11-3 春の風と共に現れた男

「プーヴァ、大丈夫?」

「痛いけど……、大丈夫……。それより、お婿に来るってどういうこと?」


 大きな身体を何とか起こしてギーヴィーに視線を向けると、彼は事も無げに言った。


「どういうことって……。そいつら魔女は婿を取るのが仕来たりなんだろ? 魔女からは女の赤ん坊しか産まれねぇんだから」


 その言葉に目を丸くしたのはテナである。


「そうなの?」

「何だよ、本当に何も知らねぇのか。お前、二十歳になったって聞いたけど、本当か? こんなの基本事項だぜ?」


 テーブルに肘をつき、呆れかえった表情で大袈裟にため息をついて見せるギーヴィーにテナは腹立たしさを覚えたが、自分が無知であることは自分でも認めている。いつものように軽口を叩きたいところをぐっとこらえ、その代わりにこの不躾な客人を睨みつけるだけにとどめた。


 テナが反発しないのを見て、どうやら自分の完全勝利らしいと確信したギーヴィーは「じゃ、そういうことだからな」と言って席を立つ。プーヴァはまだ立ち上がれずにいた。自慢の毛皮は床の水をすっかり吸い取ってしまっていて、ぐっしょりと濡れていた。


 ギーヴィーは窓枠に手を掛けたところでくるりと振り返り、呆然とした表情のテナとプーヴァを見た。


「……まぁ、アンタがタオを気に入るかどうかは別の話だし、さすがに結婚までは強制じゃねぇだろうよ」


 そう言ったのは、彼なりのフォローだったのかもしれない。


 どうやら元の姿に戻るのは彼自身の意思で出来るらしく、美しい真っ白い梟に変わったギーヴィーはわずか一時間ほどの滞在で小屋を後にした。


 力の強い魔女が作る薬というのはこんなにも違うものなのだな、とテナはがっくりと肩を落とした。


 確かに自分は魔女の本分である魔法の鍛錬や研究といったものを怠ってきた。魔法薬は材料がそろっていて手順さえ間違わなければ作ることが出来る。ただ、材料をそろえるのも、自分の隣で魔法書を読んで手順を示してくれるのもプーヴァだ。自分はプーヴァがいなければ何も出来ないのだということをいまさら痛感した。


「あの、プーヴァ……」


 自身の中にほんの少し沸きあがって来た後ろめたさに背中を押され、テナはおずおずとプーヴァに話しかける。しかし、その小さな声は、ほぼ同時に口を開いたプーヴァの声によってかき消されてしまった。


「ねぇ、テナ。もしテナがタオのことを気に入ったら……。僕はここを出た方が良いのかな」


 プーヴァの声はいつもより暗く沈んでいたが、それでもその巨体から発せられればそれなりの大きさがある。


「プーヴァ……?」

「僕、出来ればずっと、死ぬまでずっとテナと一緒にここで暮らしていたいって思っていたけど……」

「そんな! いてよ、プーヴァ! 死ぬまで!」

「でも、夫婦は水入らずじゃなくっちゃ」

「水……? 何よそれ」

「ええっと……、二人っきりで過ごすってこと。僕みたいなお邪魔虫は抜きってこと」

「邪魔じゃないもん!」

「テナが邪魔だと思わなくても、タオはそうは思わないかもしれないでしょ?」

「プーヴァのことを邪魔なんて言うやつはこっちから願い下げよ!」



「儂はちいとも邪魔だと思うとらんよ」



 ふわりと漂ってきた薫香と共に、やや高めの男性の声が聞こえてきた。


 その言葉に驚いて辺りを見回してみると、部屋の隅に薄い桃色の花弁を巻き込んだ小さな竜巻のようなものが発生していることに気付く。

 しかし、それは不思議と埃を巻き上げることはなく、ただひたすらに愛らしい花弁と薫香とを撒き散らしながら徐々にその大きさを増していった。


 目を凝らして見ると、竜巻の中心部には人の形をした紙切れのようなものがゆらゆらと揺れている。渦の中心にいるというのに、風の影響を受けてはいないのか、それ自体はゆったりと上下左右に揺れるだけであった。


