3-2 風の弱い午後にやって来た客

 この国には季節が冬しかない。


 細かくいえば、四月から九月は『暖かな冬』で、十月から三月が『厳しい冬』と呼ばれ、どちらの冬も、雪の方は容赦なくどっさりと降る。

 そんな厳しい冬真っ只中の十二月のことであった。



「ねぇ、テナ。もうすぐクリスマスだよ」


 テナは目の前に置かれた朝食のクロックムッシュに舌鼓を打ちながら、ふぅん、と適当に返事をする。


「興味ないの?」


 彼女の態度にやや不満気なプーヴァは、野菜もね、と言って温野菜のサラダを勧めた。


「だって、もうすぐクリスマスって言われても、何をしたら良いの? プーヴァがあたしの手作りセーターを着てくれるって言うなら頑張るけど」


 そう言って、勧められたサラダの葉野菜にぐさりとフォークを突き刺す。


 それを言われると、プーヴァは返す言葉が無い。何せ彼は白熊なのだ。マァゴの躾により、雪遊びをする時以外は衣服を身に着けているものの、さすがにニットは暑すぎる。


「別にさぁ、プレゼントがどうとかじゃないんだよ。ただね、テナは一歩も外へ出ないだろ? 少しでも、いまはこういう時期だよっていうか、世間の流行っていうか、そういうものを伝えたかったんだよ、僕は」

「成る程。そうだったのね。じゃ、この場合は、何て返すのが正解だったのかしら」


 テナは深く頷いてから、首を傾げてプーヴァを見つめた。


「そうだなぁ……。『まぁ、もうそんな時期だったのね! プーヴァ、教えてくれてありがとう!』かな?」


 少しだけ高い声を出して、ほんのちょっぴりテナの声真似をしてそう言うと、彼女はぷっと吹き出した。


「プーヴァ、それ、あたしの真似? 全然似てないよ」

「そうかな。会心の出来だったと思ったんだけど」


 やっと和やかな空気になったと、プーヴァはホッとした。

 彼は平和主義なのである。



 朝食が終わると、プーヴァは後片付けに取り掛かる。テナは家事を一切しない。そして、彼の方でも特にそれを不満に思う様子もなかった。


 テナはいつものように黙々と編み物を始める。これが唯一の彼女の仕事である。

 彼女には一切必要のない帽子や手袋、マフラーを編むのだ。たまに、刺繍入りのハンカチを作ってみたり、時には、模型の飛行機を作ったりもする。出不精の彼女に代わってこれらを街に売りに行くのは、もちろんプーヴァなのだが。


 食後の後片付けが終わると、プーヴァは地下室へ向かう。

 今日は一週間ぶりに地下室の掃除をするのだ。ここには数えきれないほどの書物が保管されており、その大半が魔法関連のものである。


 彼はこの地下室に出入りするようになってから、ある時、何気なく一冊手に取り、パラパラとめくってみたのだが、本来、魔女しか読むことが出来ないはずのその書物がなぜか彼にも読め、彼は驚きのあまり本を自分の足に落としてしまい、その痛みに悶絶したことがある。



 どうしよう、いままで白熊だと思っていたけど、本当は僕、魔女だったんだ! 


 

 彼はそう思って、当時まだ一緒に住んでいたマァゴに慌てて報告した。すると、マァゴはけらけらと笑い、その種明かしをするのだった。


「安心おし、あんたはちゃあんと白熊だよ。これから、あんたにはテナの手助けをしてもらうことになるだろうからね、人の言葉を与えるついでに、魔女の書物も読めるようにしたのさ」


 マァゴはくるぶしまである長い髪をきっちりと三つ編みにし、その筆のような毛先でまだ百六十センチメートル程しかなかったプーヴァの鼻先をくすぐった。



 それから彼は掃除の度にパラパラと魔法関連の書物を眺めるようになったのである。彼にもし魔法の力があったなら、間違いなくテナよりも優秀な魔女になっていただろう。



 先月はお客さんが二人も来て、魔法薬も二種類作った。もしかしたら今後もちょくちょく魔法薬を作るかもしれないなぁ。テナに「こんな魔法薬ってある?」と聞かれた時のために、どんな魔法薬が存在するのか、僕がしっかりと頭に叩き込んでおかなくちゃ。



