第百三十五幕 ~復活のローゼンマリー~

 ──キール要塞 グラーデンの執務室


 グラーデンが執務室で仕事に耽っていると、ノックもなく乱暴に扉が開かれた。走らせていたペンを止めて顔を上げると、慌てふためく衛兵を無視し、赤い髪と瞳が印象的な女が不遜な顔でズカズカと歩み寄ってくる。半月ほど前に治療を終えて復帰を果たしたばかりのローゼンマリーである。

 軽く息を吐いたグラーデンはペンを置き、改めてローゼンマリーを見やった。


「ノックくらいしろ。──それで、もう体はいいのか?」

「ああ。いつまでも寝ていられないからな」

「そうか……すでにアストラ砦の件は聞き及んでいるだろうが、ガイエル大佐の件は残念だったな」

「…………」

「あれは良い副官だった。ジャジャ馬なお前を上手く支えていたしな」

「……チッ」


 小さく舌打ちをするローゼンマリーをソファーに座るよう勧め、自らもテーブル越しに腰掛ける。両手両足を組んでふんぞり帰るローゼンマリーを見て、グラーデンは苦言を呈した。


「仮にも元帥の前だぞ。その態度はどうにかならんのか」

「そんなことより王国軍はいつ頃現れるんだ?」


 グラーデンの指摘もどこ吹く風、ローゼンマリーは全く態度を改める素振りを見せない。諦めたグラーデンはそのまま言葉を続けた。


「それは王国軍に聞け。俺が知るわけないだろう。そもそも本当に攻め入ってくるかどうかもわからん」

「ならなんであたいをわざわざここに呼び寄せた。グラーデン元帥ともあろうお方が流言に踊らされたのか?」


 そう言ってローゼンマリーはいやらしい笑みを浮かべた。

 ここ最近、王国軍がキール要塞に向けて大規模な反攻作戦を企てているとの話しが、主に商人たちの間で口癖のように交わされていた。ローゼンマリーはそのことを言っているのだろう。


「口を慎め。──流言と切り捨てるのは容易いが、現状を慮ればキール要塞攻略は順当な戦略だ。それはお前もわかっているだろう」

「まぁ、な」

「ここを取り返せば王国軍は息を吹き返す。そうなれば今は大人しくしている属国も反旗を翻す可能性は否定できない」


 情報封鎖は失敗に終わり、天陽の騎士団の敗北は属国にも伝わっているとの報告を陽炎より受けていた。無論、紅の騎士団の敗北も知るところだろう。可能性と言葉を濁したグラーデンではあるが、万が一にもキール要塞を失えば、堰を切ったように裏切るのは間違いないと踏んでいる。

 めでたく現実となった暁には、ファーネスト王国の包囲網が一挙に崩れ去るだろう。


「帝国三将筆頭ともあろう者が、たかが属国相手になにをビクつくことがある。裏切れば相応の報いを受けさせるまでの話だろう。とにかく留守をいいことに好き勝手に暴れまくってくれた聖翔軍と、オスヴァンヌ大将を殺し、あたいを散々痛めつけてくれたオリビアは絶対に許さねぇ」


 そう言い放つローゼンマリーの双眸は、激しい怒りで満ちていた。オスヴァンヌが死神オリビアに殺されたとの話は初耳であるが、所詮戦争は殺すか殺されるかの二択でしかない。いつまでもオスヴァンヌの死に拘るローゼンマリーに言いたいことはいくらでもあるが、口にしたところで聞き入れないことは誰よりもグラーデンがわかっていた。


「死神オリビアに関しては是が非にでも殺さねばならないが、神国メキアの件はとりあえず後回しだ。なにせあの国には少なくとも三人の魔法士がいることが判明したからな。ただの力攻めで崩すのはさすがに難しい」


 ストニア公国と神国メキアの戦いをつぶさに観察したフェリックスの報告書は、驚嘆に値する内容だった。さらには女神シトレシアの信徒やアルテミアナ大聖堂のことを考慮すれば、ダルメスが二の足を踏んだのも当然だと言える。神国メキアと正面切って事を構えるためには、あらゆる策を講じておく必要があるだろう。


