第百三十七幕 ~歴史の進む先~
──キール要塞 作戦会議室
時は王国軍がコクーン平原に到着するより一日ほど遡る。
警戒に当たっていた兵士から王国軍進撃の報がもたらされると、グラーデンは主だった将校たちを作戦会議室に集めた。テーブルを挟んで左側に天陽の騎士団、右側に紅の騎士団がズラリと立ち並ぶ。
グラーデンの号令によって全員が着座するや否や声を上げたのは、全身鎧を身に付けたローゼンマリーだった。
「商人たちの噂は事実だった。あたいを呼び寄せて正解だったな」
「そうだな」
「場所はどこにする? トゥフル平原か? それともコクーン平原か? どちらも兵を思う存分動かせる」
机上に広げられたキール要塞周辺地図を楽しそうに見つめながら舌なめずりするローゼンマリー。グラーデンは腕を固く組み、鼻息をひとつ落とす。
これからローゼンマリーを説き伏せるのは一苦労だなと思いながら。
「残念ながらそのどちらでもない」
否定すると、案の定ローゼンマリーは眉を顰めた。無邪気だった瞳は一瞬にして冷ややかなそれに変化する。ちなみにローゼンマリーが示したそれぞれの場所は、ここにいる誰もが迎撃の要地として納得できるものであった。
「どちらでもない? ならどこで迎撃するのだ? これ以上の場所はほかにないだろう」
「そもそも打って出るつもりがない。今回は籠城にて雌雄を決する」
グラーデンの言葉を聞いた天陽の騎士団の将校たちは、納得顔で頷いた。一方、紅の騎士団の将校たちは困惑した表情で互いを見合っている。
そのなかにあって、ローゼンマリーだけが頭をガリガリと掻き毟っていた。
「……どうもあたいの耳はおかしくなっちまったらしい。籠城と聞こえたのだが?」
「そう言ったつもりだ」
「──グラーデン元帥ともあろう者が臆したのか?」
静かだが触れればたちどころに切れてしまうようなローゼンマリーの口調に、居並ぶ将校たちの顔が次第に引きつっていく。ローゼンマリーの気の短さは誰もが知るところであり、本気で暴れ出せば力づくで止められるのはフェリックスただひとりをおいてほかにはいない。
(ガイエル大佐が存命だったら俺がこんな苦労をすることはないのに……)
溜息を吐いたグラーデンは、ローゼンマリーを睨みつけた。
「口を慎め。俺がいつでも寛容だと思ったら大間違いだぞ」
「慎まないね。その様子だと最初から籠城と決めていたらしいが、ならなんであたいを、紅の騎士団をここへ呼び寄せた。紅の騎士団の実力は野戦においてこそ威を発する。それがわかっていねぇわけでもないだろう」
「十分わかっていて決めたことだ。いかにローゼンマリーが反対しようが、帝国三将筆頭である俺が決めたことに反論は許さん。すでに決定事項であることを知れ」
「くくくっ。帝国三将筆頭ねぇ……。──おい、ところで王国軍はどれほどの大軍で攻めてきた? 二十万か? それとも三十万か?」
ローゼンマリーに薄寒い笑みを向けられた天陽側の将校は慌てて答えた。
「お、およそ八万です!」
「八万!?──おいおいおい。本当にグラーデン元帥殿は耄碌しちまったのか? キール要塞の現有戦力は九万だぞ、九万。子供でもわかる計算だ」
「七万の兵士を有しながら三万に満たない第七軍に敗れたお前がそれを言うのか?」
「実際は五分の戦いだった!」
拳を机に叩きつけるローゼンマリーに、数人の将校が肩を震わせた。
「それは戦略において敗北した結果だろう。それを無視して五分の戦いとは片腹痛い。しかもその五分の戦いとやらでも敗北を喫しているではないか。ローゼンマリーこそ若いのに耄碌したのではないか?」
「くそじじぃ、言わせておけば……先の戦いで敗北を喫したことをもう忘れたとみえる。常勝将軍を倒すと息巻いていたそうだが、結局は逃げ帰ったらしいじゃないか」
「だから慎重を期しての籠城なのだ。──それとじじい呼ばわりを取り消してもらおう。場合によっては貴様を帝国三将の任から解く」
