1-2 プーヴァ、人間になる
魔法薬作りに着手すること二週間、ついにそれは完成した。
プーヴァは出来上がったばかりの魔法薬を前にごくりと唾を飲み込む。
「何してんの。早く飲みなさいよ」
テナはそう言って彼を急かすが、師匠であるマァゴがいない状態で作った魔法薬を飲むというのはなかなか勇気のいるものである。
グラスになみなみと注がれたそれは、向こうの景色がわからないほどに濁っていて、その上、いかにも苦そうな緑色をしているのだ。鼻を近づけてみると、最後に入れた薬草の香りがツンと粘膜を刺激する。
「材料を揃えたのも、本を読みながら手順を教えたのもプーヴァでしょ」
「そうだけど……。でも、最後の仕上げはテナだよね」
「デカい図体してビビってんじゃないわよ」
「身体の大きさは白熊としては普通だよ。せめて錠剤だったらなぁ……」
プーヴァはグラスを様々な角度から眺めてみた。
しかし、どこから見てもそれのおぞましさは変わらず、何とか身体の奥底に眠っているはずの勇気を奮い起こそうと努力してみるものの、あと一歩が踏み出せない。
「良薬ってのはね、苦いって決まってるの! もう、我慢して飲みなさいよぉ! あたし、もう生の果物ばっかりは飽きたの! はやくプーヴァの作った玉子たーっぷりのプディングが食~べ~た~い~の~!」
テナは駄々っ子のように両手を振り回してプーヴァを攻撃した。それは彼にとってまったく痛くもかゆくもなかったのだが、初めて自分の特製プディングをリクエストされ、天にも昇る気持ちである。
何だよ、いっつもパクパク食べるだけで感想の一つも言ってくれなかったくせに……。
そういうことなら何としても人間にならなくちゃ、とプーヴァは目をつぶり、息を止めて、一気にその緑色の液体を飲んだ。
味わうことなく流し込んだつもりだったが、思ったよりも粘度が高く、喉の粘膜に絡みついてなかなか通り過ぎてくれない。しかし、思ったよりも舌に残る味は悪くなく、これくらいなら許容範囲だと思った。
「……どうかな?」
口中に残る薬を舌できれいに舐めとった後でゆっくりと目を開け、真ん丸に目を見開いたまま自分を凝視しているテナに問いかける。
どう? 僕、変わったかな。
いつものようにテナを見下ろしているのだが、何となく違和感がある。いつもよりテナの顔が近くにあるのだ。
「……テナ、踵の高い靴に変えた?」
テナはぶんぶんと首を振った。
「えっと、じゃ、踏み台使ってる?」
その問いに対しても、テナは瞬きもせず、無言で首を振るばかりである。
「わかった、背が伸びたんだね!」
「そ、そんなわけないでしょ!」
テナはやっと口を開いたが、表情は変わらない。目を真ん丸に見開いたままだ。
「プーヴァが縮んだのよ!」
そう言って、プーヴァの手を取り、それを彼自身に見せつけるようにして高く持ち上げた。
プーヴァの視界に入るのは、満面の笑みで『人間の手』を持ちあげているテナである。確かにテナは彼女のものではない人間の手を掴んでいる。目の前にあるのは人間の手なのに、はっきりと『テナに掴まれている』感触がある。
ということは、この人間の手は、僕の手?
「僕……、人間になれたってこと?」
テナの手を振りほどき、自分の顔に触れてみる。
びっしりと覆っているはずの毛皮が無く、皮膚は薄い油の膜を張ったようなしっとりとした感触である。頭に触れると、いままでそこにあったはずの耳が無い。ちゃんとテナの声は聞こえるのに。そう思って、テナの顔を見ると、耳は顔の横についていた。恐る恐るその辺りを探ってみると、やはり毛の無いしっとりとした手触りの不思議な形をしたものがついていた。触れるとガサゴソという音が聞こえ、やはりここが耳であったか、と納得する。
テナはよいしょ、と言いながら、姿見を部屋の隅から運んできてプーヴァの目の前に置いた。小柄な彼女ならば全身を映せる大きさだが、彼が全身を映すためには腰を落として身を低くしなければならなかった。
「これが僕かぁ……」
鏡に映っているのは、雪のように白い肌と髪の成人男性だった。
体つきはがっしりとしているが、さすがに白熊の状態よりは縦だけではなく、横幅も縮んだらしい。身に着けていた衣服はぶかぶかになってしまっている。ずり下がって足に絡みついているズボンを上にあげると、これは長さがまったく足りない。まぁ、これくらいは外套でも羽織って誤魔化せば良いだろう。
「じゃ、早速出かけるよ。食料だけじゃなくて、毛糸とか刺繍糸なんかも買ってくるから、テナは次の『売り物』をちゃんと作るんだよ。これくらいは働いてもらわないとね」
そう言って、明らかに身体に合っていないぶかぶかの外套を羽織り、プーヴァは小屋を出た。
今日は割と天気が良い。雪ははらはらと降るのみで、風もあまりない。
この国は、一年中冬なのだ。
プーヴァを見送ってから、小屋に一人残ったテナは姿見に自分の姿を映してみる。
ほんの少し、ほんの少しだけ、髪が伸びたような気がする。右手の小指の付け根がちくりと痛み、ああ、また年を取ってしまったのだと気付いた。
テナ、十三歳。
ハチミツのような色の髪はまだ肩に届かない。しきたり通りの真っ黒いワンピースに身を包み、それでもせめてもの抵抗だとでも言わんばかりにスカートの裾には白熊の刺繍を施している。
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