第百三十六幕 ~進撃~

 光陰暦一千年──王夏の月。

 第一軍と第七軍、総勢七万五千の王国軍はガリア要塞を満を持して進発。軍旗を高らかに掲げながら堂々と進軍し、四日後にはキール要塞の東に広がるコクーン平野に到着した。


「全軍に停止命令を」


 総司令官であるコルネリアス元帥の命令に従い、全軍は一時停止する。ここから北東に向かって一時間程進めば、キール要塞まで目と鼻の先であった。


「さてさて。ここまできて帝国軍に目立った動きが見られない。これは籠城策で間違いなさそうじゃな」


 コルネリアスの言葉に、傍らに控えていたナインハルト少将は同意を示す。今回ナインハルトは兵を直接率いず、参謀としてコルネリアスと共に全体の指揮を執ることになっていた。


「最新の情報によりますと、紅の騎士団もキール要塞の防衛に就いたようです。帝国軍は我々の策に上手く乗ってくれました」

「キール要塞を失えば帝国は王国に対する橋頭保を失う。それでも以前なら帝国の優位は崩れなかったが、今は南部北部共に帝国軍の手から取り返している。属国とした国々の動向も視野に入れれば、野戦でなく籠城戦を選択するのも当然じゃな」

「欲を言えば蒼の騎士団もこちらに引きつけられれば良かったのですが……」


 蒼の騎士団が帝都にいなければ、第八軍の作戦成功率は飛躍的に上がる。皇帝のラムザを捉えれば帝国軍そのものを無力化することも不可能ではない。

 コルネリアスは髭をしごきながら苦笑した。


「それは欲が過ぎるというものじゃ。紅の騎士団を引きつけただけでもここは良しとすべきだろう」

「そうですね。……なんにしてもあとは我々の演技力次第ということになります」


 立ち並ぶ将校たちに持ち前の大声で激を飛ばすランベルトを見やりながらナインハルトがそう言うと、コルネリアスが顔を綻ばせて答えた。


「演技力か。それはお主の得意とするところじゃな」

「恐れ入ります」


 戦いとは駆け引きの積み重ね。口悪く言うならば、いかに相手を騙し続けるかという一言に尽きる。だが、相手は仮にも帝国三将。しかも、二人同時に相手をしなければならない。慎重に慎重を重ねて事を進めていかなければ到底騙すことなど不可能である。


(果たして私は上手くやれるのだろうか?)


 見れば副官であるカテリナも顔を強張らせている。さすがに緊張を覚えるナインハルトの肩に、コルネリアスは優しく手を置いた。


「少し肩の力が入り過ぎているな。適度な緊張は良薬じゃが、それも過ぎれば猛毒に変化する。何事もバランスが大事じゃよ」


 完全に心の内を見透かされていることに、ナインハルトは苦笑した。それと同時にここに至ってなお部下の心情を正確に把握し、そして慮れるコルネリアスに大きな安心感を抱く。

 懐から血濡れた階級章を握りしめたナインハルトは呟くように言った。


「第二軍と第八軍は上手くやってくれるでしょうか?」

「心配か?」

「……本音を申せば」


 第二軍の総司令官であるブラッドの指揮能力を疑う余地はない。第八軍を指揮するオリビアに関しても、戦略・戦術眼は折り紙つき。初めて一軍を率いて戦うことになるが、とくに問題ないだろうとナインハルトは思っている。

 それでも王国の進退をかけた戦いである以上、どうしても気にかけてしまう。コルネリアスは表情を厳しくして言った。


「ブラッド大将もオリビア少将も己の役目は心得ている。我々は最善をもって事に当たればそれでよい。今は余計なことに気を回さずキール要塞の敵に集中せよ」

「はっ! 失礼いたしました!」


 敬礼するナインハルトに、コルネリアスは大きく頷いた。


「とにかく敵の出方はわかった。一時間後に軍議を開く旨をパウルに伝えてくれ」

「はっ。ではただちに伝令兵を送ります」


 時を置かずにナインハルトより命令を受けた伝令兵は、颯爽と馬を走らせ、第七軍の元に向かって行った。


△▼△

 

