第百二十九幕 ~観兵式~ 其の壱
神都エルスフィア ラ・シャイム城
ラーラがソフィティーアの執務室を訪れると、
「──あの青年は無事でしたか」
「はっ。今はあてがわれた屋敷に戻っています」
「ではオリビアさんも戻ってきたということですね?」
オリビアの名をソフィティーアが出した途端、梟は怯えたような表情をみせる。この梟はソフィティーアを陰から守る護衛衆として、ラーラがあらかじめ狩場に配置していたうちのひとりだった。
「聖天使様のおっしゃる通り、死神オリビアも一緒に戻っています」
「わかりました。報告ご苦労様です」
「はっ。失礼いたします」
報告を終えて退出する梟を横目に、ソフィティーアは部屋の中央に置かれた灰色のソファーへ移動しながら笑みを交えて声をかけてきた。
「ラーラさんも今お聞きになった通り、あの青年は無事とのことです」
「あの状況下で生き延びるとは思っていませんでした……」
ノルフェスに吹き飛ばされ、且つ崖下に落ちて行ったのだ。ソフィティーアの指示で捜索隊を編成はしたが、無駄に終わるとばかり思っていた。
「実に強運の持ち主ですね。──ラーラさんも立っていないでお座りなさい」
「はっ。では失礼いたします」
ラーラが座ったことを確認したソフィティーアは、侍従を呼び出しお茶を運ぶよう指示を出した。
「──さて。結論から先に申しますが、わたくしは是が非にでもオリビアさんが欲しくなりました」
「それはノルフェスとの戦いをご覧になられたからですか?」
「もちろんその通りです。やはり聞くのと実際にこの目で見るとでは雲泥の差がありました。百聞は一見にしかずとはまさにこのことを言うのですね」
ソフィティーアは楽しそうに言った。
「……聖天使様、非礼を承知で申し上げる無礼をお許しください」
「構いません。うわっつらなだけの言葉などわたくしは求めていませんから」
「ノルフェスとの一件で、オリビアを懐に入れるのは危険だと私は判断しました。魔法ならいざ知らず、剣一本であの魔獣をあっさり屠るなど尋常ではありません」
「…………」
「…………」
一瞬の沈黙の合間を縫うように従者が静かにティーカップをテーブルへ置く。ソフィティーアは優雅な所作で手に取ると、紅茶をゆっくりとすすった。
「──わたくしではオリビアさんを御しうることができないと、そうラーラさんはおっしゃりたいのですか?」
「そうは申しません。ただ、ゼファーが以前言っていた通り、彼女は人の枠から外れた、それこそ人間のもつ常識が通じない気配を醸し出しています。ヨハンが危惧していることもおそらくはそのあたりだと私は思いました」
ラーラはオリビアとノルフェスの戦いを思い出していた。剣技、体術、どれをとっても一流などとは生ぬるい言葉で、今ならヨハンが足下にも及ばないと断言したことも納得できる。魔法を使えばまた別であろうが、こと剣技ではオリビアに勝利できるイメージが全くできなかったラーラである。たとえ“双流剣“の異名を持つヒストリアとて、オリビアの剣技の前では敗北必至だろう。
それに────。
(笑っていたんだ。魔獣と恐れられるノルフェスを前にして、あの女は薄ら笑いを浮かべて戦っていたんだ。あれはどう考えても普通じゃない)
あえて衛士たちを鼓舞するために自信の作り笑いをすることはある。しかしながらオリビアの笑みはそういったものとは全く違う。それがラーラには酷く恐ろしいものに感じてしまったのだ。
ソフィティーアは言う。
「危険だからと遠ざけるのは簡単です。ですがそれでは大陸統一という覇業を成就することはできません。ラーラさんはそう思いませんか?」
「それはそうかもしれませんが……」
「魔術も使わず剣技ひとつであれだけのことができてしまう強者です。オリビアさんを手に入れられたら大陸統一が俄然現実味を帯びてきます」
「……聖天使様はあの戦いをご覧になって恐ろしさを感じなかったのですか?」
戦いに身を捧げる者なら常識外れたオリビアとノルフェスの戦いに、大なり小なり恐怖を覚えるのが自然な感情である。実際勇猛な聖近衛騎士団でさえも、あのときばかりは一様に恐怖を顔に張り付けていたくらいだ。
だが、ソフィティーアは違ったらしい。
「恐ろしさ?──むしろ、わたくしはオリビアさんの戦いぶりに感服いたしました。狂おしいほどの愛おしさを感じてしまうほどに」
そう言って凄惨な笑みを浮かべるソフィティーア。ラーラは戦慄すると同時に、これ以上の説得を断念せざるを得なかった。
「聖天使様のお考えはわかりました。これ以上、私から申し上げることはございません」
「ラーラさんのお考えは胸に留めておきます。──ところで明日の予定はどうなっています?」
「聖天使様が許可していただければ、延期していた観兵式を行おうと思うのですが」
観兵式を行う目的は、一にも二にも聖翔軍の力をオリビアたち──ひいてはファーネスト王国に喧伝するためである。本来であれば狩りの翌日に執り行う予定だったが、王国側の事情に配慮し、一応の決着がつくまで見送っていたのだ。
「そうですね……あの青年が生きて見つかったということであれば問題ないでしょう。それで進めてください」
「かしこまりました」
「では明後日、改めてオリビアさんを夕食に招待します」
予定通りなら三日後はオリビアたち一行が帰郷する日。ソフィティーアの誘いに対し、オリビアが返答を保留しているのは知っている。間違いなく夕食の席で再度の話し合いがもたれるのだろう。
「……かしこまりました。ではその旨をアンジェリカに伝えておきます」
「お願いします。明日からの二日間はオリビアさんが望むものは全て与えてできる限り恩を売りなさい。それこそ恩で身動きが取れなくなるくらいに」
程度の差はあるだろうが、恩を売れば売るほど人は恩を感じるものである。だが、人外の化生というべき存在のオリビアが果たして恩を売ってなびくものかと、ラーラは疑問に思ってしまった。
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