2-5 めでたし、めでたし

 ――ねぇ、それで、お母さんの願いってやつは何なの? いくら魔女でも出来ることと出来ないことがあるしさ。ねぇ、テナ。

 ――そうだね、そろそろ話してくれない?



 母の願いは――、『不老不死』です。母はこのまま老いていく事が耐えられないのだそうです。もちろん、その先にある『死』も。



 ――ううん、テナ、不老不死はさすがに厳しいんじゃないかな。

 ――そうだね……。でも……。ねぇ、プーヴァ、ちょっと耳貸して。こういうのだったらどう?

 ――えぇー? それはあるけど……。でも、どうかなぁ。



 出来るんですか?



 ――残念だけど、願いを百%叶えるのはちょっと厳しいかな。でも、六十%くらいなら叶えられそうな魔法薬がある。それでも良いなら、二週間後に取りに来て。





 娘は何度も頭を下げて小屋から出て行った。

 テナは複雑そうな表情でプーヴァを見つめる。


「あの人……、だよね」

「うん、何て名前だったっけ。でも、とにかくあの人だよね……」

「熊は好きかなぁ、あの人」


 テナは熊になってしまった男を思い出し、口に出してみたが、プーヴァの姿を見て目を回すぐらいだし、その線はないだろうな、と思った。




 それからぴったり二週間後、再び彼女はやって来た。プーヴァはあらかじめ『へんしん薬』で人間の姿になっている。


 テナは昨夜出来上がったばかりの液体が入った小瓶を彼女に差し出した。

 その液体は透き通った薄い緑色をしている。


 向こう側が透けて見える魔法薬は初めてで、「綺麗だね、これは美味しそうかも」とプーヴァは言った。テナは、プーヴァは飲んじゃダメだよ、ときつく釘を刺してから彼女の方を向いて、コホンと咳払いをした。


「ええと、お母さんに飲ませる前に、これは必ず確認してほしいの。この薬を一口でも飲んだら、二度と飲む前の身体には戻れないってことを。お母さんにその覚悟がなければ、この瓶ごと土に埋めて。面倒じゃなければここまで返しに来てくれたって良い。それから、お母さんが飲むことを了承したら、あなたはすぐに家を出ること。出来れば、もう二度と会わない方が良いと思う。飲んだことをしっかり見届けてからでも良いし、飲む意思を確認した時点でも良い。出来るだけ早く家を出るのよ。情が移ったら、あなたは一生あのお母さんから逃れられないから」

「わかりました……。でも、この薬、一体どんな効果があるんですか?」


 彼女は受け取った小瓶を様々な角度から見つめた。窓から差し込む光が反射してキラキラと輝いている。


「この薬は……、寿命がとてもながーくなる薬、かな」

「寿命が……長く……」

「そう。でも、例えば、自分から死のうとしたり、誰かに殺されたり、不慮の事故とかにあえば死んじゃう。だから、不老不死ってわけじゃない。ただただ寿命が長くなる。そして、年を取らないわけでもない」

「それは、例えば、二百歳まで生きる、とか、そういうことですか?」

「うーん、人間の年の取り方で言うと、そうなるのかな。それでも良いなら」

「たぶん……、大丈夫だと思います」

「まぁ、そこまで詳しく伝えるかどうかはあなたに任せるよ。あと、もう一つ、それ、相当苦いみたいだから。あんまり苦しいことはないみたいだけど。飲む前にそこはちゃんと伝えて」


 前回はそれを言う前に飲まれてしまい、毒呼ばわりされたのだ。この部分は今回はきっちり伝えてもらわなければならない。


「わかりました」


 そう言って、彼女は袋いっぱいの金貨をテーブルの上に置いた。何度も頭を下げて小屋を出ようとした時、テナは彼女に問いかける。


「ねぇ、あなた、名前は何て言うの? それから、熊は好き?」


 振り向いた彼女は一瞬不思議そうに首を傾げたが、すぐに笑顔になり、爽やかにこう答えた。


「私の名前はカノです。熊は……好きじゃありません。それが何か?」


 そうだよね、やっぱり。テナとプーヴァはにこやかに手を振りながら、揃って「聞いてみただけ」と言った。




「ねぇ、あのお母さん飲んだと思う?」


 白熊に戻ったプーヴァはマシュマロを浮かべたココアをテナに勧めながら椅子に腰掛けた。


「知ーらない」


 テナはココアを受け取ると、ふぅふぅと冷ましながら一口啜る。


「知らないって……。テナ、まさか意地悪であんな魔法薬を渡したんじゃないだろうね?」

「失礼ね。確かにあのおばさんは大嫌いだけど、カノさんのお願いだもの。ちゃんと考えた上であの薬にしたのよ」


 カノに渡したのは、『不死亀様薬ふしかめようやく』という魔法薬である。


 『不死亀』というのは、遠く離れた熱帯の小島にのみ生息する、特殊な亀だ。

 この亀がただの亀と異なる点は、ある程度の老化が進むと、今度は折り返すように若化が始まるという特異体質にある。老いと若返りを繰り返すことで、普通の亀の数倍長生きすることが出来るのだ。もともと亀自体が長寿の生き物であるため、人間からすればまさに不死の亀である。


 つまり『不死亀様薬』はその名の通り、それを飲んだ人間は死ぬまで老化と若化を繰り返すようになる。飲んだ者の体質によっては、副作用として不死亀になってしまうらしいが、果たしてあの母親はどうだったのだろう。


「でもさ、だいたいは叶うでしょ。老いるけど、若返るし、絶対死なないわけじゃないけど、すっごく長生き出来るよ?」

「そうかもしれないけど……。でも、カノさんが家を出て行ったらさ、お母さんの面倒って誰が見るの? 一体何歳まで若返るか知らないけど、赤ちゃんまで若返ったりでもしたら……」

「ああ……、そこまでは考えてなかったかな。でも、その頃にはきっとカノさんも亡くなってるんじゃない?」

「またテナはそうやって無責任なことを言う……」


 プーヴァは口の回りをココアで茶色く染め、ふぅ、とため息をついた。吐き出された息はふわりと甘い香りがする。


「でもまぁ、いっか。僕達には関係ないしね」

「そゆこと」


 またほんの少し、ほんの少しだけテナのハチミツ色の髪が伸びた。


 彼女は何気なくその髪に触れ、手櫛を通す。まだまだ肩には届きそうにない。この髪が肩まで伸びて一人前の魔女になれる日はやって来るのだろうか、などと思ってみると、ちくりと右手の小指の付け根が痛んだ。


 一人前にはなりたい気もするが、年を取るのは嫌だなぁ、とテナは思った。


 そうして、テナは十五歳になった。

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