「いやはや、少々道に迷ってしまいましてな。本来であれば先の梟殿と共に参る予定だったのじゃが……。噂には聞いておったが、冬の国というのは本当にどこもかしこも真っ白だのぅ」


 どうやら、というか、やはり、というか、その声は竜巻の中心、つまりその人型の紙切れから聞こえてくるようである。


「ちょっと、さっきから何なのよ!」

「テナ、きっとこの人……って、人じゃないんだろうけど、とにかくこの人がタオだよ」

「何でも良いわよ! アンタ! こんな写真見せておいて、本当はペラッペラの紙切れなわけ?」


 テナが写真をひらひらさせながら、ゆらゆらと揺れる紙切れに威勢よく言い放つと、「それは失礼」という返答と共に、それは紙切れから本当の人の形になった。


「すでにお気づきかと思われるが……。儂がタオじゃ」


 目の前に現れたのは、写真通りの男性である。艶のある黒髪に雪のように真っ白い着物、涼しげな切れ長の黒い瞳に、薄く微笑んだ唇は先ほどの花弁のような薄い桃色である。


 これが五百歳の仙人なのか……、とプーヴァは思った。


「五百歳の割には随分若作りなのね。仙人って年を取らないものなの?」


 テナは腕を組み、背もたれに身を預けてふんぞり返った。おそらく、タオの雰囲気に圧倒されないようにという彼女なりの工夫なのだろう。


「まさか。年を取るからこそ五百歳になるというものじゃ。儂は齢二十五の時分に仙人となりましてな。一度仙人になれば、身体が老化することはないんじゃよ」

「二十五歳で仙人かぁ……。それって、早いの? 遅いの?」


 プーヴァはすっくと立ち上がり、初めて出会った『仙人』という生き物に好奇心を掻きたてられている。テナの向かいの席を勧めながら尋ねた。


「そうさなぁ……。儂は早い方かもしれん。仙人になる方法は様々じゃが、儂の周りにいたのはほとんど老人の姿形じゃったからのぅ」


 タオはしみじみとそう言うと、プーヴァに勧められるがまま席に着いた。そして、視線が下がると同時にその親切な白熊の臀部がしっとりと濡れていることに気付く。


「おや、毛皮が濡れておる。いかんなぁ。風邪を召されますぞ」


 そう言って懐から扇子を取り出し、慣れた手付きでそれを広げ、唇をすぼめて、ふぅ、と息を吐きながらプーヴァの尻を扇いだ。


「わぁ、暖かい」

「我が郷里より、春の風を連れてきたのじゃ」


 タオは涼しげな顔で写真の時と同じように薄く笑う。


「春……。本で読んだことはあるけど、本当に暖かいんだね」


 すっかり乾いた毛皮を整えるように撫で、プーヴァは感心したように呟く。テナは先ほどから起こっている様々な事象にすっかり圧倒されているようだった。


「ありがとう。きれいに乾いたよ。いま、お茶を淹れるね」


 そう言ってプーヴァはやかんを持ち直し、いそいそとキッチンへ向かってしまう。


 リビングにはテナとタオが残された。

 キッチンとリビングとの間に仕切りはないのだが、それでも何だが落ち着かない。沈黙というのはなかなかに気まずいものなのだと思った。プーヴァと過ごしている時でも会話がないことなどしょっちゅうあるというのに、それはそれで不思議と心地よい。様々な『相談』を持ちかけてくる厄介な客人は何人も来たし、たいていはなかなか本題に入れず無駄に時間が過ぎていく。それでもこんなに気まずい思いをしたことはない。


「……何かしゃべりなさいよ」

「何か、と申されますと?」

「……何かあるでしょうよ。何でも良いから!」

「そうですなぁ。では、儂の人となりを知ってもらうために少しお話ししましょうか」


 そう言うと、タオは目を細めて微笑み、ぽつりぽつりと話し始めた。

 

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