1-4 客人のお悩み相談
「あれ、気が付いた? スープ飲む? 飲むよね? 温まるよ」
二人のやり取りに気付いたプーヴァは、そう言うや否や彼の返事も聞かずにいそいそと大きめの皿になみなみとスープを盛った。そしてそれをトレイに乗せてゆっくりと運ぶ。プーヴァにしては精一杯愛想よくしたつもりであったが、白熊の表情など人間にわかるわけもない。
「はい、どうぞ」
「ひっ……、く、熊……!?」
予想通りの反応だった。
プーヴァの姿を一目見た男はどうにか彼から距離をとろうと床に尻をつけた状態で必死に後退りするものの、背後にあるのは赤々と炎が燃える暖炉である。
前に進めば熊に食われ(プーヴァにはそのつもりはないのだが)、後ろに下がれば丸焦げ。
彼はせっかく赤みが差した顔を真っ青にして口をパクパクと開け、冷や汗と涙を流した。
「ちょっとちょっと落ち着きなよ。あの子はあなたに何もしないよ。せっかくお腹が空いてるかと思ってスープまで運んできたのに、それはないんじゃない?」
男を落ち着かせるようにとんとんと背中を優しく叩きながらテナがそう言うと、彼はほんの少しだけ肩の力を抜いたようだった。
「そうそう、その調子。あの子はね、プーヴァ。あたしの相棒よ。料理が得意なの。騙されたと思って食べてごらん」
プーヴァがどうぞ、と言ってスープ皿の乗ったトレイを差し出すと、彼はまたびくっと身体を震わせたが、漂ってくる香りとぐぅぅという腹の音に急かされ、恐る恐る手を伸ばす。そしてそれを受け取ってから、「いま……しゃべった……?」と呟いた。
「いまごろ気付いたの? 魔女の相棒だもの。しゃべるに決まってるじゃない」
テナは得意気に胸を張る。
いやいや、僕をしゃべれるようにしたのはテナじゃないでしょ。
プーヴァは思わずそう言ってしまいそうになるのをぐっとこらえた。客人の手前だからである。『魔女様』の顔は立てねばなるまい。彼はテナよりもずっとずっと大人なのだ。
男はいまいち納得しきれない様子であったが、それでもほわほわと湯気の上がる具だくさんのスープを一口飲むと、そんなことはどうでも良くなったらしく、あっという間に平らげてしまった。
男は腹が膨れるとやっと人心地ついたようで、魔女さんに頼みがあって来たんです、と話し始めた。
***
結婚を考えていた恋人がいました。
名前はカノといいます。
カノはとびきり美人というわけではありませんが、可愛らしい顔立ちで、料理も上手で、その上、とてもきれい好きでした。それに比べて、俺は見た目だってパッとしないし、稼ぎだって決してよくありません。
付き合いが長くなって、俺としては正直、最初の新鮮さが薄れて来ましたが、それでもカノは俺を『世界一の恋人』だと毎日言ってくれました。
俺は、こんなに素晴らしい恋人に『世界一』だなんて言われて、すっかり調子に乗ってしまったのです。何だか、本当に世界一の男になったような気でいました。身体の内側から、自信がどんどん沸いて来て、そのせいか、仕事もそれまでよりうまくいきました。ほんの少しですが、給料も上がりました。
俺の職場によく出入りする花売りの女がいました。アズレという、カノよりも三つほど若い、派手な感じの目立つ美人でした。昔の俺だったら、自分の容姿に引け目を感じて、粉をかけることなんて出来なかったと思います。
――ねぇ、プーヴァ、『粉をかける』ってどういう意味?
――それはね、女の人を口説くために声をかけることだよ。口説く……っていうのはさすがにわかるよね?
――失礼ね、それくらいわかるわよ。
いつもは「お疲れ様」とか「今日の花は何だい?」とか、そんな話しかしないのですが、その時の俺は、何せ自分のことを『世界一の男』だと思ってましたから、「その花よりも君の方がきれいだ」だとか「今夜、二人きりで食事でも行かないかい」などと言って、彼女を誘いました。すると彼女は笑顔でそれに応えたのです。
このことで、俺はさらに確信を持ちました。やはり俺は『世界一の男』になったのだと。……いま思えば、アズレは俺に気が合ったのではなく、単に人のものに手を出すのが好きなだけの女でした。そして、男に貢がせることを至上の喜びとしている女でした。
女の勘というのは実に侮れないもので、俺はバレないようにうまくやっているつもりでしたが、アズレの存在はあっさりとカノにバレてしまいました。それでも俺はただの仕事上の知り合いだと嘘をつき通し、それでも君が不快に思うのなら、もう二人きりで会ったりしないと約束しました。カノは俺に惚れ込んでいるのだから、俺を捨てるはずなんてないし、こう言えば納得してくれると思ったのです。
そして実際、カノは許してくれました。もう絶対に二人きりで会ったりしちゃ嫌よ、と言っていました。
しかし、これによって、俺はますます調子に乗りました。カノは俺に惚れ込んでいる。ちょっとぐらいのことでは離れていったりしない。そう思って、二度と二人きりでは会わないという約束を破り、何度もアズレに会いに行きました。
――それで?
