3、Lonly,Lonly,my ■■■■■



 メア、とそう名乗ったレインは、此方を見て嗤った。


『いやあ、これも全部あなたのおかげですよぉ?』

「……何が」

『端的に言えばぁ――――「リアル」の襲来は、あなたがここに来た所為、ということですねぇ』


 その言葉に、どこか納得している自分に驚いた。

 普通は自分を責めるべきだろうに、この心は少しの痛痒しか感じていない。 

 …………理由は、わかってる。


『おやおや? おやおやぁ? 予想通りの反応ですねえ、つまらない』

「予想通りで助かったんじゃないのか?」

『そもそも予想が外れる事なんてありえませんよ。すでに穴は開いているのだから』


 ――――見えますよね?

 暗い、黒い穴。「リアル」が這い出てきた、地獄のような穴。

 

『アレはトンネルです。この世界と、現実世界向こうを結ぶ、ね。あの穴は私のような悪夢じゃあ豆粒サイズを開けるのがやっとです。…………ですが』

「僕が、いたから」

『ええ、ええ! 聡いですねぇ、正解です。アレを開けるには、一人の人間が必要だった。それも、或る条件を満たす』

「条件、か。それは?」

『わかっているんでしょう?


 それを聞いた僕に、大した驚きは無かった。

 知っていた。わかっていた。自分が、彼等を疎い、憎しんでいる事なんて。

 メアに面と向かって指摘されたからだろう。堰を切ったように、今まで蓋をしていた物があふれ出す。

 「夢」を持つことを強制され、それを笑われた日から嫌いだった。

 「夢」が無いと言えば、窘めるように、責めるように向けてくるあの笑顔が嫌いだった。

 周りのみんなが輝かしい未来を描いているのに、自分だけ何も「夢」がないことが僕を世界から取り残されたような気分にさせた。

 いつからか、「夢」に憧れるのではなく、ある種の憎しみを抱くようになっていた。

 夢は無い。夢はいらない。夢なんて、どうせすぐに破れる。


『その憎しみが、あなたの存在がこんな大きな穴を開いた! あなたがいるから、この穴は保っていられる! あなたが生きている限り、この穴は塞がれない! ……ほら、カフカさん。ちっとも、良心なんて痛んでいないのでしょう? 罪悪感なんて毛ほども生まれないのでしょう?

――――他ならぬあなたが、この光景をどこかで望んでいたから!』


 言い返せない。何も、言い返せない。すべてが僕の本質を突いているようで、実質そうだった。

 愉悦が浮かんでいる彼女の前で、僕はどんな表情を浮かべているのだろうか。

 そんなこともわからないまま、口を開く。


「……そうだよ。だけど、君は何がしたいんだ? 今のところ、僕の意志だけしか果たされていないようだけれど」


 僕の言葉を受けて、彼女は一瞬ぽかんとして、すぐに大きく笑った。否、嗤った。


『あはっはははっははははははは!! これだからあなたたちは困るんですよ。

 私のしたいことがわからない? 「今のところ、僕の意志しか果たされていない」?』

「………………」

『ええ、ええ! あなた如きには、決して私の目的なんてわからないでしょうねぇ!

それに――――いつ、私があなたの意志を叶えましたか? 自惚れてもらっては困る。勘違いしてもらっては困る。この光景、すべてを悪夢に墜とそうとするこれは、です』


 そう言い切る彼女の瞳は、狂気が見えた。猟奇的な笑いとともに、言葉の隅々まで人間への侮蔑が惜しみなく詰め込まれていた。

 

『今はまだ現実が夢を侵蝕して言えるだけですが、この後は。悪夢が現実に干渉します』

「……そうなったら、どうなるんだ?」

『いいや、違いますね。そこであなたが問うべきものは、「どうするのか」という一点でした。

 教えてあげましょう! 私の目的は人類を根絶やすこと!

――――つまり、悪夢は現実に干渉して人間を殺します。手当たり次第に』

「――――「夢」が、人を殺せるのか?」

『ええ、まあ、確かに。夢だったら殺せませんね。でも、悪夢なら。ゴミ共を殺せる! 精神的に、嬲り殺して衰弱死させられる!』


 怒り、使命感、そして憎しみ。それらが言葉の節々から伝わってくる。

 それらはすさまじいものだ。

 もし感情というものに物理的な力があったら、すでに自分は死んでいるくらいに。

 ふと、思う。

 

「何で」

『はい?』

「何で、そこまで人間を憎むんだ?」


 「夢」とは人間が持つ物で、言ってしまえば「夢」は人間に作られたような物だろう。

 なのに、なぜ。



『………………本当に、人間共あなたたちは目障りだ。よくも抜け抜けと、まあ。まるで自分が部外者じゃないみたいに。まるで自分が当事者では無いかのように』


 そこで言葉を切って、メアは笑顔を作ってこちらに問いかけた。


『ねえ、カフカさん。「夢」って、どこから生まれると思います?』

「……人間から」

『ええ、ええ。そうです。そうですとも。――じゃあ! 「夢」を棄てたら、どうなると思いますか?』


 夢を、棄てたら? そりゃあ、夢は――――。


『――――死にませんよ。ええ、死にません。代わりに、

「な…………」

『さっきの熊のように、狂えれば良かった! 自我なんて無くなって、暴れるだけの怪物に成り果ててしまえば良かった! …………なのに、できない。できないんですよ! とくに、私みたいに未熟なまま生まれて、育てられることなく棄てられた夢は。みんなそうだった。みんな、みんなぁ!』


