐え、「……じゃ、三つ」と言った。
「やったね! プーヴァ太っ腹!」
プーヴァの返事を聞くと、テナの身体はあっという間に離れ、パタパタと足音を立ててリビングへ向かってしまった。彼は急に消えてしまった彼女のぬくもりを残念に思いながら、やかんを火にかけた。
テナはどんどん魔女らしくなっていく。
今夜はきっと遅くまで話すだろう。
プーヴァはいつもよりほんの少しだけ濃いめのコーヒーの準備をしながら、嬉しそうに笑った。
――客人No 11(終) 不躾な使いと齢五百歳の男 に続く
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