3-3 客人のお悩み相談①

 やっとキリの良いところまで編み終えると、テナは毛糸玉が入った籠の中に、編みかけのものを絡まないよう用心深くしまい、立てていた膝を下ろして、男性をじっと見つめた。手で目の前にある椅子を勧める。


「魔女のテナです。あたしに何か御用ですか」


 男性は、まだ半信半疑といった表情で、あの、とか、その、などと呟いている。小さい頃に読んでもらった本では確か、魔女というのはしわくちゃの醜い老婆だと描かれていたのだ。しかし、目の前にいるのは綺麗なハチミツ色の髪をしたうら若き少女である。


「あなたもやっぱりしわくちゃ婆さんを期待してたのね。ごめんなさいね、はっきり言うけど、あたしはまだ十五歳だし、魔法薬を作るのだって、婆さん魔女に比べたらとっても遅いの。とりあえず話は聞くけど、あなたの願いが百%叶うとは思わないで」


 あけすけにそう言って笑う若い魔女に、男性は少しだけ肩の力が抜けた。彼は半ば死を覚悟するくらいの気持ちでこの小屋に来たのだ。


 もし、魔女があの絵本通りだったら、自分はきっと薬の材料にされてしまう。

 でも、もしかしたら。

 そんな一縷の望みを持って扉をノックしたのだった。


 恐れられている魔女に助けを求める程、彼は切羽詰まっていたのである。



 テナと男の前に温かい飲み物が運ばれ、プーヴァも彼女の隣に座る。男性は、紅茶を一口飲み、ふぅと安堵の息を吐いてから話し始めた。



***


 三ヶ月程前に、定年を迎えまして。


 子どもは息子が二人に、娘が一人なのですが、息子達は村を出て所帯を持ち、娘も遠方へ嫁いでいきました。ですから、長年連れ添った女房と二人きりで暮らしております。


 妻は、ザナと言って、見合い結婚でした。気立てのよい娘で、とても働き者です。ザナは朝から晩まで休むことなく動き回っていて、忙しそうでした。子供達がまだ幼くて手のかかる時期でも、彼女は家事をおろそかにすることはありませんでした。


 いちばん下の娘が嫁いだのは五年前のことです。

 立て続けに男が産まれた後で、やっと出来た女の子でしたから、ザナは特別、娘を可愛がっていました。もちろん、私も。息子達も、年の離れた妹をまるでお姫様のように扱って、それはそれは大切に育てました。だから、娘が遠方へ嫁ぐと決まった時、我々は祝福しながらも、内心は複雑でした。


 娘がいなくなり、家の中は火が消えたようになってしまいました。ザナはすっかり元気がなくなってしまい、家事もおろそかになりがちになりました。家の中は散らかり、料理も目に見えて手抜きになりました。私はそんな家に帰るのが嫌で、わざと残業をし、泊まり込みの仕事や、私が行く必要のない出張まで引き受けました。そうして、なるべく妻と過ごすことも避けてしまっていました。きっと、時間が解決してくれる。そう思っていたのです。



 ――それで、解決したの?

 ――ちょっと、テナ。結論を急ぎ過ぎだよ。

 ――だぁってぇ。



 解決……していたと思います。

 私がいない、一人ぼっちの部屋で、それでも何とか彼女なりの生活リズムを取り戻していたのです。私が定年を迎える頃には、家の中は元通りになりました。料理も手の込んだものが並び、突然の来客でも慌てることなくもてなせる、そんな以前と変わらぬ暮らしになったのです。


 しかし、ついふた月ほど前のことです。急にザナが「離婚したい」と言うようになりました。


 私は驚いて、一体どうしたんだとザナに詰め寄りました。


 他に好きなやつでも出来たのかと聞くと、彼女は首を横に振りました。

 私のことが嫌になったのかと聞くと、それも首を横に振るのです。

 自分でもわからない。ただ、この家を出たい。あなたと離婚したい、と。



 ――急な話だね。

 ――奥さん、不満がたまっていたのかしら。



 それからというもの、ザナは「離婚したい」という言葉しか話さなくなりました。まるで、それ以外の言葉を忘れてしまったかのように。


 家事は相変わらず完璧です。

 料理はいつも出来立てで、私の好物が並びます。

 シーツもしわ一つなく、風呂だってピカピカに磨き上げられています。

 そして、それを嫌々やっている素振りもありません。いえ、むしろ、家事をしている時は、何だか楽しそうなのです。


 ただ、私と向かい合って食事をしている時、ふと何気なく話しかけると、返って来るのは「離婚したい」という言葉のみです。会話などありません。そう話す時のザナは無表情で、まるで、この「離婚したい」という言葉と共に、人間らしい表情だとか、感情も吐き出してしまっているように思えるのです。


 私が嫌になったのなら、もう好物など作ってくれなくても良い、ベッドを整えることもしなくて良い。風呂はさすがに彼女も使いますから、汚れたままというわけにはいきませんが……。


 でも、何度聞いても、私のことが嫌になったわけではないようなのです。



 ――それで、あたしにどうしてほしいの? 奥さんの願いである「離婚したい」を叶えれば良いの? でも、それなら魔法でどうこうすることじゃないと思うけど。



 違うんです。そういうことじゃないんです。

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