「この情勢でか? やれるものならやってみろッ!!」
椅子を激しく倒しながら猛然と立ち上がったローゼンマリーを、天陽の騎士団の総参謀長であるオスカー・レムナント少将がすかさず宥めに入った。ローゼンマリーの副官であったガイエルがこの場にいたら同じく止めに入るのであろうが、彼は冥府に旅立って久しい。
「ローゼンマリー閣下、どうかお怒りをお鎮めください。ここでお二人が争っては王国軍の思うつぼです。──元帥閣下もお願いいたします」
深く頭を下げるオスカーを見て、大人げなかったとグラーデンは自嘲する。ローゼンマリーは小さく舌打ちして、ドカリと椅子に座り直した。
「以前にも言ったことだが、俺もお前も二度負けるわけにはいかない。ここはキール要塞の防御力を最大限活かして敵の戦力を削り取っていくのが最適解なのだ」
両腕をむんずと組んだローゼンマリーは瞼を落とす。辛抱強く彼女の言葉を待っていると、
「──今回は従う。その代わり敵が敗走を始めたら紅の騎士団に打って出させろ」
苦渋の表情で示したローゼンマリーの代案は、十分に受け入れられるものだった。なにより厄介極まりない死神オリビアを籠城戦で仕留めることは難しい。勝利が確定した折には、とことんローゼンマリーに追撃させる。
これは色々な意味でも理に適っていた。
「わかった。追撃の際には紅の騎士団をその任に当てる」
「その言葉に偽りないな?」
「愚問を」
「……なら信じよう」
ようやく納得したらしいローゼンマリーは、倒れた椅子の足を踏んで器用に元へと戻す。居並ぶ諸将たちは安堵の表情を浮かべていた。
グラーデンは溜息を吐き、改めて話を続ける。
「八万という大軍からもわかるとおり、王国軍は死の物狂いでここを攻め落とそうとしてくるだろう。こちらはキール要塞の防御力を最大限活用して戦力を削っていく。奴らは自身で築き上げた難攻不落という言葉をその身をもって味わうことになるだろう」
「武具、食糧ともに十分な量を確保しています。たとえ王国軍がキール要塞を完全に包囲したとしても半年は余裕です」
オスカーの言葉に将校たちはそろって頷く。王国軍進撃の噂を聞いた段階で、グラーデンはオスカーに十分な備えをするよう命じておいたのだ。騎士団らしくない泥臭い戦いでも構わない。これは絶対に負けられないというグラーデンの峻烈なる意思表示であった。
四時間後──。
オスカーによって各々の役割が綿密に指示され、軍議の終了が告げられる。グラーデンは側に控える従卒に目配せし、液体が半分満たされたグラスを居並ぶ将校たちに配らせる。
全員に行き渡ったことを確認したグラーデンは、手にしたグラスを目線の位置にまで掲げた。
「帝国がデュベディリカ大陸を統一するためにも、この戦いで王国軍の息の根を止めねばならない。貴官らの活躍を期待する」
「「「アースベルト帝国に栄光を!!」」」
「「「皇帝陛下に永遠の忠誠を!!」」」
戦意を顔に漲らせながら退出していく将校たちを眺めながら、最後に出ていくローゼンマリーに声をかけた。
「ここで王国軍を徹底的に叩けば、もはやまともに戦うだけの戦力は残されていないはずだ。──必ず勝利するぞ」
「…………」
一瞬こちらに鋭い視線を向け、そのまま黙って部屋を出ていくローゼンマリー。
グラーデンは苦笑した。
(今さら余計な言葉だったな……)
二度の敗北は絶対に許されない。王国軍との決戦に心を馳せて、グラーデンの拳は痛いほど固く握り締められる。
光陰暦一〇〇〇年。
王国軍と帝国軍の一大決戦が今後どのような歴史を紡ぎだすのか。
今を生きる当事者たちが知る由もない────。
第四章 敗北する少女 第一部 完
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