2-終 魔女の『真実』

 ゴラゴラの街から北へ十キロ程進んだところにある森には『テナ』という名の魔女が住んでいる。


 その魔女は、尖った耳と鼻を持ち、痩せこけた老婆の姿をしていて、肩の上には夜の闇よりも黒いカラスを乗せている。着ているものも同じく黒いボロボロのワンピースである。


 小屋の中には何も知らずに足を踏み入れてしまった愚かな旅人が、薬の材料となるべく捕えられているのだという。また、材料となる人間が足りなくなってくると、満月の晩に箒に乗って、夜更かししている子どもを攫っていく。


 だから、満月の夜は決して夜更かしをしてはならないのだ。


 大鍋でことこと煮込まれたくなければ。





「――だってさ」


 ゴラゴラの街から戻って来たプーヴァは子ども向けの絵本をぱたんと閉じると、憮然とした表情で腕を組んでいるテナに視線を向けた。

 テーブルの上に置かれたハチミツ入りのホットミルクは冷めかけている。絶対に機嫌が悪くなるだろうと見越して、取って置きのラズベリーパイも準備してあるのだが、話し始める前に一口かじったきりであった。


 一言も発さずただただこちらを睨んでいるテナに、プーヴァはため息をつく。


「自分がどう思われているのか知りたいって言ったのはテナだよ」


 訪ねてくる客人達が皆、自分のことをしわくちゃの婆さんだと思い込んでいるので、街へ行く際に『北の森の魔女』がどう思われているのか聞いて来てほしいとプーヴァにお願いしたのだった。


 プーヴァはそれを(こうなるだろうとは思っていたのだが)快諾し、会う人会う人に聞いていたが、「それならあの絵本がわかりやすいわ」と、皆、口々に同じ絵本を勧めてくるのである。確かに、一人一人聞くよりも効率が良いと思ったし、自分が口で伝えるよりは確実だろうと思った。


 そうして、テナが作ったものを売った金で、その絵本を買ってきたというわけである。タイトルはそのまま『北の森の魔女』。表紙には顔色の悪い老婆が、不気味な笑みを浮かべており、耳と鼻は三日月のように尖り、口は裂け、そこからボロボロの黄色い歯がちらりと覗いている。肩の上には真っ黒いカラスが、これまた不吉な表情で目を光らせているのだった。



「酷いよ」


 テナは心を落ち着かせるために、すっかりぬるくなってしまったホットミルクをちびりと飲み、伏し目がちにそう言った。


「あたし、まだ十五歳だし、カラスなんて飼ってない。耳も鼻も尖ってないもん。そりゃ、ちょっと痩せっぽちかもしれないけど……」


 そう言って、やや膨らみにかける胸をさすった。


「薬の材料に人間なんか使ったりしないよ。それに満月の夜に子どもを攫ったりなんて……」

「そうだよ、テナがこの小屋から出るわけがないし、第一、マァゴの箒を使ったって、子どもを乗せた状態で飛べるわけないもんね」


 プーヴァは必死に同調したつもりだったのだが、それは単にテナの出不精と魔法の未熟さを指摘しただけだった。


 事実、テナは極度の出不精で、一歩もこの小屋から出ようとはしなかったし(たとえそれが裏の温室から野菜を取りに行くだけだったとしても)、祖母であり、師匠でもあるマァゴの箒を使ってやっと多少空が飛べるという程度で、たとえ身の軽い子どもであっても、そんなものを抱えて飛ぶことなど不可能だった。


 唯一の味方だと思っていたプーヴァから、そんな悪気のないダメ押しをされ、テナはがっくりと肩を落とす。


「あたし、いま、プーヴァに後ろから撃たれた気分」


 テナはもうあと一押しでこぼれそうになる涙をぐっとこらえながら、ラズベリーパイにフォークを突き立てた。一口大に切るなんてことはせず、そのまま持ちあげると、大口を開けてかぶりつく。なぜだろう、あんなに大好きなパイなのに、今日は何だか味気ない。


「ごめんよ、テナ。そういうつもりで言ったんじゃないんだ。僕、本当に……」


 プーヴァは背中を丸めて、大きく手を振りながら次の言葉を探している。百九十八センチメートルの大男は額に汗を浮かべて、こんな時、どう言ったら良いのだろうと頭を悩ませていた。


 地下の書物庫に、もっと気の利いた本があったら良かったのに、と彼は思った。


 小屋の地下にある書物庫には、魔法関連の書物が九割、その他には動植物の図鑑や地図、料理のレシピくらいしか置いていない。あれだけ本があるのに、例えば、童話や小説など、彼の語彙を増やしてくれそうなものは辞典くらいしか置いていないのだった。



