4-4 彼女からの贈り物

 それから二週間後の吹雪の日、その男は再びやって来た。


 彼は何だか二週間前よりも痩せたように見えた。コートを脱ぐと、そんなに大きくは見えないセーターがぶかぶかに余っている。ガタガタと窓を揺らす風の音にも負けないような腹の音が聞こえ、プーヴァは男が気を遣わないように「残り物でごめんね」と言いながら、本当は彼のために作った具だくさんの煮込み料理とサラダを勧めた。


 彼は涙を浮かべながらがつがつとそれを貪るように食べた。

 テナとプーヴァはそれを複雑な思いで見つめながら、生姜入りの紅茶を飲んだ。



 男の食事が終わり、紅茶を一口飲んだところで、テナはテーブルの端に避けてあった薄桃色の液体が入ったグラスを手に取った。


「そろそろ良いかしら。これが二週間前に言った魔法の薬よ。――良い? これを飲んだら、もう二度と飲む前の身体には戻れない。プーヴァも言っていたけど、料理は慣れてくればそのうちにうまくなると思う。それでも飲む?」


 男の目を見つめ、ゆっくりそう言うと、彼は「もちろんです」と頷いた。


「わかった。じゃ、最後までちゃんと聞いてね。この薬は、あなたの耳をよく聞こえるようにする薬なの」

「えっ? 何でも美味しく食べられる薬ではないのですか?」

「まぁ、最後まで聞いてってば。あのね、やっぱり何でも美味しく食べられる薬ってのはなかったのね。でも、この薬は、副作用として、のよ。だから――」

「ナリーの料理を食べても、味がわからない……」

「そういうこと。ただ、彼女の料理に限らないけどね。残念だけど、ウチにある魔法書ではこれが限界だったわ。さっきも言ったけど、ナリーさんの料理の腕は、時間をかけてじっくり練習すればきっと上達する。料理上手なお母さんがいるなら、習えば良いのよ。だからね、わざわざ来てもらって何なんだけど、やっぱりあなたが無理にこれを飲む必要はないと思う」


 男はだいぶためらっていたが、ぶんぶんと首を振り、決心したように固く口を結んでじっとテナを見つめた。


「飲みます。このままだと僕は、ナリーの料理の腕が上がる前に彼女のことを嫌いになってしまうかもしれない。本当に大好きな彼女なんです。これさえ解決すれば、これから先もずっとうまくやっていけるんです」


 その言葉でテナとプーヴァは顔を見合わせ、ほぼ同時に頷いた。


「わかった。それ程言うなら、どうぞ。この薬はね、飲んでるうちにどんどん味が変わるの。最初は甘く、次に酸っぱく、そして、苦くなって、辛くなって……。口の中の味が完全に消えるまで、何も食べたり、飲んだりしちゃダメよ」


 そう言いながらグラスを手渡す。男は受け取った薄桃色の液体をじっと見つめ、一度、ごくりと喉を鳴らしてから、一息にグラスを呷った。




 プーヴァの目論見通り、手作りチョコと手袋や帽子のセットは飛ぶように売れたらしい。

 それでなくともテナの作った品々は見た目も良く評判だったので、ここ最近は街に長居しなくともあっという間に売れてしまうのだが、十三日の売れるスピードは尋常じゃなかったと彼は興奮気味に語っていた。



 男のために魔法薬を作っているうちにヴァレンタインは過ぎ去り、プーヴァはやっぱりなと思いながらも少々寂しい思いをしていた。

 何せ、彼は異性のために目の色を変えてチョコを買い求める女性の姿を嫌というほど見て来たのである。心の片隅では、そんな淡い期待をしないでもなかった。


 しかし、すでに十八日である。



 まぁ、テナが外出するわけもないから、仕方ないよね。



 そう思いながら食器を片付けていると、くいくいとエプロンの紐が引っ張られる。こんなことをするのはテナしかいないと思い振り向くと、後ろ手に何やら隠し持っている彼女の姿があった。


 はて、前にもこんなことがあったような、と思っていると、テナは無言で小さな包みを渡してくる。


 見覚えのあるその包装紙をはがしてみると、中に入っていたのはアルミホイルに包まれたチョコレートであった。長いこと手で持っていたためであろう、若干溶けかかっており形が崩れていたが、それはもしかしたら元からそういう形だったのかもしれない。


「テナ……これは……?」

「見てわからない? チョコレートよ」


 テナは頑なに視線を合わせようとはせず、ぶっきらぼうにそう言うと、すたすたとテーブルに戻り、無言で自分の席に着いた。

 プーヴァはその様子を不思議そうに見つめた後で、その一つを口の中に放り込む。テナは編み物をして平静を装いつつも、彼の感想をハラハラしながら待っていた。


 プーヴァは、口から衝いて出そうになる「どうやって作ったの?」という言葉をぐっと飲み込んだ。



 これはおそらく、直火で溶かしたな……。

 それに、水も混ざってしまっているだろう。甘さのなかにあるこのほろ苦さは焦げだろうか。でも……。



「ありがとう、テナ。とても美味しいよ」


 そう言うと、残りのチョコレートを全て口の中に放り込んだ。お世辞にも美味しいとは言えない出来であったが、あのテナが作ったのだ。チョコの味を保っていただけでも奇跡だろう。


 テナはプーヴァの言葉に少しはにかみ、頬を赤く染めながらふん、と鼻を鳴らした。

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