第8話 雨後の筍

 黒スーツの男たちがおかしらの家を荒らしている。

 神崎は廃工場を出入りする黒スーツたちをマンションの外階段から見下ろしていた。


 「おかしら……」 


  出掛けたおかしらを工場で待っていたとき、あの4人が鍼灸治療院に入ったという連絡を仲間から受けた。だが、おかしらに伝えようにもあの人は携帯を持っていない。直に伝えるしか方法がなく、探しに探したが結局見つからなかった。「20時前には家に帰ること」というおかしらからの掟を守って帰ってきたが、廃工場に見知らぬ黒スーツたちが入っていくのを見てしまい、のんびり寝ていられるはずもなかった。

 

 「んぁあ〜〜!クソッ!」


 頭をかきむしる。なにか嫌な予感がして神崎は階段を駆け下りた。やはり探しに行こう。でないともう会えなくなる気がする。おかしらが″出掛けた″ことがまずおかしかったのだ。あの人はこの街に来てから、一度もあの場所から動いたことなんてなかったのに。


 『なんだなんだ。随分と荒れてんなぁ』


 おかしらと初めて会った日のことが思い出される。世の中の全てにムカついて、むしゃくしゃして、喧嘩に明け暮れていたとき、おかしらは突然この街にやってきた。


 『うっせーな!じじいは引っ込んでろよ!!』


 顔面を狙ったはずの拳はあの人の大きな手の中に落ち、びくともしなかった。そのとき、おかしらは少し目を丸くして、苦しそうに目を細めた。


 『……おいおい、お前もボロボロじゃねぇか。絆創膏くらい貼ったらどうだ?』

 『う、うっせーな!んなもん貼ったら治りが遅くなるだろ!』

 『場合によるだろ。その膝とか、血ぃダラダラじゃねぇーか』

 『いま洗いに行こうと思ってたんだよ!』

 『ほぉ、それはいいな。ちょうど俺も水が欲しくてな。喉が乾いて仕方がないんだ。案内してくれるか?』

 『ハァ?知らねぇよ!着いてくるなら勝手に着いてくればいいだろ!』


 そこで神崎が入り浸っていた廃工場に行くと、おかしらはそこをいたく気に入った。


 『おら神崎、人を守る方法を教えてやろう。お前もお前の大切な奴も傷つかなくてすむようにな』

 『余計なお節介だっつーの。大切な奴なんていねぇーし』

 『お前、この街は好きか?俺は好きだ。街を守っていれば、そのうち大切なものも出てくる。これは良い場所を教えてくれた礼だ。眠くなる前だったらいつでも相手してやるよ』


 がむしゃらに殴り合いをしていた神崎は護身術や体術を教え込まれた。強くなっていくにつれて2人の周りには人が集まり、いつしかこの街を守ることが目的の集団が出来上がっていた。


