イベントを楽しむというのは、どうにもくすぐったい感じがする。

客人No 3 聞きたくない言葉がある男

3-1 満月の夜の会話

 ゴラゴラの街から北へ十キロ程進んだところにある森の中。


 ぽつんと建っているのは、小ぢんまりとした丸太小屋である。

 この小さな森は『魔女の森』と呼ばれていて、もの好きな旅人や怖いもの知らずの街の人間が、稀に足を踏み入れる。


 しかし、この森はゆったりと景色を楽しむようなところでもないし、美味しい果実の樹があるとか、珍しいキノコが採れるとか、狩猟をするような獲物も大しているわけではない。


 この森にあるのはその丸太小屋のみなのである。そして、先述の者達のお目当てというのは、その丸太小屋に住んでいる『魔女』だ。



 近隣の街々の間で絵本と共に語り継がれているその『魔女像』とは、しわくちゃの老婆の姿をしていて、耳や鼻は三日月のように尖り、頬の方まで恐ろしく裂けた口からはちらりと黄色くボロボロの歯が覗く。肩には真っ黒いカラスをいつも乗せていて、ぐつぐつと煮えたぎる大鍋の中で作られる薬の材料は、何と人間であるという。材料である人間がなかなかやって来ない時は、満月の夜に箒に乗って、夜更かししている子どもを攫ってしまうという、何とも恐ろしい存在であった。


 さてこれは、そんな『恐ろしい魔女』のお話――ではない。




 窓の外はしんしんと雪が降り積もっている。

 魔女のテナはしばらく雪が降る様を見つめていた。のそりと背後から現れた居候のプーヴァがテナにガウンをかけてやると、彼女はカーテンを閉めてくるりと振り向き、言った。


「ねぇ、プーヴァ。今日は満月の夜だよ」


 その言葉で彼はちらりとカーテンをめくり、少し身体を屈めて窓の外を見た。真ん丸の月が真っ黒い空にぽっかりと浮かんでいる。


「それで? 子どもでも攫いに行くって話?」

「ちょっとやめてよね。何であの絵本の通りにしなくちゃならないのよ」


 テナはガウンに袖を通し、不満気な顔をした。


「だって、あの絵本読んだ後だったしさぁ。てっきりテナがイメージ通りの魔女になろうとしてるのかと思って……」


 あの絵本とは、今日、プーヴァが街の本屋で買ってきた『北の森の魔女』で、先に述べた魔女について描かれた絵本である。この絵本を読んで、初めて自分が周囲からどのように思われているのかを知ったテナは大層ショックを受けていた。


「そんなわけないでしょ。だいたい、十五歳のあたしがいきなりしわくちゃ婆さんになれるわけがないじゃない。ダメなの? ただ満月だよって報告したらさ」


 テナは最近十五歳になったばかりである。ただ、それは魔女としての年齢の話であって、人間だと優に三十は過ぎているのだった。


「ダメじゃないよ。ただ、テナがそんなこと言うのは珍しいからさ。どうしたの?」

「どうもしないよ。ただ、まだ眠たくないってだけ」

「だったら少し夜更かししようか」

「良いの?」

「良いも何も、僕は君の保護者でも何でもないんだから」


 プーヴァはテナのために椅子を用意すると、そこへ座らせた。そして自分はキッチンへ向かい、ホットミルクを作るための準備をする。


「でも、夜更かしって、何をしようか」


 そう言うテナの声は何だか楽しそうである。背もたれに身を預け、足をバタバタさせている。


「そうだなぁ。こういう時のためにボードゲームでも買っておけば良かったね。今度街へ行った時に買ってくるよ。テナも順調に年を取って来たし、これからはきっとこうやって夜更かしする機会も増えると思うな」


 ホットミルクにハチミツをたっぷりと入れ、二つのカップに注いだ。


「年……取っちゃったね。このひと月で三つも! もうしばらくは十五歳のままで良いわ、あたし」



 魔女が年を取るには条件がある。


 人間のように、何もしなくても時間さえ経てば自動的に年を取れるのは十歳までで、しかも、人間の一年と魔女の一年は同じ長さではない。

 そして、十歳からは『魔法の知識』を身に着けることで一歳ずつ年を取ることが出来る。


 テナは魔法薬を作るための書物を読めるようになったことで十一歳になった。

 そして、祖母であり、また、師匠でもあるマァゴの箒を使うことで何とか空を飛べるようになり、めでたく十二歳になることが出来た。


 これが魔女としての最低ラインである。


 あとは数百とも、数千とも言われる魔法薬を一つずつ作れるようになれば、こつこつと年は重ねていけるものらしい。マァゴはテナが十二歳になったのを見届けると、「旅に出る」と言って、ふらりと出て行ってしまったのだった。


 残されたのは、この小屋と、居候の白熊プーヴァだけである。


 白熊のプーヴァは彼が仔熊の時、母親とはぐれていたところをマァゴに拾われた。

 マァゴは彼に人の言葉を与え、一通りの家事を叩きこんだ。それも、いずれ自分の代わりに孫娘のテナの面倒を見てもらうことになるだろうと見越してのことだった。


「でもさ、年を取るのも悪いことじゃないと思うよ。テナの身体はもう大きくなったりはしないだろうけど、年を取れば味覚も変わるっていうじゃないか」


 魔女の身体の成長は、人間で言うところの十六歳程度で止まってしまう。

 だから、というわけではないのかもしれないが、テナの身長は百五十センチメートルと小柄だった。二百二十センチメートルのプーヴァとは実に七十センチもの差がある。

 この先、年を取ることで変化するのは、髪の長さと顔や身体のしわくらいだろう。


 特に髪の長さは、とても重要だ。

 何故なら、魔女の髪は年を取るごとにほんの少しずつ伸びていくため、髪が肩について初めて一人前の大人とみなされるからである。

 なので、魔女が人間のようにファッション目的で髪を切ることなどまず考えられないことである。


「味覚が変わって良いことなんてあるの?」


 目の前に置かれた甘い湯気の上がるホットミルクに手を伸ばし、ふぅふぅと冷ましながら口をつける。


「たとえば、僕みたいにコーヒーだって飲めるようになるかもよ。あれが飲めるようになれば、もっともっと夜更かしが出来るんだ」

「プーヴァは夜更かしがしたいわけ?」

「うーん、そういうわけじゃないけど。でも、テナと過ごすのはいつも明るい日中だからさ、こうやって、夜遅くにお話するのってちょっと新鮮だよね」

「そういえば、そうかもね」


 部屋の電気は落とされ、暖炉の灯りと、テーブルの上にある小さな蝋燭がゆらゆらと燃えている。風も穏やかで、とても静かな夜だった。


「コーヒーくらいなら、頑張ってみるかな」

「最初はカフェオレからね」


 プーヴァはそう言いながら、テナに合わせてホットミルクを飲んだ。


 静かな夜だった。

 テナとプーヴァは結局、戸棚からチョコレートまで取り出し、遅くまで夜更かしを楽しんだのだった。


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