 ローゼンマリーは小刻みに肩を揺らしながら不敵に笑った。


「あたいには関係ないな。たとえ魔法士が何人、何十人といようが立ち塞がるならブッ潰す。ただそれだけの話じゃないか」

「神の眷属とも呼ばれる魔法士相手でも軽口を叩くお前のそういうところは頼もしいと思っている」


 言うと、ローゼンマリーは鼻で笑った。


「まぁその話は置くとしてだ。わかっているとは思うが次は絶対に負けるわけにはいかん。──お前も、そして俺もな」


 噂が事実なら間違いなく王国軍は死神オリビアを投入してくるだろう。それはローゼンマリーもわかっているらしく、獰猛な表情を覗かせた。


「安心しな。二度の敗北を甘んじて受けるほどあたいは落ちちゃいねぇ。オリビアはあたいが必ず地獄に叩き落としてやるよ」

「威勢がいいのは結構なことだが、お前は死神との戦いに一度破れている。それを踏まえて聞くが、勝つ算段はあるのか?」


 煽るつもりは毛頭ない。それでもグラーデンが知っているローゼンマリーだったら今の言葉で逆上していたはず。

 しかしながら予想に反して、ローゼンマリーは静かに口を開いた。


「あたいもただ無為に時間を過ごしていたわけじゃねぇ。オリビアを倒すため、無様にもフェリックスに頭を下げてまで教えを乞うたからな」

「ほう。お前が頭を下げたのか」


 プライドの高いローゼンマリーがそこまでしたことに、グラーデンは単純に驚いた。ガイエルが聞いたら自分以上に驚いたことだろう。


「ああ。その甲斐あって色々とわかったぜ」


 そう言って最後は左拳を握りしめるローゼンマリー。目の錯覚か、グラーデンには拳の周りが陽炎のごとく揺らめいたような気がした。


「なにか戦いにおけるコツでも掴んだのか?」

「まぁ、コツと言えばコツだな」

「ふむ……では俺もフェリックスに教えを乞うべきかな」


 ローゼンマリーのような戦闘狂は別にして、総司令官自らが剣を振るうとき、それすなわち敗北が間近に迫っているということだ。無論、鍛練を怠るべきではないが、今さら己の剣技を磨いたところであまり意味はない。

 冗談のつもりでグラーデンは言ったのだが、真面目な顔でこちらを見つめてきたローゼンマリーは、残念そうに言った。


「多少の〝オド〟は感じるがそれでは駄目だな」

「オド? オドとはなんだ?」


 聞き慣れない言葉に頭を捻っていると、ローゼンマリーは己の胸を力強く叩く。


「オドっていうのは持って生まれた力のことだ。誰でも持っているらしいけど、オドの多寡は個人個人で違う。しかも、ちゃんと使いこなすにはそれなりの才と努力が必要不可欠だ」

「持って生まれた力? 全くもってわからん」

「つまりな。──ああっ! 説明するのが難しいんだよ。詳しく聞きたければフェリックスに尋ねな。懇切丁寧に教えてくれるぜ」


 早々に説明することを放棄したローゼンマリーは、テーブルに置かれたホウセン茶を一気に飲み干した。


「よくはわからんが期待していいんだな? フェリックスが帝都を離れられない以上、あの死神を止められる可能性があるのはお前だけだ」

「任せてもらおう。──しかし、相変わらずフェリックスは帝都を動こうとしないのか。楽ばかりしやがって」

「前にも言ったとは思うがあくまでもフェリックスの任務は帝都守護だ。そもそも今の状況を考えれば皇帝陛下の許しが出るとも思えんしな」

「……話は変わるが皇帝陛下はダルメス宰相としか言葉を交わさないというのは本当のことなのか?」

「ああ、大分前からだ。俺も何度か皇帝陛下と拝謁したが、直接お言葉をかけていただけることはなかった」


 グラーデンは人形のように玉座へ座るラムザのことを思い出していた。こちらがかける言葉には一切の反応を示すことなく、瞳は常に空を彷徨っているようで、およそ生気というものが感じられなかった。不敬ながら最近のラムザは〝賢帝〟とは程遠いと感じてしまう。


「病気ではないんだよな?」

「それはない。治癒師にも定期的に診てもらっているが、体は至って健康そのものだそうだ」

「そうか……ならいいんだ。いやなに、フェリックスの野郎がかなり気にしていたから聞いてみただけなんだが」

「フェリックスは幼少の頃から皇帝陛下に才を讃えられて随分と可愛がれていたからな。人一倍気にかけるのも当然だ」

「意外にダルメス宰相が皇帝陛下によからぬことをしていたりしてな」

「ローゼンマリー。いくらなんでも口が過ぎるぞ」

「冗談だよ冗談。──じゃあ、あたいはこれで失礼するよ」


 立ち上がったローゼンマリーは、形ばかりの敬礼をして部屋を後にする。グラーデンは懐から葉巻を取り出してくゆらせた。


(ローゼンマリーも突拍子もないことを言う。ダルメスが皇帝陛下によからぬことをしているなどと……)


 捨て台詞のように残したローゼンマリーの言葉がいつまでも心に引っ掛かるグラーデンであった。

 

 

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