 神崎はふと思った。最近のおかしらは出会った頃よりも元気が無くなっている気がする。活動時間が減り、寝ている時間の方が多い。いつも気怠げで、疲れているように見えた。


 「ま、まさかおかしら、病気なんじゃ……」


 いくら綺麗にしていても廃工場だ。雑菌はたくさんいるし、冬の外は冷える。

 饅頭を渡したときの、眠そうな目をこすりながら起き上がったおかしらの姿が脳裏を過ぎった。


 『おいおい、こんな高そうなもんもらっていいのか?太っ腹だなぁ、神崎は』


 大きな手で頭を撫でられたとき、おかしらの小さな呟きが耳に届いた。


 『……饅頭なんて、いつぶりだろうなぁ』


 柔らかく笑んだ表情が鮮やかに蘇り、涙が滲む。

 ふらっとどこかに行ってしまいそうで。


 「うぅ、おかしらぁ……」

 「おっとー?どうした、神崎」


 なぜか下からおかしらの声がした。見ると、おかしらが階段を上がってきていた。


 「今何時だと思ってんだ」

 「え?え?なんでここにおかしらが?」

 「お前がここに立っているのが見えたからだよ」


 神崎はあわてて目尻をぬぐい、街に視線を落とす。


 「あっ、あいつらが……引っ越してきた奴らがあの治療院に入ったらしくて。大丈夫っすかね?」

 「それが心配で眠れなかったのか?」

 「えっ、いや、心配なんてしてないっすよ。もうねみぃから寝ようと思って」

 「俺も眠いよ」


 おかしらは大きくあくびをして、階段に寄りかかった。


 「やっぱこの街はいいな。ここに来る前は、こんなにのんびり眠れる日が来るなんて思ってなかった。お前のおかげだよ、神崎」


 冷たい風が髪をなでる。おかしらは首をすくめて「さあ寝るか」と階段を降りようとしたが、神崎は慌ててそれを引き止めた。


 「おかしら!」

 「んー?」


 振り返ったおかしらに何と言うべきか迷ったが、出てきた言葉は今一番聞きたいことだった。


 「ど……どこか、行くんすか?」


 おかしらの短い沈黙に怖くなった神崎は、うつむいて叫ぶように言った。


 「わ、悪いとことかあったら言って欲しいっす!俺たち情報網だけは広いし医者の知り合いもいるし、病気があるなら言ってくれれば俺たちおかしらのためならなんだって、」

 「待て待て神崎」


 おかしらの笑いを含んだ静止に、神崎はきょとんとして顔を上げた。


 「俺は猫か何かか?仮に死にそうになったって好きな場所から離れたりしねぇよ」

 「え、じゃあ、け、け」


 結婚の準備っすか、とボソボソと呟く。


 「ん?なんの準備だって?」

 「い、いえ、なんでも!なんでもないっす!」

 「別に病気でもなんでもねぇーよ。ただ歳をとったせいで眠いだけだ。気にしてくれてありがとな」

 「でもまだ30くらいじゃ」

 「俺の年齢知らんだろ」

 「何歳なんすか?」


 おかしらは大きくあくびをして言った。


 「そういや、20の時から数えてないなぁ」



****



 互いに一歩も譲らない北斗と鹿野の間に、後ろにひかえていた佐藤が割って入った。


 「はいはいおふたりさん、ちょっとタンマね。こんな寒いところじゃ僕も凍えちゃうし、名波なんか腹イタでコンビニに飛んでっちゃったし、坊ちゃん、とりあえず中に入れてもらってもいいですか?」


 坊ちゃんと呼ばれた北斗はだるまのように丸い男を上から下まで眺めた。


 「その声は、か……?また随分と大きくなったなぁ」


 佐藤の体で玄関がすっぽり埋まり、体を傾けないと鹿野が見えなかった。


 「あっもう、そうやって素でオブラートに包んでくるところほんと変わってないですね!着込んでるだけですよ!ちゃんと体型は維持してますから!」

 「わりぃわりぃ。それじゃ動きにくいだろ。あったかいコーヒー淹れるから、充も呼んで休んでいけよ。翔一、続きは中で話そうぜ」


 北斗は肩の力が抜けたようで、笑いながら「ゆきー、暖房の温度上げてくれ。俺はコーヒー準備するから」と言って奥へ入っていった。

 佐藤は背後からの突き刺さるような視線にたまらず振り返る。


 「余計なことをって顔してますね」


 鹿野の眉間のシワが増す。佐藤は目の前の男をからかうようにニヤニヤと笑っていた。


 「余計じゃないですよ。だってほら、いまのうちに坊ちゃんとたくさんお喋りしておいた方がいいでしょう?」

 「の結果は出たのか」


 佐藤を押しのけて玄関を上がる鹿野。佐藤は唇をすぼめながら、スマホをタップする。


 「もう、またそうやってイジワルする。研究班からメール来てるよ。うーんと……『タダの塩と砂糖だよ』だって。ダジャレ?まあとにかく、普通の塩と砂糖らしい、ってちょっと聞いてます?」


 鹿野は耳に手を当てて通信機に話しかけていた。


 「おい名波、聞こえたな?そんなところで油売ってないで早く来い」

 『うえぇ〜ん、ろくやんの鬼〜。おトイレにまで仕事の話持ち込まないでぇ』

 「そんなもんと北斗のコーヒーどっちが有意義だと思ってんだ」

 『いや比べるものじゃないから!あ、言われる前に言っとくけど坊ちゃんのコーヒー飲んでも腹痛は治らないからね?それはろくやんだけだからね?』


 その時奥の扉が開き、エプロンをした北斗が顔を出した。


 「翔一?入らないのか?」


 なかなか来ない2人を呼びに来た北斗は、通信機に手を当てている鹿野に気づき、声を抑える。


 「仕事か?」

 「いや、すぐ行くよ。少し冷ましておいてくれるかい?」

 「翔一のは先に入れておいたぜ。んじゃ、待ってるから」

 

