第百十四幕 ~シャルナ砦~

 オリビアたち小隊一行が聖都エルスフィアに通じるシャルナ砦に到着したのは、茜色と群青色の美しきグラデーションが奏でる夕暮れ時。

 ガリア要塞を発してから実に二週間あまりが経過したころだった。


「ここがシャルナ砦か……」

「ようやく到着だね」

 

 オリビアの言葉に頷きながら砦を見上げるクラウディア。小規模ながら重厚な造りをした砦の城壁には、神国メキアの紋章旗が等間隔に掲げられている。

 早速門前の衛士にオリビアの名を告げたクラウディアは、ソフィティーアから正式に送られてきた招待状を広げて見せた。


「ファーネスト王国、オリビア様御一行ですね。お待ちしておりました」


 衛士は即座に最敬礼でもって応えると、伸びのある声で「ひらーけー!」と開門を命じる。


 程なくして歯車が軋む音と共に黒鉱石で作られたと思われる門が左右にゆっくりスライドしていくと、出迎えにきたらしいひとりの男の姿が視界に入った。

 白と薄紫を基調とした軍服の袖に銀翼の刺繍が施されている。生地の上質からして高位の軍人であることが窺えた。そしてクラウディアの予想した通り、男はシャルナ砦を預かるバレンシア上級百人翔と名乗ると、小隊を砦内へといざないながら今後の予定などを説明していく。


「──以上でございます。先程聖都エルスフィアに伝令を走らせましたので、明日には迎えの使者が参ると思います。それまでむさ苦しいところではありますが、本日はこちらにお泊りください」

「ご足労をおかけして恐縮です」


 礼を述べたクラウディアへ、バレンシアが大袈裟に手を振って見せた。


「とんでもございません! 我が主よりくれぐれも粗相がないよう直々に仰せつかっております。なにか不都合なことがございましたらすぐ私にご用命ください。それと身の回りのお世話はなんなりと彼女たちにお申し付けいただいて結構です」


 そう言って司令官が顔を向けた先は正面入り口。扉へと続く道の両脇にズラリと立ち並んだメイドたちが頭を下げている。おそらく急に呼び出されたのだろう。何人かの使用人たちは肩を小刻みに上下させていた。

 クラウディアは重ねてバレンシアに礼を言うと、それぞれが用意された部屋へと赴くのだった。





「お口に合うかどうかわかりませんが遠慮なく召し上がってください」


 所狭しと並べられた料理を前にして、夕食の席を設けたバレンシアは申し訳なさそうに言う。


(口に合うもなにも、どれもこれも手の込んだ一級の料理ばかりじゃないか……)


 アシュトンは目の前の料理を見つめながらそう思った。どう考えても普段から食べているような、それこそ王国であれば上流貴族が口にするような類のものばかりである。いくら神国メキアが豊かな国だといっても、普段からこのような食事を摂っているとはさすがに考えにくい。

 たとえ砦を預かる司令官だとしてもだ。


(おそらく、というか間違いなくオリビアのために用意されたものだろう)


 ソフィティーアの指示であることは明白であり、オリビアの胃袋を掴むことに早くも成功している。オリビアがナイフとフォークをおかしなスピードで動かしている様からして疑いようがない。

 ソフィティーアがなにゆえオリビアを自国に招いたのかは今もって不明だが、今のところ彼女の思惑通りに事が進んでいるような気がして、アシュトンは気が気でならなかった。


「──今からあれこれ考えても仕方あるまい。せっかくの料理だ。堪能したまえ」


 アシュトンの隣に腰かけるクラウディアは、こちらを見ることなく小声で話しかけてきた。またクラウディアに心の中を読まれていることに内心で舌を巻いていると、


「君は考えていることが存外顔に出やすい。もう少し心の内を隠す術を身に着けた方がいい」


 そう言いながら鳥の香草焼きを口に運ぶクラウディア。ある意味敵地にもかかわらず、整った顔には余裕すら感じられた。


「い、いやはや実に豪胆な食べっぷりですな」


 引きつった笑みを浮かべるバレンシアは手を軽く叩き、追加の料理を運ぶようにメイドたちに申し付けている。それほど間を置かずに追加の料理が次々と出される様子からして、深淵なる胃袋をもつオリビアの情報はバレンシアにも伝わっているのだろう。しかし、メイドたちには伝わっていなかったらしく、オリビアの健啖ぶりを見て終始目を白黒させていた。