もちろん、それはすぐにバレました。
約束を守れない人とは一緒にいられないと言って、カノは去っていきました。俺は泣きながら地べたに這いつくばって許しを請いましたが、カノの気持ちは動きませんでした。
その後、カノと入れ替わるようにして、アズレが俺の家で暮らすようになりました。アズレはカノのことを情の無い冷たい女だと罵りました。俺も、あんなに頭を下げたのに表情一つ変えなかったカノのことを思い出して、アズレに同調しました。そう思うことで、カノを忘れようと思ったのです。
――ふぅん。じゃ、一件落着じゃない? 約束を破ってまで一緒にいたかったんでしょ、そのアズレさんって人と。
違う! 騙されたんです!
一緒に暮らし始めると、アズレはとんでもない女だとわかりました。
きれいに着飾るのは外に出る時だけで、家の中ではだらしない恰好をし、俺の前でも化粧すらしません。
料理も見た目だけは立派ですが、不味くて食えたもんではありません。
掃除も滅多にしてくれないので、家の中は埃まみれだし、いつも散らかりっぱなしです。そのくせ、俺の金は自分のものだと使い放題。ずっと猫を被っていたんですよ、アイツは!
――それで、どうしたいの? 魔女のところを訪ねて、どうしてもらうつもりだったの?
出来るなら……、またカノに戻ってきてもらいたいんです。
やっぱり、俺には、カノが必要なんです。カノの作った料理を食べたい。カノの料理は見た目は地味だったけど、どれも抜群に美味しかった。そして、ぴかぴかに磨き上げられた風呂に入って、きちんと整えられたベッドで一日の疲れを癒しながら、眠るんです。そんなささやかな幸せをもう一度、取り戻したいんです。
――アズレさんはどうするの? 納得すると思う?
――出て行けって言って、わかりましたって素直に応じるタイプ?
もし、カノが戻ってくるなら、やり直せるんなら、アズレはどんな手を使っても追い出しますよ。何なら殺してくれたって構いません。そうだ、そっちの方が好都合だ。
……アイツと暮らし始めてから、まったく俺はついてないんです。
カノと別れたことが広まると、俺の評判は一気に落ちました。長年付き合った恋人を捨てて、若い女に走った薄情な男だと。捨てられたのは俺の方なのに……。
それから職場もなくなってしまいました。
火事でみーんな燃えちまった。他の奴らは親方が代わりの仕事を紹介してくれたのに、俺にはそんなこと一言も言ってくれやしない。カノは良く現場に差し入れを持ってきてくれたりしたので、親方も彼女を気に入っていたんです。そんな彼女を捨てた俺に紹介する仕事なんてない、と。
友人達に当面の金を借りようと頭を下げました。
でも、誰も貸しちゃあくれません。そんなに自分に自信があるのなら、女に貢がせたら良いじゃないか、とせせら笑うのです。
――ああ、成る程。これが自業自得ってやつなんだろうね、テナ。
――そうね、同情の余地もないわね。あなたがついてないのは、アズレさんのせいじゃないわよ。カノさんを手放したからね、きっと。カノさんは幸運の女神だったのよ。
そんな……!
あんた、魔女だろ? 何とかしてくれよ! 金は払う! アイツから必死に守った、俺の全財産だ。アイツさえ、アイツさえいなくなれば……。カノが戻ってくれば、またすべてがうまくいくんだ!
――ねぇ、プーヴァ、耳貸して。こんな魔法薬ってあるかしら。
――え? うん、あるよ、もちろん。
あ、あるんですか……?
――もし二週間ほど待てるなら、あなたにぴったりの魔法薬を作ってあげる。気持ちが変わらなかったら、二週間後にまたいらっしゃい。
テナはそう言うと、窓から外の景色を見た。
吹雪はほんの少し弱まったようだった。
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