 北斗が戻って行くと、鹿野は再び通信機に向かって言った。


 「当たり前だ。俺のコーヒーは格別だからな」

 『あっ、オレの分がなくなりそうな気配を察知!とっしー死守しといて!徹夜にはコーヒーないとムリ〜!』

 「絶対面倒だからイヤ」


 騒ぎ始めた名波を無視して通信を切り、2人はリビングに入った。鹿野はソファに座り、佐藤は「あったかいですね」と嬉しそうに言って、脱いでも脱いでも終わらないマトリョシカのようないくつもの上着をもそもそと脱いでいく。

 北斗は2人の前にコーヒーを置くと、鹿野に向かい合うかたちで座った。


 「翔一。俺は翔一の説明に納得できない。俺たちはちゃんと仕事をこなしてきたはずだ。そりゃ、少しやりすぎたりすることもあったが……それでも一般人を巻き込んだりはしてねーし、バレてもねぇ。この4人は俺の大事な仲間で、家族みたいなもんだ。みんなでいるからこそうまいこと力が噛み合ってると思ってる。バラバラはよくないと思うんだ」


 鹿野は北斗の顔をじっと見た。それからコーヒーを一口飲み、「その通りだよ」と笑った。反論してこない鹿野に北斗は疑問符を浮かべる。

 すると、佐藤がカバンから紙束を取り出し、テーブルに広げた。鹿野が一番上の冊子を指さす。


 「北斗、次のターゲットはここだ」

 「……桜道女学院?」


 それは学校のパンフレットだった。ピンクの並木道を女学生が歩いている。


 「まさかとは思うが……女装が必要だからチームを分けるってことか?」

 「さすがだね、北斗」


 にっこりと笑う鹿野に、北斗は額に手を当て天を仰いだ。


 「それならそうと言ってくれれば……いやでも、真昼間から紛れ込むのはもう無理があるだろ……」

 「来週からゆきと燈夜に行ってもらう。情報収集が目的だから危ないことはないよ。それと、ここからそれほど遠くはないが、学校の近くにマンションの部屋を借りてある。2人以外は入らないように。詳細はここに書いてあるから渡しておいてくれるかい?」

 「いくらゆきと燈夜でもスカートは無理だって……。今の学校はどうするんだ?」

 「掛け持ちだ。ゆきは不登校、燈夜は入院中にしてある」

 「柊も不登校になりそうだな……」


 鹿野がコーヒーを飲み干したところに、「おじゃましまーす!」と玄関から名波の声がした。鹿野はスマホの画面を一瞥して立ち上がった。


 「北斗、今日だけ2人を客室に泊まらせてあげてくれ。ご飯も何も出さなくていいから、私が帰ったらゆっくり寝なさい」

 「別にいいけど、翔一は?」

 「私はまだやることがあるから。佐藤、いいね?」

 「いいですけど、僕たちも」


 まだやりますよ、と言う前に、鹿野が佐藤の肩に手を置き、耳元でささやいた。


 「この家に盗聴器を持った奴が入った。すべての部屋を調べておけ」


 佐藤はくるりと北斗を振り返る。


 「あはー、やっぱり眠いから今日は泊まっていきたいかも。坊ちゃん、申し訳ありませんが部屋借りますね」

 「ああ、風呂も入っていけよ。名波も今日はうちに泊まるようにって」

 「えっ、もう寝ていいんですか!?ていうか坊ちゃんの家に泊まるとか何年ぶり…!」


 驚く名波と入れ違いに鹿野は家を出た。



***



 「こんなところで会うとは奇遇だなぁ、観月みつき


 神崎の住むマンションの外階段に座っていたおかしら、もとい観月は、頭上から覗き込む男を見て目を細めた。


 「鹿野か。元気そうでなにより」

 「テメェは元気有り余りすぎて引きこもってられねぇのか」


 バン、と背中を思い切り蹴り上げられた観月は「いてぇよ」と笑って立ち上がった。鹿野のほうに体を向けると、勢いよく襟首を掴まれる。


 「なぜ邪魔をした。よくもまあ裏切り者がのこのこと出てこれるな」

 「急がないと中にいた子どもは死んでいた」

 「今ここでお前が死ぬか?そもそも死んだことにしてあんだから、死んでも構わねぇよな?」


 鹿野は一切の躊躇なく、観月の顔を拳で殴った。よろけた観月は足を踏み外し階段から転げ落ちそうになったが、手すりを掴んでなんとか踏みとどまる。口の中に鈍い味が広がり、久々にまともな拳を受けたな、と思った。


