第百二十八幕 ~死地からの生還~

 オリビアに窮地を救われたアシュトンが、クラウディアたちが待つ屋敷へと帰ってくると、玄関前に佇んでいたメイドが笑みを浮かべてアシュトンを出迎えた。


「ご無事に戻られてなによりです。皆様談話室でアシュトン様がお帰りになられるのを首を長くしてお待ちになっています」


 メイドの言葉に従って談話室の扉を開けたアシュトンに皆の視線が集中する。真っ先に口を開いたのはソファーから勢いよく立ち上がったクラウディアであった。


「アシュトン!」


 アシュトンの顔を見るや否やクラウディアはアシュトンの胸に飛び込んできた。あまりに突然のことで棒立ちになっていると、クラウディアは突然アシュトンの体をまさぐり始める。


「クラウディア中佐!?」

「──怪我はそれなりにしているようだが、大事には至らなかったようだな」


 ホッと胸を撫で下ろすクラウディアの姿を見て、アシュトンはただただありがたい気持ちになった。


「……心配をおかけしました」


 深く頭を下げたアシュトンの頭に、クラウディアが軽い拳骨を落としてくる。頭を上げると、いつもの厳しい顔がそこにあった。


「油断しているからそういう目に合うのだ」

「いや、お言葉ですが魔獣ノルフェス相手に油断もなにも──」

「いいわけするな」

「す、すみません……」


 理不尽極まりないクラウディアの言葉ではあるが、心配をかけたのは紛れもない事実。逆らうのは得策でないと判断したアシュトンの下に、やたらニヤついた笑みを浮かべるエリスと、安堵したような表情をみせるエヴァンシンが近寄ってきた。


「ご帰還早々派手に見せつけてくれますね、アシュトン少佐」


 クラウディアにチラリと視線を流しながらエリスがそう言うと、クラウディアはバツが悪そうにアシュトンから一定の距離を置いた。なんとなく気まずくなった雰囲気を和ませるかのように、エヴァンシンが話しかけてくる。


「アシュトン少佐、ご無事でなによりです」

「オリビアから話は聞いている。結構探してくれたんだろ?」

「それはまぁ……ただ正直に言いますと、もう駄目かと思っていました。なにせ状況が状況でしたから」

「僕自身もそう思ったよ」


 改めて考えてみれば、ノルフェスに吹き飛ばされ、さらには崖から落ちた。しかも、それで終わりではなく、つがいのノルフェスに再び襲われる始末。

 普通に会話をしている今の状況が不思議なくらいだ。


「オ、オホン! ──ところでアシュトン。あちらの女性は誰なのだ? 恰好からして狩人に見えるのだが……」


 再び声をかけてきたクラウディアは、所在なく立つステイシアを遠慮がちに見ながら尋ねてきた。


「すみません。紹介が遅れましたが、命の恩人のステイシアさんです」

「……どうも」


 ステイシアは軽く会釈する。


「彼女が助けてくれたのか?」

「そうです」


 アシュトンは改めて川に流されていたところを救ってもらったこと、途中つがいのノルフェスに襲われた経緯などを語って聞かせた──。


「それはまた……アシュトン少佐を吹き飛ばしたノルフェスはオリビア少将が退治したので事なきをえたのですが……大変でしたね」


 エヴァンシンが労いの言葉をかけてくる横で、エリスが口の端を吊り上げた。


「へぇ。つまりアシュトン少佐はステイシアさんとずっと一緒にいたんだ」

「なんだか言い方に妙な含みがあるけど、やましいことはなにもないぞ。お互い下着姿になったことだって、服を乾かすために仕方がなかったことだし」


 言ってすぐに失言だったと気づいたときには手遅れだった。エリスが邪悪な笑みをこれでもかと浮かべながら言う。


「若い男女が下着姿で一夜を共に!?」

「だから服を乾かすために仕方がなくって言っているだろ!」

「姉貴はどうしてそうちゃかすんだ?」


 呆れたようなエヴァンシンの言葉に、エリスは当然のごとく言った。


「そんなの面白いからに決まっているじゃない。──それにしてもアシュトン少佐も隅に置けませんねぇ。ところで下着は何色でした?」

「黒──じゃなくって!!」


 慌てて視線を奥のテーブルへ向けると、オリビアはメイドに差し出された紅茶を美味しそうに飲んでいる。とくに誤解はされていないようだとホッと息をつく間もなく、クラウディアがアシュトンに向けて冷ややかな視線を浴びせてきた。