 一方アシュトンの対面に座るエリスは瞳を輝かせながら料理に舌鼓を打っている。隣のエヴァンシンも同様の反応を示していた。


「はぁぁ……美味しい。街の警備兵のままだったらこんな美味しい料理を口にすることなく一生終わっていたのは間違いないわね」

「その姉貴の意見には俺も賛成するよ」

「でしょう? それもこれも全ては我が愛しの戦乙女。オリビアお姉さまのおかげ」


 そう言うと、ひりつくような熱視線をオリビアに向けるエリス。その様子を見たエヴァンシンは、険しい顔で声を一段低く落とした。


「──姉貴、ここで病気を出すのは止めてくれよ。ルーク兄貴からもきつく言われているだろ?」

「うっさいわねぇ。大体オリビアお姉さまを讃えることのどこが病気だっていうのさ。返答によってはたとえ血を分けた弟であろうと──」


 ナイフとフォークを置いたエリスは、酷薄な笑みを浮かべながら左袖をゆっくりと撫で始めた。


「姉貴、冗談でも袖に仕込んでいる隠しナイフを撫でるのはやめてくれ。見つかったらさすがにここの連中もだまっていないぞ。それに俺は一応姉貴の上官にあたるんだけど?」


 二人の会話を聞いているとつい忘れがちになるのだが、確かにエヴァンシンはエリスよりも階級が高い。たとえ弟であろうが軍務中は階級が全て。アシュトンも今や少佐。望む望まないにかかわらず、多くの部下を従える立場にある。本来なら上官らしくエリスを諫めるべきところではあるが、


(僕もオリビアに対して敬語を使っていないからなぁ)


 アシュトンの視線に気づいたオリビアは、口いっぱいにソースをつけながら可愛く小首を傾げる。ランブルク砦奪還に向かう道中でオリビアから敬語禁止を言い渡されて以来、アシュトンは律儀に命令を遂行している。

 というか、それを大義名分にして敬語を使うのを避けているのが本当のところだ。公の席は別にしても、普段から敬語を使うと考えただけで背中に虫唾が走る。


 最初のころは事あるごとに文句を言ってきたクラウディアであったが、今では黙認している。オリビアが全く問題ないと公言していることもあるが、良くも悪くもくだけてきたのだろうとアシュトンは勝手に解釈している。

 エリスはふんと鼻で笑うと、冷淡な目をエヴァンシンに向けた。

 

「だからなんだっていうのよ。いい機会だから耳の穴かっぽじってよく聞きなさい。姉と弟の関係は上官と部下の関係よりもはるかに重いの。よってあんたに敬意を払う必要など微塵もない」

「そんな無茶苦茶な……」


 エヴァンシンは助けを求めるような目をアシュトンに向けてきた。


「このサラダは随分と美味しいな。うん……」


 アシュトンは彩り鮮やかなサラダを口に運びながらあくまでも聞いていない体を装った。ここで下手にエヴァンシンを庇えば、それこそ狂犬エリスがこちらに牙を剥いてくる。エリスと馬が合うジャイルでも入れば上手くとりなすのだろうが、今回彼は居残り組でここにはいない。

 もっともオリビアがとりなせばすぐに問題は解決するのだが、依然としてナイフとフォークが舞い踊っている様を見る限り、期待するだけ無駄だろう。


(よってこれが最適解だ)


 なおもすがるような目を向けてくるエヴァンシンに心の中で詫びを入れながら一心不乱にサラダを咀嚼するアシュトン。空気を読める男エヴァンシンはことさらに大きな溜息を吐くと、のろのろと目の前の肉を切り分け始める。


「我が国の料理を気に入っていただけたようで安堵しました」


 満足そうに頷いたバレンシアは、その後神国メキアの特産品などあたりさわりのない話を振っては、適度に場を和ませていた。


 ひたすら料理を貪る悪食オリビア。

 オリビアを陶然とした表情で見つめる色ボケエリス。

 何度も溜息を零す苦労性エヴァンシン。

 淡々とナイフとフォークを動かす夜叉クラウディア。


(こんなんで本当に大丈夫なのか?)


 自分のことは棚に上げ、内心で溜息を零すアシュトンであった。 

 

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