 「北斗の部屋に盗聴器を持ったバカを入れたのも、あの失敗作のガキをおびき寄せたのも、工場の隠し出口に死に損ないを積み上げたのもお前だろ。俺に用でもあんのか?ただ燈夜を見たかっただけ、とか言ったら殺すぞ」

 「うーん、どっちもだ」


 その瞬間、鹿野の足が観月の肩にくい込んだ。膝を折り、肩を抑える観月を鹿野は冷ややかな目つきで見下ろした。


 「何様だ」


 観月は月明かりに照らされる鹿野を見上げ、「懐かしいな」と呟く。


 「お前がいると昔に戻ったみたいだ。身体はずいぶん鈍ったが。もうお前に一発当てられる余裕もない気がする」

 「ならもう関わるな、クソジジイ。ボスの前にその首持っていくぞ」

 「そろそろ行くんだろ、鹿野」


 観月はポケットから何かを取りだし、鹿野に放った。USBだった。


 「燈夜のいた地下道の地図だ。役に立つか分からないが、おそらく俺以外誰も知らない一番詳細な地図だと思う。あんなクセェところ、誰も入ってねぇだろ」

 「……俺に入れと?」


 鹿野は心底嫌そうな顔をしたが、USBをポケットにしまった。


 「もう入った奴はいるが、一応もらっておいてやる」

 「入ったぁ?あそこに?ボスの命令か?」

 「関係者以外に言うわけねぇだろ」

 「はぁ、俺の最後のあがきだったんだがなぁ。意味なしか」


 まあ世の中そんなもんだよなぁ、と観月はタバコをくわえたが、すかさず鹿野にはたき落とされた。


 「吸わねぇのか?」

 「ああ」

 「……そういや、北斗がお前の健康気にしてたな。実は俺も禁煙中なんだ。中坊がいるところで吸えねぇから。だけどお前を見てたら吸おうとしてたわ。昔の癖ってこえぇなぁ」

 「お前、毒ガス抜いただろ」


 鹿野はいつの間にかタバコをくわえており、ポケットから出したライターで火をつけた。


 「いや禁煙……」

 「お前と会う最後だから1つ忠告してやる」


 階段に寄りかかり、ふーっと白い煙を吐き出す鹿野。観月も自身のポケットをまさぐり、再びタバコを口にくわえた。


 「死にたくなければゆきの邪魔をするな。あれが怒るのが一番面倒くせぇ」

 「邪魔?柊を助けた覚えしかないんだが」

 「俺にもあいつの考えはわからないが、おそらくあのガキじゃない。子どものほうだろ」

 「ああ……なるほどな」


 観月は助かった子どもたちのこれからを想像し、奥歯を噛み潰した。


 「まあ俺がどう動いてもゆきは怒ったかもしれないが……みんな、賢くなっちまったな」

 「観月」


 タバコを踏み潰す鹿野を横目で見る。鹿野は観月に視線を合わせるようにしゃがんだ。


 「次はないからな。俺のためを思うならもっと遠くへ行け。てめぇが生きてることが分かったら誰が責任取ると思ってんだ」


 観月は両手を上げて眉を下げた。


 「悪かったよ。お前ならうまくやってくれると思ったんだ」


 「当たり前だ」と言い残し、鹿野は非常扉から出ていった。観月はタバコに火をつけ、「一服付き合ってくれてもいいのになぁ」とボヤき、月を見上げた。



***



 いい匂いがして目が覚めた。これはなんの匂いだったか。カレー、ビーフシチュー、ハヤシライス。どれも違う気がする。


 「うわ、柊、起きてる」


 足の方から声が聞こえた。しんくの声だとわかるが、体が重くて動きたくない。口を動かすのも億劫だ。


 「……起きてるんすよね?目だけあいてんの怖いんだけど」


 覗きこみながら枕元に座るしんくを目で追うと、再び、こわ、と言われる。


 「ご飯もってきたんすけど、食べる?」

 「……ビーフシチュー」

 「おかゆだけど……」


 じゃあなんで匂いがするだと思い眉をひそめると、しんくは盛大にため息を吐いた。


 「あんた、4日間まともに食べてないんすよ?暴れようとするからなるべく寝かせてたんす。それなのにビーフシチューとか、あんたはこれで胃をならしてください」