 一方第七軍を率いるパウル上級大将は、オットー准将やホスムント少将と休息を兼ねた食事をしていた。


「──しかし、オリビア少将がいないとなんとなく寂しさを感じますね」


 パンを食べる手を止めて、ふと寂しさを口にするホスムントにパウルは驚いた。志願兵としてオリビアが王国軍に在籍してから約二年。異例の速さで少将に上り詰めたオリビアを疎ましく思うことはあっても、寂しいなどという言葉がこの男の口から出てくるとは夢にも思わなかった。

 オットーを見ると、まじまじとホスムントの顔を見つめていた。


「貴官がそのような物言いをするとは意外だな」


 素直な感想を述べたつもりのパウルであったが、当の本人はそう思わなかったらしい。ホスムントはバツが悪そうな表情を浮かべて言った。


「オリビア少将に嫉妬しないと言ったら嘘になりますが、彼女の武勇を目のあたりにすれば否が応でも納得せざるを得ません。それよりも今は一大決戦に勝利することが最優先ですから」


 ホスムントの中でどういう心境の変化が起こったのかは知る由もないが、良い方向に向かっていることはわかった。私心を捨てればホスムントはそれなりに優秀な将軍である。

 

「まぁオリビア少将がいないと寂しいと思うのは無理もない。なにせわしがそう思うくらいだからな」

 

 パウルにとってオリビアは第七軍の中核であると同時に目に入れても痛くない、それこそ孫のパトリシアと等しく可愛い存在である。それが今や第八軍の総司令官。オリビアの出世はめでたいことに変わりはないが、それでも手の届くところにいないことに、パウルの心の中は隙間風が吹いていた。

 

「またそのような戯言を……」


 オットーは冷たい視線を向けてくる。オリビアが上官になったため公然と批判めいたことを口にすることはなくなったが、内心ではやきもきしているのだろう。部下に対する態度は厳しいが、実は誰よりも面倒見が良い男であることをパウルは知っている。


「ところでキール要塞の兵力予想に変化はないか?」


 話を本筋に戻すと、オットーは即座に答える。


「変わりません。紅の騎士団が合流したことで、キールの要塞の兵力は我が軍と同等かやや上だと私は予想しています」


 分析に基づいたオットーの予測は大きく逸脱することがない。パウルが異論を挟むことはなかった。


「こちらがキール要塞に向かっていることは知れているはずだ。斥候を放って兵力を確認しているのは間違いなかろう」


 同意を示すオットーを横目に、パウルはどこまでも広がる草原を見渡した。


「このコクーン平野は大軍を動かすには絶好の場所。それにもかかわらず、未だに姿を現さないということは──」

「此度は籠城を選択したのでしょう」


パウルの言葉を引き継ぐかのようにオットーは言った。


「まぁ、わしが帝国軍の立場だったらやはり同じ選択をする。これも予想通りではあるな」


 通常、砦や要塞を攻め落とすには三倍以上の兵力をもってあたるのが常道とされている。帝国にとっても絶対に負けられない戦いである以上、不退転の覚悟で迎え撃ってくるはず。ならばキール要塞の防御力を存分に活かし、こちらの兵力を削り取るのは道理に適っている。

 王国軍にとっては圧倒的に不利な状況ではある。が、今回ばかりは籠城を選択した帝国軍に対して、パウルは賛辞を送りたい気分だった。

 野戦でなければ王国軍主導で戦場を操ることが可能だからだ。


「今回帝国軍は悪手を指しました」


 言って、〝鉄仮面〟と揶揄される男が不敵な笑みを見せた。すると、将校たちばかりでなく、ホスムント少将までもが訝しげな表情でオットーを眺める。

 パウルだけがオットーの言葉と笑みを正確に理解していた。


「元帥閣下も今頃は同じ結論に至っていることだろう」

「間違いありません。そろそろ伝令兵が来るころだと思いますが……」


 まるでオットーの言葉を待っていたかのように、左肩当にひとつの星を刻んだ伝令兵が現れる。片膝をついた伝令兵は、パウルが予想した通りの言葉を告げた。


「コルネリアス元帥閣下の命令を伝えます。軍議を開くので本陣までこられたし、とのことです」

「承知した。報告ご苦労」

「はっ!」

「──オットー副官」

「すでに馬の用意はできております」


 すでにオットーの指示が飛んでいたのであろう。パウルの愛馬が主人が乗るのを待っていた。手際の良さは相変わらずである。


「ではいくか」

「はっ」


 騎乗したパウルとオットーは、コルネリアスが待つ第一軍の本陣に向けて馬を駆けるのだった。

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