 だから、と彼女はわらう。


『こうしたんです。夢を見る人間がいなければ、棄てられて苦しむ夢も生まれない。それに、悪夢となっても、その夢を棄てた人間が死ねば死ねる。だから』


 すう、と息を吸って、こちらをまっすぐに見ながら。


『――――殺します。一人残らず、一匹残らず』

 

 僕は、彼女のことを哀れとしか思えなかった。

 だって、それは破綻している。

 「夢」を見る人間を殺せば確かに苦しむ「夢」はいなくなる。でも、人間がいなくなれば、そもそも「夢」は存在できないだろう。

 この世界だって誰かの「夢」だと言っていた。住む場所も、見る人間もいないのなら、「夢」たちには破滅の未来しかない。 

 少し、思いついたことがある。

 こんな世界、壊れてしまえと願ったのは僕で、原因も僕だ。

 別にこの世界に情は無いけど、ただ。彼女を哀しく思った。ただそれだけだ。

 本当に、それだけ。分相応でも、場違いでも、これが間違いであっても良い。

 救いたい、のではなく。救わなければ、という使命感にも似た感情が渦巻いた。

 一歩、二歩。後ろに下がる。

 まっすぐに、彼女の方を見ながら。

 その、濁って歪んだ眼を見つめながら。


「一つ、聞いても良いかな」

『…………なんでしょう』

「あの穴ってさ、僕がいるから開いているんだよね?」

『……ええ、まあ』


 なぜそんなことを今聞くのか、といった風にメアは答えた。

 その不可解そうな顔を見て、微笑んだ。少なくとも、僕がこれからやろうとしていることに気づいた様子はないようだから。


「それともう一つ」


 ちょうど僕らが立ってる半透明な板の端ぎりぎりに立つ。

 あと少しでも後ろに下がれば、真っ逆さまに落ちてしまうような場所。

 そして、ポケットからあるものを取り出した。

 このために拾った訳じゃあないんだけれど。

 冷たく、無機質な感触が手に伝わる。

 手のひらが切れるけど、まあ、別にいいだろう。

 そしてそれを自分の首に当てる。

 すぐに、自分を殺せるように。

 すぐに、自分を消してしまえるように。


「―――――僕が死ねば、君の計画は潰える?」


 返答を待たずに、僕は飛び降りた。上空何メートルかは知らないけど、頭から落ちたら十分死ねるような高さだ。

 まあ、でも。恐怖なんて無い。 

 いっそこの浮遊感が心地よいくらいだ。


『な――――――』


 彼女は唖然とした表情で僕の自由落下を眺めている。まんまると目を見開いて、今までの表情が嘘みたいだ。

 何かをしようとする素振りは無い。

 拍子抜けだ。魔法とやらで、落下を止められるかもしれないから、こうやって首にガラス片を当てているというのに。

 ああ、もういいか。目を閉じて、一つ息を吐く。

 そして、思いっきり、ガラス片を引いた。

 当然僕の首には浅くない切り傷が出来て、血があふれ出す。

 痛い。すごく、とても痛い。頭の片隅で後悔している自分がいる。

 でも、これは報い。これはあがないだ。

 風が体の脇を通り抜けていくのに合わせて、僕の血液が空中に跡を残す。

 空が赤く染まっていく。他ならぬ、僕の血で。

 彼女を止められるのは、これしかないと思った。だからこうした。

 夢の中で死んだら、現実でも死ぬかはわからない。それも、どっちでもいい。

 夢なんて抱き続けられなかった人生だ。意味を見出せない。それに、自分だけがのうのうと生きているのは僕が許せない。

 血が僕の視界を彩るにつれて、急速に意識が遠のいていく気がする。

 風を僕の体が切る音がする。

 ああ、何か。 

 何かを最後に言うつもりだったんだけど。

 思い出せない。出かかっているのだけれど、喉から先に出てこない。

 伸ばした手が、力なく広がった。

 ひゅうひゅうと風の音。空は明るい。

 僕の手からガラス片が落ちて、僕の後を追いかけてくる。

 その後ろに、小さな人影が見える。

 無理矢理にでも、笑う。

 そうだ。そうだった。

 最後に言うべき言葉。

 彼女に、言うべき言葉だ。

 思い出した。あとは、言うだけだ。届けばいいな、と思う。届かなければいいな、とも思う。言葉なんでなくたって、ここは夢の国なんだろう?

 じゃあ、なんとかなる。

 視界が狭まっていく。呼吸さえも怪しい。体が弛緩する。

 でも、不思議と苦しみは無かった。痛みもいつの間にか消えていて、ただ体中の力だけが抜けていた、

 死ぬんだろうな。死ぬんだろう。穴が砕けていっているのが見える。

 終わりだ。これで、お終い。だから。

 笑えていると良い。どうか、いつまでも。

 僕は、あの笑顔が好きだった。

 とても天真爛漫とは言えないような、そんな笑顔だったけど。

 終わりが近い。本当の最後。

 精一杯の力を込めて、言葉を紡ぐ。

 口を開けて、目一杯笑って。

 彼女に、届くように。

 彼女が、わかるように。





「――――さようなら、遊園地の案内役紙切れ


 


 


 

 

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ドリーミー・ドリーマー 雨露多 宇由 @gjcn0

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