 今度街へ行ったら、本も買って来ようかなぁ。



 どうしたものかと悩んでいると、しゅわしゅわと彼の身体から湯気が上がってくる。これは彼が街へ行く時に飲んでいる『へんしん薬』の効果が切れ始めた合図である。

 プーヴァは慌てて身に着けている衣服を脱ぐと、暖炉の前にきちんとたたんで置いてある白熊用の衣服を手に取った。


「もぅ、レディの前でそんな恰好して!」


 テナの呆れた声で振り向くと、彼女は頬杖をつきながらこちらを凝視している。


「仕方ないでしょ。先にこっちの服着たらぶかぶかだし、かといって、完全に元に戻ってから着替えようと思ったら、人間の服が裂けちゃうよ」

「まぁ、そうだけどさぁ。せめてタオルとか、毛布とか使って、お尻くらいは隠してよね」

「成る程。次からは用意しておくよ」


 プーヴァは完全に白熊に戻り、いそいそと衣服を身に着ける。

 この服は彼のためにマァゴが作ってくれたものだ。上着とズボンが三着ずつ。そろそろ新しいものが欲しいところだが、果たしてテナに作れるだろうか。


 このバタバタで、テナの機嫌は少し回復したようだった。彼女はもぐもぐとラズベリーパイを食べ、ごくごくとミルクを飲んだ。


「でもさぁ、本当に酷いと思うわ、あの絵本」


 テナがその絵本の話を蒸し返した時、プーヴァはまた彼女の機嫌が悪くなるのでは、とどきりとした。恐る恐る彼女の表情を伺うと、どうやら彼が気にしている程ではないらしい。


「一体、誰がそんな根も葉もない……」


 そう言って、テーブルの上に置いてある『北の森の魔女』を手に取る。

 何度見ても憎たらしい魔女の顔がそこにあった。



 第一、こんなに長い爪で何をするっていうのよ。

 危ないだけじゃない。



 そう思いながら、その魔女の顔を忌々しい気持ちでなぞる。そこに書かれた作者の名前を見て、テナは声を上げた。


「プーヴァ! ちょっと見て、これ!」


 何だか怒りの混ざった声に、プーヴァは驚きながら彼女のもとへ急ぐ。そして、絵本の指差された箇所をまじまじと見つめる。そこに書かれていたのは……。


「『マァゴ・チトチト作』……? マァゴって……」

「おばあちゃんよ。チトチトはおばあちゃんの生まれ故郷の名前よ。何でこんな絵本を……あのしわくちゃババァ……!」


 テナは怒りでぷるぷると震えた後ですとんと肩の力を抜き、半笑いを浮かべた。


「もう、孫娘をこんな恐ろしい魔女にしちゃって良いの?」


 ははぁ、とプーヴァは顎をさすりながら声を漏らした。


「マァゴはきっとテナを守ろうとしたんだよ」

「――え?」

「だってさ、もしこの森に住んでる魔女が十五歳のだなんて知られたらさ、テナの方が攫われちゃうかもしれないよ? 見世物小屋に売り飛ばされたりなんかしてさ」


 プーヴァはほんの少し打算的に『可愛い』という言葉を挟んだ。

 もしかしたら、この言葉を挟むことで、テナがちょっぴりでも良い気分になるかもしれないと思ったのだ。その効果はてきめんで、彼女はまんざらでもない顔をしている。


「ま、まぁ、確かに? こーんな可愛い女の子だったら、そんな気を起こしちゃうかもしれないわよね? うんうん。成る程、成る程」

「それとね、どうやらこの絵本は、ただ単に、北の森にはおっかない魔女がいるよっていうだけじゃなくて、子どもが夜更かしをしないように躾けるためのものでもあるみたいなんだよ。だから、子ども達はみんなこれを読み聞かせられて育つんだって。必要以上に恐ろしい感じにしてるのはそのせいもあるんだよ」


 プーヴァの『可愛い』にすっかり気を良くしたテナは、ふぅん、と気の抜けた相槌を打った。おそらく、もうどうでも良くなったのだろう。


「でもさ、ということはだよ。いままでやって来たお客さんは相当の命知らずってことになるよね」

「そうよね。もしかしたら捕まって薬の材料にされるかもしれないのに」

「結局、信じてるのは子どもだけで、大人ってやつは本当は違うって思ってても、自分達に都合の悪いことは隠しておくものなんじゃない? きっと大人は、恐ろしい魔女じゃなくて、ただのしわくちゃ婆さんが住んでるとしか思ってないんだよ。それを利用してるだけかも」

「そうかもね」


 テナは笑って、空のカップをプーヴァに差し出す。お代わりの合図だ。プーヴァはそれを受け取って立ち上がる。


「今夜はシチューにしようか」


 テナが笑顔で頷くと、彼女のハチミツ色の髪の毛がさらりと揺れた。




――客人No 3 聞きたくない言葉がある男 に続く

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