 本来はそれも含めて魔女の仕事のはずだったが、あの究極のものぐさ魔女はそこまでお膳立てしてあげないとその重い重い腰を上げようとはしないのだった。



 風の弱まった午後のことである。


 昼食を終えた二人(正しくは一人と一頭なのだが、人語もペラペラで二足歩行となれば、これはもう人扱いしても良いと思う)はキッチンと繋がっているリビングの中央に置かれた大きなテーブルに向かい合って座り、テナはいつも通りに編み物を、プーヴァは栗の皮を剥いていた。


 コンコン、という控えめなノックの音が聞こえた時、テナは最初、風の音かと窓を見た。しかし、窓から見える木々は微動だにせず、枝の上にこんもりと積もった雪も落ちる気配はない。


 それに反してプーヴァはそれが客人のノックだとすぐに気付き、腰を浮かせた。テーブルから玄関の扉までの数メートルで、彼は何度か深呼吸をする。


 客人の目当ては十中八九、魔女のテナである。けれど、しわくちゃの婆さんが出迎えると思っていたところへ、巨大な白熊が出て来るのだ。


 その後の客人の行動は、大きく分けて二つ。

 一つは、目を回して失神する。

 もう一つは、慌ててUターンし、這う這うの体で来た道をもどる、である。


 もちろん、プーヴァの方では危害を加える気も、ましてや捕まえて夕食に並べる気もないのだが、相手の方ではそうは思わないらしい。



 もう少し落ち着いて見てほしいんだよなぁ。野生の白熊は僕みたいにきちんと服を着たりしてないし、第一、人の言葉を話したりなんかしないでしょ? ね?



 だから彼は、扉を開ける時は、何とかそのことに気付いてもらえないかと、いつもよりも丁寧に、ハキハキと「いらっしゃいませ」と声をかけるように心がけている。もっとも、そんな彼の気遣いもたいていは空振りに終わるのだが。


 プーヴァは出来るだけ、笑顔を作って(ただ、白熊の笑顔というのが人間に伝わるかというのは甚だ疑問であるが)、渾身の「いらっしゃいませ」と共に扉を開けた。



 扉の向こうにいたのは、見たところ、六十代くらいの男性である。

 帽子と肩の上にはうっすらと雪が積もり、プーヴァの姿を一目見るなり、あんぐりと口を開けて固まってしまった。おや、このパターンは珍しいかな。そう思いながらもたたみ掛けるように「ウチの魔女に御用なんですよね? 寒いですから、中へどうぞ」と言った。


 その男性は、ペラペラとしゃべる白熊に圧倒されながらも、勧められるがままに小屋の中へ入る。自分は夢でも見ているのではないだろうか、と穏やかに自分を誘導する白熊を凝視した。プーヴァの方でも、自分の足でこの小屋の中に入ってきた人は初めてだなぁ、と思いながらテナを指差し、「あちらがご所望の魔女のテナです」と言った。


 男性が指差された方を見ると、そこには膝を立てた状態で椅子に座り、編み物中の少女がいる。彼女は男性に向かってぺこりと頭を下げると、また黙々と編み物の続きに取り掛かった。キリの良いところで止めないと、後で面倒な事になるのである。


「とりあえず、お掛け下さい。コートと帽子は暖炉の前で乾かしますから」


 プーヴァは男性が怖がらないようにと、必要以上に近寄らず、精一杯手を伸ばしてコートと帽子を受け取った。壁に取り付けられた物干し用のポールに掛けると、そのままキッチンに向かってお茶の準備をする。


 男性は、きっとこの白熊は魔女の召使いなのだろう、と思った。




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