「お互い下着姿ねぇ」

「それはさっきも言った通り本当に仕方がなく──」

「でも下着姿で一緒に過ごした」

「そ、それはまぁそうですが……」


 悪いことをした覚えはまるでないにもかかわらず、どうしてかアシュトンの背中から大量の汗が滲み出てくる。その様子を見かねたのか、ステイシアが割って入ってきた。


「この坊ちゃんに私をどうこうしようなんて気概はありませんよ」

「……ステイシアさんと言ったな。アシュトンの命を救ってくれたことには心から礼を言うが、そもそも二日ばかり一緒に行動を共にしただけでアシュトンのなにがわかるというのだ? こう見えてこの男は気骨がある。坊ちゃんなどとあまりふざけた口を利いて欲しくないな」


 小言が常態化しているクラウディアが今に限ってはアシュトンを擁護している。そんな彼女に大いなる戸惑いを覚えていると、


「確かに共に過ごしたのは二日だが、それでも気骨があるのはわかっている。なにせこいつは魔獣ノルフェス相手にナイフ一本で立ち向かおうとした大馬鹿者だからな。それでも坊ちゃんであることに変わりはない」


 そう言ってステイシアは鼻で笑う。氷の如き二人の視線が交錯するのを息を潜めて見つめていると、珍しくクラウディアが舌打ちした。


「その言いようが──」

「私がここにきたのは報酬を受け取るためだ。別にあんたの彼氏に興味はないから心配するなって」

「なっ!? か、彼氏だとっ……!?」


 ステイシアはあからさまに動揺するクラウディアを華麗に無視し、アシュトンに近づくと手を差し出してきた。


「ということでそろそろ渡してくれないか? 私も暇じゃないし」

「お金はすぐに用意します。──それと、変なことを言わないでください。後で文句を言われるのは僕なんですから」


 最後は小声でそう耳打ちすると、ステイシアは怪訝な表情を浮かべてクラウディアとアシュトンを交互に見比べて、最後は呆れたような溜息を落とした。


「お前は……まぁいいか。とりあえず貰うものを貰ったら私はとっとと退散するからさ」

「ではすぐに取ってきます」


 急いで自分の部屋へ戻ったアシュトンは、金袋から金貨を一枚ずつ丁寧に取り出して机に並べていく。


(ひぃふぅ……これでよし)


 階段をリズミカルに降りて再び談話室に戻ると、ステイシアはエリスと何事かを話していた。アシュトンが戻ったことに気づいたらしいステイシアは笑みを向けてくる。

 さっきのエリス同様、やたらにやけた笑みだ。


(はぁ……どうせまたエリスがろくでもないことを言ったんだろう)


 いちいち気にしていたらきりがない。アシュトンは再び差し出されたステイシアの手に金貨を乗せると、彼女はすぐに眉を顰めた。


「六枚ある。確か五枚って私は言ったよな?」

「追加の一枚はほんの気持ちです。そのまま受け取ってください」

「ふーん……なら遠慮なく」


 手早く金貨を懐に入れたステイシアは、去り際にアシュトンの肩を軽く叩いた。


「ま、色々あるだろうが精々頑張れよ。アシュトン少佐」


 そう言い残し、ステイシアは足取りも軽やかに屋敷を出ていった。


(……そういえば初めて名前を呼ばれたような気がする)


 ぼんやりとそんなことを思っているアシュトンの隣で、クラウディアが忌々しそうに閉ざされた扉をいつまでも睨みつけていた。

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