11-2 齢五百歳の婿殿
テナの言動に一瞬ひるんだ様子の少年であったが、しばらくすると彼は耐え切れずにぷっと吹き出した。
「ぷっ! あーっははは! こりゃ愉快! アンタ、魔女の癖になーんにも知らねぇんだな。マァゴは二十歳になったからそろそろだろうって俺を寄越したってのに! 何だよ。半人前も半人前、まだまだお子ちゃまじゃねぇか!」
真っ赤な顔で腹を抱えて笑いだした少年は、ぷるぷると怒りに身を震わせているテナのことなどまったく眼中に入っていない様子で、いまにも床を転がらんばかりの勢いで笑い続けている。
「傑作傑作! 何だよ、白熊くん、おっさんなのかよ。可哀相だなぁ、全く!」
彼はにじんできた涙を指で掬いとりながらプーヴァの腹に触れた。
どうやらテナをバカにされているらしいことがわかったプーヴァは、触れられた手を用心深く爪でつまむと、身を屈めて少年の顔を覗き込んだ。
「どうしてテナを侮辱するんだい。君に比べたらおじさんかもしれないけど、僕は自分のことを可哀相だなんて思ってないよ」
「おや、怒っちゃった? ごめんごめん。じゃあ白熊くんも知らなかったんだな」
「どういうことよ」
「簡単なことさ。あの薬はそれを飲んだ時の年齢に応じた人間の姿になるだろ?」
「そんなの知ってるわよ」
「だろうな。じゃあ、一度でもあの薬を飲んだら元の姿に戻ってもそれより年を取らなくなるってのは知ってるか?」
「元に戻っても……?」
そう口にしたのはプーヴァである。彼は首を傾げて少年を見つめた。
「そうさ。だから、俺は永遠にこの若さを保っていられる。もちろん、寿命は延びねぇから、そのうち死んじまうけどよ。それでもこの美しい姿で死ねるんだぜ? 白熊くんももっと若い時に薬を作ってもらえば良かったよなぁ」
少年はけらけらと笑い、テナとプーヴァを交互に見つめた。
言われてみれば、最初に『へんしん薬』を飲んでからもう何年も経っているというのに、プーヴァの姿は一向に変化していない。そういうことだったのか、とテナは思った。自分が怠けていたせいで、プーヴァに悪いことをしてしまったと、ほんの少し泣きそうな気持ちでプーヴァを見つめる。
ごめんね、プーヴァ。
そう言いかけた時、プーヴァはテナを見つめてにっこりと笑った。
「なぁんだ、そうなのか」
予想外ののん気な声に少年とテナは顔をしかめて、同時にプーヴァに注目した。
「だったら僕、これくらいでちょうど良いよ。梟のことはよくわからないけど、白熊はさ、若けりゃ良いってもんじゃないんだよね。この大きさも便利だし、気に入ってるから」
「はぁ? 正気かよ! ずっとおっさんのままなんだぜ? 信じらんねぇ!」
美しい白髪に、宝石のような琥珀色の瞳、そして陶器のような滑らかな肌の少年は、その容貌に似つかわしくない粗暴な言葉を吐き、呆れた顔で椅子に腰掛けた。テナの方はというと、のん気なプーヴァの発言にすっかり肩の力が抜けた様子である。
「それで? ご用件は? それから、いい加減名乗ったらどうなの? どうせあたし達の名前は知ってるんでしょ?」
すっかり形勢は逆転したようで、少年は観念したとばかりに頭を振り、薄笑いを浮かべた。
「俺はギーヴィー。そんで、用件ってのはこれだ」
ギーヴィーと名乗った少年は懐から折り畳められた紙を丁寧に広げてからテーブルの上に置いた。それは一枚の写真であった。
そこに写っていたのは何とも大人しそうな青年である。
彼の前髪は眉の辺りできちんと切りそろえられており、頭の後ろにちらりと見える白い布の塊は、どうやら長い髪を団子状にまとめ、布で包んだものらしい。その大きさから、それなりの長髪であろうことが推測される。真っ黒い頭髪とは対称的な白い着物を着て薄く微笑んでいた。
「何よ、これ。誰?」
「こいつの名前はタオ。齢五百歳の仙人だ。まぁ、元は人間なんだろうけど」
「五百歳……、にしては随分若く見えるのね。まさかこの人も『へんしん薬』を飲んだってオチ?」
テナは身を乗り出してタオという名の五百歳の『青年』をまじまじと見つめた。
人間というものもそう何人も見ているわけではないので、何歳から、どのように老いていくのかなど、テナにはわからない。それがさらに『仙人』というのだから、未知の生物と言っても過言ではない。
「そんなの俺がわかるわけないだろ。とにかく俺はアンタにこの写真を見せて来いって言われただけだからな」
ギーヴィーはへらへらと笑い、だらしなく背もたれに身を預ける。
「この写真は見るだけで良いの?」
そう言いながらプーヴァはのそりのそりとキッチンへ向かった。おそらく茶を淹れるつもりなのだろう。
「見るだけっつーか……、コイツが後から来るからよろしく、って感じかな」
「はあぁ?!」
テナが声を上げると、その声の大きさに何事かと思ったプーヴァがキッチンから顔を出した。
「後から来るって、何しに来るのよ!」
「何って……。そりゃ未来の妻に会いに、だろ?」
「そんなの聞いてない!」
「いま初めて言ったからなぁ」
「ちょ、ちょっと待ってよ! テナ、お嫁に行っちゃうの?」
どたどたと音を立ててプーヴァがキッチンから駆け寄ってくる。その手にはやかんが握られており、その口からこぼれた水が床に水溜まりを作ってしまっていた。白熊の顔色などわからないが、テナには随分焦っているように見えた。
「行くわけないでしょ!」
「そうだよ。コイツは嫁になんざ行かねぇよ」
思わず腰を浮かせたテナに、ギーヴィーは冷ややかな視線を向ける。
「なぁんだ、僕びっくりしたよ……」
ホッと胸をなで下ろし、濡れてしまった床を拭くためにUターンする。
「タオの方が婿に入るんだから」
「はぁっ?」
テナは再度声を上げ、プーヴァはその声に驚き、濡れた床に足を取られ、派手な音を立てて転んだ。その衝撃で床が波打ち、食器棚の中の皿やグラスがカチャカチャと鳴った。
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