 「……あ?……なんで寝てんだ?」


 上半身を起こした瞬間、柊は頭を押さえてうなった。


 「くっそいてぇ……」

 「あーあー、いきなり動くから。覚えてないんすか?ろくやんに寝かされたの。その前に覚せい剤浴びたんすよ。そんな簡単に回復するわけないでしょ」

 「ゆきは」

 「ゆっきーは燈夜と一緒に別任務。女学校に潜入するからって家もちょっと離れたとこに移った。柊はとにかくこれ食べ、あ、ちょっと!」


 起き上がって服を脱ぎ始めた柊をしんくは羽交い締めにする。が、柊の足がしんくの膝裏を蹴り、しんくはバランスを崩した。瞬間、しんくは柊から服を引っペがして自分の後ろに投げ捨て、足を振り上げた柊の胴に拳を入れようとする。が、腕を掴まれた。


 「このっ、マジでめんどい!一生寝てろ!」

 「あぁあ!?てめぇこそなにゆきと燈夜だけで行かせてんだよ!頭寝てんのか!」

 「はあ!?ほんとに寝てた人に言われたくないんですけどー!!」

 「どうせ鹿野にビビって何も言えなかったんだろ!何も出来ねぇドブネズミ!」

 「あー!!ちょっと気にしてるのにすぐそういうこと言う!!そっちこそ失敗作のくせに悪口と手ばっか出てくるのどうかしてるっすよ!」


 互いに腕を掴み合っていると、ドタバタと足音がしてスパーンッと扉が開いた。


 「なんだなんだ!また柊が暴れてんのか!?落とすか!?」


 しんくが「やって!」と叫び、柊は「殺す!」と北斗に飛びかかろうとした。しかし、柊は布団の上で足を止めた。「なんだ?」と臨戦態勢のままの北斗が言う。


 「腹減った」


 柊がそう言った途端、ぐぅぅと大きな音が腹から鳴った。柊は布団に座り込むと、枕元にあったおかゆを食べ始める。


 「お?いつもの柊に戻ったのか?よかったよかった」


 北斗は笑みを浮かべ、柊の背をぽんぽん叩いた。しんくはだらりと腕を下げ、はあぁぁと腹の底から息を吐き出す。


 「この人、やっぱゆっきーのとこに行くつもりっすよ」


 北斗はあぐらをかき、「いやー、柊、それはやめたほうがいいぞ」と言った。


 「気持ちはわかるが、俺たちが女装した姿を思い浮かべてみろ。具体的には言わんが、まずスカートはけるか?」


 おかゆを食べる柊の手が止まる。北斗はうんうんとうなずいた。


 「まあ無理だよな。細身のお前でも脚が筋肉質すぎる。カツラかぶってもキツい。というわけでだな、俺たちは俺たちのできることをやることになった。まずは、柊、お前の回復待ちだ。ゆきが帰ってきたとき、お前が元気じゃないとゆきが悲しむだろ?」

 「……」

 「だからしんくは薬を作り、俺は飯を作る。柊はしっかり食べてしっかり寝る。それとな、」


 北斗はポケットから紙を取り出した。


 「ゆきから『怪しい候補リスト』を預かった。お前が回復したらここを周って偵察してほしいってよ」

 「……わかった」


 柊がうなずくと、北斗は「本当に元に戻ってよかったなー!」と腕を大きく広げて抱きついた。柊は迷惑そうにしながらも、口いっぱいにおかゆを詰め始める。

 ひとり腑に落ちない顔をしているしんくは、面倒くさそうに近くの箱から薬を取り出した。


 「食べ終わったらこれ飲むの忘れずに。あと一応聞くけど、頭痛以外にどっか変なところないっすか?」


 柊はおかゆを飲み込むと、「ビーフシチューかカレーかなんかの匂いがする」と言った。


 「ビーフシチュー?」


 北斗が首を傾げる。しんくは「本当に?」と柊をいぶかしげに見た。


 「んだよ。お前らが食べるんじゃないのか」

 「……」


 しんくは考え込むように顎に手を当てた。こころなしか焦っているように見える。


 「まさか、嗅覚異常?」


 しんくの呟きに北斗が目を見開いた。


 

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